
先月早々ですが、お話がありまして、ある作家の方が、家に来てくれはったんですよね。それで、話の内容とは、全然別のところで、実は、この方、無類の落語ファンとのことが知れまして、大いに盛り上がったわけでございます。いくつかのネタの話をさしてもらいましてんけど、その中で、このお話もありました。『一人(ひとり)酒盛』。我々住んでおります、京都の市民寄席で、故・六代目笑福亭松鶴氏の、このネタを聞いた時の話。舞台登場と共に、既に酔うてはって、話の途中で、だんだん酔うて来ないかんのに、逆に、ホンマもんのほうの酔いが醒めてくるのが分かって、それでいて、演技では、酔うて来るという、なんとも、おもろい話。そこで、今月は、そのネタを。
ある男、仕事休みみたいですが、実は、今日は、嫁はんが家を留守にするとのこと。一杯飲もうとしますが、一人では、どんならん。そこで、嫁はんが出かけるついでに、友達のとこへ、誘いをかけてから、出て行った。その友達、“何事か知らん?”と、こちらは、わざわざ仕事休んで、主人公の家へ。話を聞くと、一杯飲もうということ。しかし、今更、仕事行くのも、邪魔くさいし、また、酒も好きなほうでっさかいに、主人公の家へと上がり込む。この一杯飲もうというのには、訳がある。以前、この主人公の家に居てた男が、十年ぶりに挨拶に来よった。どないしてんねんと聞くと、灘の酒蔵で、働いてるて。そこで、蔵出しの、どこにも出回らんような、エエ酒を、五合ほど支度してきたんでと、昔お世話になったお礼に、置いていった。これを飲もうやおまへんかて。そら、誰しも、目が無い口ですわなあ。いわれを聞けば、なるほど、飲みとなる。
しかし、この男、ヒヤでは、どうも具合悪い。燗せな。そうなると、嫁はんも留守、よばれるほうは、見てる訳にいかんので、友達のほうが、お湯沸かして、燗をつける用意をする。このまた、燗のつけ具合が、難しい。てなこと、ゴジャゴジャゴジャゴジャ言いながら、まずは、主人公が湯呑みに一杯。ん、こらウマイ。さすがに、灘の蔵出しや。燗も、上燗、上燗。てなこと言うてるうちに、湯呑みがカラ。カラになる前に、お酒注がんと。「気の効かんやっちゃ。」とこぼしながらも、お酒のほうは、どんどん進む。主人公のほうは、ほんのり酔い加減。ただ飲んでるだけでは、寂しい。何か食べな。つまままな。“茶瓶の蓋でも、つまんだら?”は、『替り目』でっせ。友達のほうは、人の家でっさかいに、勝手が分からん。水屋開けても、何にも無い。そこで思い出した主人公、台所の上げ板を上げたら、糠床がある。その糠の中に、ナスビの古漬けかなんかがあるやろうと。友達も、心地悪いけれども、糠の中に、手入れなしょうがない。ナスビを出してきまして、キレイに洗うて、包丁でショウガと一緒に、細こうに刻めやて。エライ注文や。しかし、こっちも、一杯飲ましてもらうねんさかいに、それぐらいのこと、せなしょうがない。男の人でっさかいに、慣れてないでしょうけれども、言われた通りにして、持って行く。
「お前、ナスビ細こうに刻むのん、ウマイなあ。」やて。どつくで、ホンマに。その間にも、燗つける番せなあかん。さあ、またまた、だんだん、酔うてきましたで。ほんなら、唄の一つも、歌えて。「“へぇ、何にも知らん?”不細工なガキやで。唄ぐらい憶えとけ。いっぺん、歌うてみせたろ。て、やめじゃ!」自分勝手ですけど、おもろおまんな。完全に、出来上がってしもた。そら、もう、一人で、五合飲んでしもたんですもん。そやけど、ここまで我慢してた友達も、とうとう、怒ってしまう。「よう、これだけのことさせやがったな!『一杯どうです?』ぐらい、すすめるもんや。これからな、友達てなもん、思わんといてくれ。道で会うても、物も言わんさかいに、そない思え!」て、カンカンになって、帰ってしまう。それを聞いてた、この家の隣りに住んでる、お梅はん、「今、竹やん、エライ剣幕で怒ってたけど、どないしたん?」「心配しな、心配しな。あいつ、酒クセが悪いねん。」と、これがサゲになります。酒クセが悪いのは、自分のほう、主人公ですねやがね。なかなか、おもしろいサゲですな。現代でも、十分、通用します。
上演時間は、二十分前後でしょうか。マクラから、ゆっくりしゃべっても、三十分そこそこ。あんまり、長くは、ならないほうが、良いのではないでしょうか?それは、おもしろいのは、おもしろいんですが、酔うたおっちゃんが、イヤミになっては、いけませんのでね。笑い所としては、やはり、酔うてからの、ウダウダ言う所ですわな。燗のつけ方に文句言うたり、つまむもん出させたり、唄歌い始めたり。始めに、「気心の合うのは、お前だけや。」とか、「燗させんのん、気の毒や。」てなことを、十分に言うてる手前、なおさらに、おもしろい。しかし、この部分も、演者によって、また、お時間の都合によっても、いろいろと変わります。よそで飲むことが無いのに、たまたま飲んで帰った時の、嫁はんの話やとかね。話の合間、合間に、燗の出来具合、お酒を注ぐのが入る所が、これまた、聞いてるもんにとっては、飲みとなりますがな。そして、だんだんに、酔うてくるのが、これまた、演者の腕ですなあ。普通の人なら、五合飲んだら、ちょっと酔いますもんな。そして、この話の最大のポイントは、この友達のしゃべりが、少ないことなんですなあ。本当にしゃべるのは、冒頭の仕事うんぬんと、最後の怒る場面になるからなんですわ。燗つけさせられてる間は、しゃべらない。主人公の語る言葉で、その友達の言うてることを、我々、お客さんに聞かせるという手法。なかなか、インパクトがありまんねやね。特に、最初は、嬉しさ一杯で、最後は、怒りが一杯ですからな。
以上、記しましたのは、冒頭にも出ました、松鶴氏のものを参考にさせていただきました。しかし、実は、上方には、もう一つ、ちょっと違った趣向の『一人酒盛』も、ございますねん。それは、桂米朝氏の演じられる系統のものですが、これは、故・桂南天氏からのものだそうです。それは、主人公は、宿替えをしてきたとこの、やもめ、独身者なんですわ。そこへ、近所にいる、この男の友達が、遊びにやって来るというもので、冒頭の部分が、随分と違います。そして、この友達に、宿替えの手伝いをさせながら、一杯飲むという設定。つまり、宿替えでっさかいに、何にも無いところから、座布団出させたり、火おこさせたり。そして、酒を飲んで、ウダウダとなり、怒って帰らしてしまう。状況設定としては、非常に無理のない話で、実は、仕事を休ませるという、上記のものよりも、理屈からいえば、スムーズなんですわ。手伝いさせんのも、酒飲む前の部分が、結構あって、酔うてからの、へ理屈のほうが、少ないぐらいで。
どちらが、エエのかは、分かりませんが、とりあえず、このネタ自体、やはり、土台は、東京ネタらしいです。元来の上方にあったネタでは、ないようですね。しかし、東京での上演頻度は、現在のところ、そんなに、ないようにも思えますが。なぜに、上方らしいネタのように思えるのか?それは、やはり、松鶴氏の十八番だったからではないでしょうか?何か、アクの強〜い、コテコテのネタの感じがするようで、それが、意外と、設定は、東京風なんですな。反対に、宿替えの設定は、スムーズで、いかにも、東京風の、粋な感じがしますが、これが、古い上方風で。実はねえ、芝居でもそうなんですが、意外と、事実に忠実というか、理屈を通すのは、上方的なんですってね。歌舞伎十八番でも、様式美を追求する、江戸の『暫(しばらく)』なんかに対して、おんなじ十八番でも、現実味を加味する、上方の『鳴神(なるかみ)』なんて例も、ありまして。
所有音源は、松鶴氏と、笑福亭松喬氏のものがあり、他にも、いろんな人のを聞いたことがあります。なんし、『一人酒盛』いうたら、松鶴氏の思いが強いですなあ。晩年の、言葉の怪しい時でも、よくやってはりましたわ。あの、酔うて、グダグダ言うのが、たまらん、おもろいんですわ。おそらく、実際に、酔われたら、あんなんなんでしょうなあ。そやけどね、私も客商売してますけど、はたから見てたら、おもろいですけど、当事者となってみなはれ、イヤなもんでっせ。随分、経験させてもろてますけど。松喬氏も、その松鶴氏譲りで、おもろおまんなあ。ウダウダ言うてはる。
とりあえず、酔うねやったら、知ってる人の前とか、知ってる店とかで、酔うとくれやっしゃ。初めての人とか、店では、やめとくれやす。迷惑でっせ。と言いながら、冷静に、はたで見てると…。
<19.4.1 記>
![]() |
![]() |
![]() |