ちょっと、しばらくなりますが、うちの向かいの家を、取り壊さはったんですわ。幕末時分から商売したはる旅館でございまして、随分とお古い、いわゆるところの、木造の日本家屋でございました。路地の奥でね。しかも、京都ならではというような、片泊まりの宿でございました。要するに、今でいう、一泊朝食付きで、夕食が付いてないというスタイル。どこぞ、外で食べるか、近所の仕出しで、出前取ってもろうて、食べるか。やめはる時の最後は、おばあさん一人でやってはりました。うちとは、随分と、古い付き合いさしてもらいましたんです。これも、祇園町の特徴ですか、要するに、一見(いちげん)さんお断りで、どこぞからのご紹介のみで、商売というよりも、もう、生活の一部みたいなもんで、やったはりました。お客さんは、物書きさん、出版社の方とか、作家さんが多かったんです。お名前は、やめときますが…。
で、その解体をしたはった業者の息子さんちゅうのが、これまた、私の小学校の同級生でしたんやわ。荷物は運ばはった後でっさかいに、何にも残ってへんのですが、なぜかねえ、たまたま、キセルが、何本か残ってたんです。ほかすようなガラクタでっさかいにと、たまたま、もろてきましてん。これだけでは、どうしょうもないので、煙草盆を用意いたしまして、うちの玄関の床机(しょうぎ)に置いときますと、これが、なかなかエエ格好で。そこで、今月は、思い出しましての、『莨(たばこ)の火』を、どうぞ。しかし、このネタ聞かしてもらうまで、こんな字、知りませんでしたわ。“莨”て。
住吉神社の鳥居の前で、二人の駕籠かきが、客待ちをしております
ところへ、南の方からやってまいりましたのは、上品なお年寄り。結城の着物に、茶献上の博多帯を締めまして、節織りの、分厚い羽織を着まして、頭は大尽かぶり。小さな風呂敷包みを首に巻きつけまして、白足袋
の雪駄履き。雪駄の音をば、シャーラ、シャーラ…。という冒頭を聞きますというと、もうこのネタでございますなあ。要するに、上品な初老のお方に、駕籠屋はんが、駕籠をすすめてなはるという、住吉大社前の状況。もっとも、『住吉駕籠』というお話も、住吉っさんでの駕籠屋はんの話題でございますが。ま、とりあえず、言われるままに、駕籠に乗りまして、北は大阪の方角へ。
ゆっくりと下座からお囃子が入りまして、また、この鈴の音に合わせまして、ボツボツと駕籠も動き出す。走って急ぐ用事でもない。朝早うに、和泉の佐野を駕籠で出まして、乗りくたびれたんで、堺で駕籠を返して、ぶらぶらと住吉まで着たところで、また、呼び止められたて。エライ遠道でんがな。しかし、駕籠は大阪へ向いていますが、行き先を決めてないと。話をしながら聞いてみると、大阪の花街にも、随分とエエお茶屋はんがあるということ。新町の吉田屋なんか、『廓文章』・夕霧伊左衛門なんかに、今でも出てきますが、有名なもん。北の新地では、綿富。ここでしたら、この駕籠屋はんの知り合いに、女中頭が奉公してますので、話をしましょうと。そこで、行き先は、その綿富へ。
もちろん、わたしゃ、実際には、知りませんが、話の内容からいくと、綿富さんて、一流の上にも、“超”の字が付くぐらいなんでしょう。今でいうたら、島原の角屋、祇園町の一力(万亭)に富美代、上七軒の中里、南地の大和屋てなもんでしょうか?そら、なかなか一見(いちげん)さんでは、入れませんわ。でも、身なりからして、上品ですので、大丈夫であろうと。今とは違いまして、大昔、しかも、チョンマゲの乗るような時代のことですから、着てるもんだけで、身分が分かりますもんな。貧富の差が、相当ありますねやから。お話を聞いておりましても、駕籠屋はんを、いたわる様子。今のタクシー運転手、昔の人力俥夫に駕籠かきてなもん、世間的には、あんまりエエように思われていなかった時代のことですし、そら、やっぱり、エライもんですわ。「“おみや(あ)”が元手の商売…」やて。
さて、北の綿富へやってまいりまして、駕籠屋はんが、中へ入って行きます。その女中さんを通して、話をしてもらいまして、それでは、上がることとなりますな。応対に出てまいりましたのが、こちらの若いもんで、伊八っつぁん。早速、駕籠賃を払いますねやが、それが、この綿富からの、立て替えで、一両。ま、我々の世界では、今でも、十分に、ようあることなんですけどね。車賃やら、タバコ代、お土産代に、電話賃の立て替え等々。帳場から、伊八が貰い受けまして、駕籠屋はんに渡す。しかし、駕籠賃に一両も払うような方て、いはりませんがな。たまに、タクシー乗っても、ビール一本飲んでも、何でも一万円で、釣りいらんちゅう人、いはりますけどな。駕籠屋はんが大喜びして、「おかんを、軽い綿の布団で寝さしてやります。」と言うと、それでは感心なと、帳場から二両の立て替えで、祝儀を。エエお客乗せはったなあ、駕籠屋はん。
伊八っどんに案内されまして、座敷で、ご一服。さすがに、格のある座敷。すると、衝立(ついたて)越しに、手やら足やらが見え隠れする。聞いてみると、当家の見習い衆。仕込みさんとか、禿(かむろ)さんみたいなもんですかなあ。昔でっさかいに、子供もエエとこなんでしょうけれども。その、見習いさんに、入ってもろてくれと。「旦さん、おおきに。」と、なかなかに、かわいらしいもん。これが、十人いてなはる。すると、祝儀に、十両やるさかい、立て替えをやて。しかし、ちょっとした額でっさかいに、帳場はんも、今度は、ちょっとだけ、聞き返しながらも、それでも、十両のお立て替え。
「その他には?」「芸妓衆が…」と、次は、芸妓はんが二十人。これも祝儀に一両ずつで、帳場から二十両のお立て替え。ここらになりますというと、さすがに、帳場はんも、心配なもん。なんぼ上品いうたかて、お金持ってはんねやろかと。駕籠賃に一両やるいうても、見ず知らずの人だっさかいになあ。といううちに、今度は、太鼓持ち・幇間(ほうかん)衆のお通り。これが、三十人いてなはって、例の通り、三十両のお立て替え。それでも、しぶしぶ、帳場はんがお金を出す。
次は、「店の奉公人は、何人いる?」と。これにも、銘々に一両ずつの祝儀をやろうという算段。上下合わせて、四十七人。て、討ち入りやがな。五十両のお立て替え。しかし、さすがに、ここまで来ると、帳場はんも、都合がでけん。「“只今、帳場の手元にございませんので”と、断ってくれ。」とのこと。最後の最後に、伊八っとんが貰う番になって、そら、殺生か知れませんけど、全部入れたら、大方、百両越えまっさかいになあ。これこれと、旦さんに言いますというと、それでは仕方がないと、お手持ちの風呂敷包みを開ける。中は、微塵行李(みじんごうり)と、目の細かい行李。蓋を開けますと、四隅が奉書で包んでございまして、これを広げますと、中には、山吹色の小判がぎっしり。誰でも、驚きますがな。ここから、立て替え分を返していきなはる。駕籠賃の一両を二両で、二両を四両で、十両を二十両で、二十両を四十両で、三十両を六十両でと、倍返し。半返し違いまっせ。「それから、ここの払いは?」「これだけいただいたら、十分でございます。」て、そらそやわ。伊八っとんにも、いくらか祝儀を渡しましたが、後の小判を持って帰るのん、邪魔くさい。撒いてもエエかて。
昔の金の入った小判でっさかいに、これだけの数になると、結構、重たい。そやさかいに、駕籠にも、乗ってはったんやろねえ。持って帰ると重たいのも、よう分かる…。て、そんな気持ち、なったことない、なったことない。そこで、誰ぞに三味線を弾いてもろうて、一段高い、地袋の棚に上がって、撒きましょうと。三味線弾く人にも、祝儀を渡しまして、「用意が出来たら、さあ、いこう。」と、小判撒き。なんと、贅沢な遊びやおまへんか。これ以上のもんは、おまへんで。芸妓や舞妓、太鼓持ちから、仲居はんまで、座敷中の畳の上を這いつくばって、小判を拾う。旦さんは、さも花咲かじいさんのように、小判を撒いて、皆が拾う様子を楽しむ。賑やかに、下座からお囃子が入る中、行李が空っぽになりますというと、「さいなら、ごめん。」と、帰ってしまう。
しかし、綿富でも、どこの誰とも分からんままに、やり過ごすわけにもまいりませんので、伊八っとんを、旦さんの後から、見え隠れに付けて行かす。と、やってまいりましたのは、今橋の鴻池(こうのいけ)のご本宅。こちらへ、入って行ってしもた。しかし、当の鴻池の旦さんでしたら、この綿富へも、お越しになるので、伊八っとんも、お顔は知ってる。そやないさかいに、返って不思議。そこで、思い切って、戸を叩いて、聞いてみることに。中から応対に出てきはった方も、綿富の伊八っとんの顔は知ってる。そこで、尋ねてみると、「あんたとこへ、行たか?福の神の御入来やで。何か、立て替えせなんだか?」と。「へぇ、駕籠賃を一両。」「それ、倍の二両にして、返してくれはったやろ。」と、先を読まれてるよう。二両が四両、十両が二十両、二十両が四十両、三十両が六十両、五十両が…。そこで、断ったと言うと、「アホやなあ。最後まで、立て替えしとかんかいなあ。肝っ玉の太い、お茶屋やというので、ご贔屓(ひいき)間違いなしやのに。しくじってんのやがな。五十両の立て替えしといたら、今度行きはった時に、四斗(しと)樽の中に、おまはんを放り込んで、小判を埋めて、千両箱の重しを置いてもろて、小判のこうこ(香物)に、なり損ねてんねやがな。」て、こら、どエライことでっせ。想像しただけでも、ひっくり返る。一万円札の風呂とかねえ。
そこで、一体、誰かと尋ねると、これが、和泉の食(めし)の旦那、食野佐太郎。一名、“和泉の暴れ大尽”。そら、それぐらいのこと、しはるわ。鴻池さんと、ご親類に当たるらしいので、ここへ入って行きはったんやね。伊八っとんも、店へ帰るなり、帳場の首を締めて、「小判のこうこに、なり損ねた!」て、何のこっちゃ分からん。綿富の主人が出てまいりまして、しかじかと話をしますと、初めてのお客さんでっさかいに、しくじるのも、しょうがない。今度、大阪に来はった時に、何ぞ、埋め合わせをしようやないかと、それとなく、機会を伺っております。
頃しも、ちょ〜どお盆、食の旦那が、鴻池のご本宅にご在宅という、確かな情報を聞き入れまして、綿富では、大阪中の鰹節を買い求めまして、これを、屋台に乗せる。そこに、鳴りもん一式をも乗せまして、伊八が采配を振るう。紅白の引き綱を、北の芸妓が二百人で引っ張って、練り歩く。お練り。練り物でございますなあ。そら、芸妓はんの二百人て、圧巻でございましょう。その道中の、陽気なこと。と、お決まりで、下座から、今度こそは、なんじゃ、聞いたような音。『都囃子』ですわ。北の新地から、今橋を渡りまして、鴻池のご本宅の前で、鳴りもんを止める。「お門元(おかどもと)を拝借いたしますが、ご当家へご在中の、食の旦那へ、綿富から、お中元のおしるしでございます。」と、伊八が言う。食の旦さんも、一体、どんな趣向をしてきよったんかいなあと、窓を細めに開けたところを、目ざとく見つけたのは、そこは、伊八っとん。「ご機嫌よろしゅうございます。」「その節には、えろうお世話になりました。今日は、結構なもん、頂戴しときます。帰りましたら、ご主人によろしゅうな。二・三日経ったら、また寄せてもらいますが、その時は、何を貸してくれいと言うても、貸してもらいますように。」と、今度は、向うから催促されて、下駄を預けた形になってしもうた。
首尾は上々、ご機嫌が直ったようで、一安心。しかし、エライこと言われた。『何を貸してくれいと言うても、貸してもらいますように。』やて。何ぼほど、お立て替えしたらエエにゃろ?二・三日しまして、食の旦那が、鴻池のご本宅を出られたという知らせ。て、何で分かるてか?そらもう、人海戦術で、見張りがズーッと、付いてますがな。道沿いの要所要所にも。綿富でほうでは、もう、伊八っとんが、騒いでる。小判を、そこら中に詰め込みまして、庭の隅には、千両箱が、ドーンと積んだある。「今度こそ、小判のこうこに…」て、わたいも、いっぺんは、なりたい。そんなこととは、つゆ知らず、食の旦さん、せきも慌てもしません、例のごとくに、雪駄の音を鳴らしながら、綿富へ。「今日は、借りたいもんがあって、来ましたんじゃ。」「皆まで、おっしゃいませんように。ちゃ〜んと用意は、出来ております。で、いかほどの、お立て替えで?」「ちょっと、莨の火が借りたい。」と、これがサゲになっておりますな。要するに、今度は、何百両・何千両の立て替えやと思うて、用意してたんですが、単に、莨の火を借りに来たというギャップで、サゲられております。演題に出るので、ま、先に分かるといえば、分かるんですが。食の旦さん、なかなか、おもろい人でんな。
上演時間は、三十分前後は、かかりますね。あんまり短く、説明を省いて、やれるものでは、もちろんございません。といって、説明しすぎると、かえって、冗長になりすぎて、面白味がなくなりますので、なかなかに、難しいお話でございますね。一応、オーソドックスな型を載せておりますが、最初の、冒頭部分で、すでに、食の旦那の素性を明かしておくという方も、おられます。最初から、金持ちということを言っておきますと、後でイヤミにならないからでもございますね。しかし、途中で、素性が分かる所のおもしろさ、意外さがございませんので、その点では、半減しますかな。笑い所も、たくさんあるんですが、お金にまつわるものばかりですので、決して、イヤミとか、不快を与えるものであっては、いけません。ここらが、なかなかに、難しいんでしょうなあ。
冒頭部分、住吉の鳥居前で、駕籠屋はんが、客待ちをしております。そういやあ、今でも、駅前なんかで、タクシーの運転手さん、客待ちしてはりますもんね。車から出て、他の運転手さんとかと、タバコ吸うて、しゃっべったりしながら。そこで、上品な方を乗せて、大阪へ。この駕籠の中の会話、駕籠屋はんを、いたわる様子なんか、なかなかに、苦労人でないと、話せないような様子。エエ場面でございます。この部分があるからこそまた、後の小判撒きが、たいそう活きてくるわけでもございまして。綿富へ着いてからは、伊八っとんの活躍。太鼓持ちではないんですが、ハコ屋はん、お茶屋はん付きの男衆っさん、という感じでも、ないですか?とりあえず、若いもんと。この人と、帳場はんとの、立て替えの額が、段々上がってくるのも、ちょっとした見もの。それを鷹揚に構えております、旦さん。この、お茶屋の帳場とか、会計やとかいうような人、なかなか才覚のある人が、多うございまして、自分の家一軒すぐに建てたり、他の商売で大当たりさせたりしはる方が、私の知ってる限りでも、ちょこちょこ、いはりまんねんで。しかし、さすがに、五十両の立て替えは、出来ないとみえて、お断りすると、旦さんのお手持ちのお金から、倍返し。残りが、小判撒き。しかし、想像しただけで、なかなかに、結構なもんでしょうなあ。
後で付いていくと、鴻池さんかいなあと思われて、実は違って、食の旦那。小判のこうこの話を聞かされて、しくじったと思うのは、やはり、色街の常。普通なら、ここで、放っといたかて、別にエエんですけど、後で、埋め合わせをして、ご機嫌を取り直そうとするあたりがね。お盆に、鰹節の屋台を作って、芸妓はんに引かせての、お練り。これも、想像しただけで、豪勢なもんどすなあ。二百人やて。ここで、「何を貸してくれいと言うても、貸してもらいますように」と、今度は、向うから、言うてもろた。そら、綿富でも、お金・立て替えやと、思いますやん。これが、案に相違しての、莨の火。お茶目な人ですやん。
東京でも、同じ題、同じ演出らしいというか、もちろん、こんな、何とも言えんような話、上方から移入されたものでしょう。あんまり、やられるのを、聞いたこともございませんが、故・八代目林家正蔵氏が、やってはりましたね。所有音源は、故・三代目林家染丸氏、笑福亭松之助氏、故・桂文枝氏のものがあります。一時代前ですと、もう、染丸さんの得意ネタというよりも、誰も、あまりやられるネタでは、なかったように思います。それぐらい、難しいし、演者の腕も要る。この方は、太鼓持ち的な人の描き方が、非常にウマイ方でしたので、このネタも、伊八っとんを中心にして、全くのイヤミがないものでありました。実は、それに引きかえ、帳場はんの、冷静な描き方も対照的で、締まった部分を占めておりましたな。松之助氏のものは、冒頭に旦さんの素性を明かすというもので、こちらも、鷹揚な旦さんぶりでございました。意外と、駕籠屋はんに、面白味がありましたな。文枝氏のものは、どちらかというと、やはり主人公でございます、旦さんの描き方が本流で、腹の据わった、超ご大家ぶりが、よく分かります。近年は、よくやったはりました。
ちなみに、食の旦那、実在の人物でございまして、食野家は、江戸時代に、和泉の佐野を本拠地として、大富豪となった廻船問屋の一族です。現在でも、末裔(まつえい)の方が、実在しておられるらしいですが。
<19.5.1 記>
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