おめでとうさんどす。旧年中は、お世話をおかけいたしましたが、どうぞ本年も、よろしくお願い申し上げます。とうとう、平成の世も、二十年となりましたな。早いもので。今年は、干支が一巡りいたしましての、干支頭、子歳でございます。『干支を頭に、辰寅(龍虎)。勢いのある番号が出よったなあ。』と、思わず、頭に浮かんでしまいますけれども、そらもう、済んでおりますので、何か、子のネズミに因みましたものを。『ぬの字鼠』も、好きなんですが、今月は、『ねずみ穴』をご紹介いたしましょう。ちょっと、正月には、不向きな、暗〜いネタでは、ございますけれども…。
話の始まりといいますのは、そこそこの立派なお店。店の表が騒がしい。何かと申しますというと、ちょっと、みすぼらしい姿で、主人に会いたいと言うて、来てるて。この主人公の名前を聞くと、竹次郎。そら、この家の主人の弟さんでんがな。そやけど、あんまり、みすぼらしい。とりあえず、久々の兄弟対面ということで。しかし、皆様方のご推察同様、たいがい、相場は、知れたあるもん。この二人の兄弟、父親が亡くなって、財産は半分分けということで、兄は、そのお金を元手に、大阪へ出てきて、今では、こんな立派なお家の主。弟は、慣れんお金を手にしたもんでやっさかいに、道楽に明け暮れまして、スッカラカンの一文無し。親から受け継いだ、田地田畑、皆、無くなってしもた。生きててもしょうがないので、死んでしまおうといたしましたが、どうせ死んでも、あの世で親父に怒られるだけ。それやったら、もういっぺん財産を取り戻して、立派になって、死んだろうと。そこで、兄さんを思い出しまして、奉公始めに、この店で、使うてくれて。
そやけど、使われる身では、将来、出世の見込みに、時間がかかる。それよりも、自分で商売したほうがエエて。給金やったら、給金以外に、お金は入って来うへん。自分で稼いだら、稼いだだけが、自分のもんやて。でも、商売も何も、元手が無い。ここらが、ありがたいことで、兄弟の仲、無かったら、貸してやろうと。そこで、紙に包んだお金を、気前よく貸してやります。お店を出ました主人公、歩きもってでも、これを開きますというと、なんと三文。三文しか入ってへん。ここ数日、飲まず食わずで、腹ごしらえをしてからと考えておりましたけれども、三文では、食べることもでけん。バカにしやがってと、悔しがりますが、三文とて、今は大事なお金。これを投げ捨ててしまいましては、元の木阿弥。何を思いましたか、米屋へ入りまして、米俵の上と下を閉めます、さんだわら、さんだらぼっちを三文で買い求めます。あの『日和違い』に出てきます、頭に乗せられたやつでんな。米俵、空き俵の一俵も、買えませんのでね、三文では。元来、お百姓さんでございますので、この手の細工は、器用なもん。これを、ほどきまして、一本一本の、サシというものを作ります。要するに、真ん中に穴の開いたお金を通して、溜めといたり、数を読んだりする。このサシを、商人さんに六文で売る。何回か繰り返しまして、二十四文、これで米俵を一俵買いまして、わらじを作って売る。こんなことをしておりますうちに、コツコツ、コツコツ稼いで、お金が貯まってくる。
現代でも、貯金が趣味の方は、多いようで、貯まってくると、やめられへん。この主人公、裏長屋に住むようになりますけれども、近所の者は、ほとんど顔を知らん。というのも、朝から晩まで、働き通し。朝の暗いうちから、浜へ行きまして、漁師さんの手伝いをする。手間賃で魚を仕入れまして、売りに行く。これが終わると、竿竹を売り歩く。金魚を売る、豆腐を売る、夜には、うどん屋になる。一生懸命、働いておりますというと、世話焼きのもんが放っとかん。縁談がまとまりまして、嫁はんを貰います。二人になって働きますというと、今度は、子供も生まれる。お金を貯めまして、表通りに小さい古着屋さんの店を出す。これが当たりまして、十年経つかどうかというような頃には、天満に間口が六間半、蔵が三戸前(とまえ)もあろうかという、大きな質屋の主人と相成りました。奉公人も、雇うております。立派になりはった。
十二月というような、寒い寒い、風の吹き付ける晩、この旦さん、主人公は、出かけようといたします。番頭に話しますのには、南久宝寺町にいる、兄さんの所へ行くて。しかも、十年前に借りたもんを、返しに。風の強い日でっさかいに、火事やなんかには、特に気をつけてと言い残して、お家を出る。この前から、蔵には、ネズミの出入りするような、ネズミ穴がでけておりますので、火事の際には、これが心配なんですな。奉公人に見送られまして、お兄さんの所へ。今度は、この家の番頭も、顔を憶えてる。早速、主に伝えますというと、奥の座敷へ。話を聞いてみると、借りたもんを返しに来たて。三文。「よう使い込まなんだこっちゃ。」って、ここらが、商人さんですな。お金には、きっちりしてはる。それに、利息代わりというやつで、五両の銭を差し出す。お兄さんも、気持ちが分かっているだけに、受け取っておきます。
この方が言うのには、あの時は腹が立ったであろうと。たった三文で。何で、三文しか、貸してやらへんかったか?それは、あの時、この兄さんが見た主人公は、体じゅうにまだ、道楽が染み込んでたて。ここで大金を渡したら、また使うてしまう。そこで三文だけ入れて、悔しい思いをさして、いくらかでも増やして持って来たら、今度は、何ぼでも、貸してやろうと思うてたて。その後、便りが無いさかいに、放ったらかしにしといたら、人の噂に聞くのには、天満に大きな店を出したて。これが、あの弟やと。「おめでとう、よう頑張ったなあ。あの時のことは、謝る。」「謝るのは、こっちのほうで。」と、そこは、肉親の情、兄弟のことでっさかいに、仲良うに収まりまして、お膳をいただく。積もる話も、いたしまして、お酒もすすむ。夜が更けてまいりまして、主人公は、家へ帰ろうとする。しかし、兄さんは、泊まっていけと言う。風の強い晩でっさかいに、火事が心配で、家へ帰りたい。もらい火というやつもある。しかし、そんなこと気にしてたら、生きてもゆけへん訳でして、もし、火事にでもなったら、今度は、三文どころやない、百両でも二百両でも貸したろうというのを幸いにしたのかどうか、勧められますままに、お兄さんと一緒に、枕を並べて寝てしまいます。
こういう時には、こういうことが起こるのが、話でございまして、ジャンジャンジャン、ジャンジャンジャン、火事やぁ〜。主人公は一番に飛び起きまして、この家の櫓へ。北のほうやと分かりますというと、提灯を借り受けまして、一目散へ、天満の我が家へ。ひょいと見ますというと、真っ赤な炎が、自分の家を包んでおります。今しも、三つの蔵を呑み込もうとするところ。しかし、蔵というものは、厚い厚い壁の漆喰で出来ておりますので、火が入る余地というものは、ございません。側におりました番頭は、ゆうゆうといたしておりますが、主人公が聞いてみますと、ネズミ穴は、ふさいでないと。こら、エライこっちゃ、一番蔵の窓から、煙も出てる。蔵の屋根へ上がらせまして、鳶口で、瓦をめくりますというと、ガラガラ、ガラガラ。やっぱり、火が回ってたとみえまして、崩れ落ちてまいります。二番蔵からも煙が。これもダメ。一つ残っていれば、何とか、やり直せるきっかけにと、三番蔵の戸を開けますというと、これも火の海と。十年の辛抱が、わずかのネズミ穴で、一瞬にして、灰になる。こんなこと、あるんですなあ。
焼け跡を整理いたしまして、仮の小屋を作る。もういっぺん商売をと思いますが、奉公人は、段々、減ってゆく。裏長屋へ引っ越しをいたしますと、気の病というやつでっしゃろか、奥さんが患い付く。正月も前にいたしまして、あの時の言葉を頼りにと、娘を連れまして、お兄さんの家へ。こら、なかなか入りにくいんですが、そこを目ざとく見つけました番頭はんが、ここの主人、お兄さんへと、案内をする。これも言いにくいことですが、いくらかでも、貸して欲しいと。「一両か?二両か?」って、そんなん言われたら、後、言われへん。「すけのうても、四十両か五十両を。」「そら出せんなあ。」「そやけど、お約束を。」「約束?言うた覚えは無い。証拠が、あんのんか?」と、ケンカ別れに、娘を連れまして、お兄さんの家を出てくる。帰り道、幼い娘が、舌も回らんような言葉で、この身を売ってくれと。そんなことが出来るかいと思いながらも、思案の果てに、新町へ。五十両という金と引きかえに、娘を茶屋奉公。何という親やと、自分でも思いながら、心あらずに歩いておりますというと、向うから、ドーンと突き当たってくる奴がいる。「気ぃ付け」と言いながら、見てみますというと、懐の金が無い。スリでんなあ。弱り目に祟り目というやつで、何をやっても、うまいこといかん。そのまま林の中へ入ってまいりまして、手頃な枝を見つけますというと、手拭いを掛けて、「南無阿弥陀仏」。
というような、自分の声と、兄さんの呼び起こす声で、目が覚めた。良かった〜、夢だしたんやなあ。要するに、火事のところから後は、兄さんの所で寝て、夢見たはったんですがな。恐ろしい夢を見たと、今の話を兄さんにいたしますというと、「めでたいなあ。火事の夢は、“燃え盛る”というがな。ゲンのエエ夢や。来年は、身代栄えるぞ。」「兄さん、夢のネズミ穴が気になって、気になって。」「そら仕方が無い。“夢は土蔵(五臓)の疲れ”というやないか。」と、これがサゲになりますな。“夢は五臓の疲れ”という、ことわざに、蔵の土蔵をかけてあるんですな。あんまり耳にしないフレーズではありますが、要するに、夢を見るのは、五臓の、体の中が疲れているから、ストレスが溜まっているから、という風な、昔の人の言い草なんでしょうなあ。私も、この落語で、初めて知りました。
上演時間は、三十分前後。そんなに縮めて、短くやれる話では、ございません。そして、極端に笑いは、すけのうございまして、寄席なんかよりも、出しもんの決まっているような、何か特別な落語会向きですな。笑いどころは、ほとんどございません。サゲは、付いておりますが、落語というよりは、むしろ、お話といったほうが、イイように思いますね。ですから、会話もさることながら、説明の、“地”の部分も多い話でございまして、派手好みのお客さんなんかには、ハッキリ言って、不向きでは、ありましょう。シブ〜イ感じですので。しかし、爆笑ネタばかり続く落語会の中で、キュっと締める意味のあるネタでも、ありますな。冒頭は、一文無しの主人公、竹次郎が、大阪で成功した兄さんを訪ねる場面。追い払われると思いのほか、意外と、あっさりと対面してくれて、しかも、お金も貸してくれる。この冒頭部分の、主人公の描き方も、難しいもので、お金は無いけれども、道楽者であるところを残しているというような、ちょっと複雑な雰囲気ですもんな。渡されたのが三文。しかし、『時うどん』やおまへんけれども、三文の銭でも、地べた掘ったさかいというて、出てくるもんやなし。ここで、一念発起いたしますのが、この話のエエところで。わらしべ長者でもございませんが、さんだらぼっちから始まって、朝から晩まで働くようになる。文章中にも述べましたが、貯金は、趣味にもなりますからな。貯める方は、もっと貯める。筋トレが趣味の方なんか、もっと筋肉付けたがる。へぇ、一緒にせんといてくれてか?家庭も持ちまして、天満に蔵が三つもあろうかという、大きな店の主人となる。
とある晩に、兄さんにお金を返しに行きますが、風の強い日で、火事が気になる。蔵のネズミ穴がね。あんなけ分厚い漆喰でも、ネズミは、穴開けよるんですなあ。兄さんの所で、十年前の、いきさつを述べられまして、和解いたします。と、ここまででしたら、ほん美談で終わりまんねけれども、まだまだ話は続きます。久々に、兄弟が枕を並べて寝る。ここからが、実は、後で分かる、夢の話。夜中に火事が起きまして、家は丸焼け。蔵は、ネズミ穴から火が入って、どうしようもない。この、蔵の崩れ落ちる所なんか、場合によっては、この話の、一番の聞きどころとも、なりますな。後は、お定まりの裏長屋へ。ここら、『帯久』と、ちょっと、重ならんことも、ないように思えますが。兄さんにお金を借りに行きますが、突っぱねられる。しょうがなしに、娘を身売りして、また、それを取られる。どうしょうもなくなって、首をくくる…。所で、目が覚める。そして、サゲになりますね。ま、良かった、良かった、めでたし、めでたしで、終わるんですな。
しかし、どう考えても、落語のネタには、なりにくい系統の話のようにも、思えるんですがね。これはもう、じっくりと語って聞かせるというタイプの話ですな。ですから、上演頻度も少ないですし、滅多に出ません。お客さん付いて行きはれへんかったら、どうしようもないようなことに、なりまっさかいになあ。その割りに、難しい話なん違います?東京でも、同じ題、同じ内容です。というよりも、この手の話は、東京もん、江戸もんでっしゃろ。おそらく、東京から移入されたもんなんでしょうなあ。古くは、六代目の故・三遊亭円生氏なんか、やってはりました。近ごろでは、橘家圓蔵氏や柳家花禄氏のものを、いつでしたか、聞きましたね。それでも、東京でも、珍しい部類に入るネタでは、ありましょう。圓蔵氏は、持ち前の明るさで、笑いも取ってはりましたわ。花禄氏なんか、この、蔵のつぶれる所、真に迫った勢いで、良かったですよ。笑いは、ほとんど、ございませなんだけどね。また、無くても、許されるんですな。
所有音源は、桂福團治氏のものがあります。というよりも、残念ながら、上方では、氏のものしか、私は聞いたことがございません。マクラで、“おもろない話”と言われているだけあって、本当に、笑いとしては、乏しい。しかししかし、やはり、話、ストーリーとしての、聞きどころがございますので、退屈しないままに、最後まで聞かせていただけます。『しじみ屋』とか『南京屋政談』なんかでも、そうですが、福團治さん独特の間と申しますか、語り口、話の持って行きようで、これがまた、シブ〜イ味ですにゃわ。もちろん、お笑いの多いネタでも、おもしろいですよ。やっぱり、お客さんを飽きささない、腕の要る話ですのでね。
滅多に聞く機会は、無いかも分かりませんが、それがまた、マニアには、エエのんですかなあ。ちょっと陰気くさ〜い話からスタートしてしまいましたが、今年も、エエ歳にしたいものですね。気持ちの持ちよう一つですから。
<20.1.1 記>
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