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しつけについて

※中に出てくる『』の本は、育児書のページで紹介しています。

トイレトレ 食べ物の好き嫌い しつけの方針は統一すべき? あいさつ
4歳になって思うこと

まだ小さいうちは、思うとおりに行動させてあげていていい。よちよち歩きの赤ちゃんに、まだものの道理もよく分かっていないのに、「公共の場所ではどうのこうの」など言う人はいないはず。でも2歳に近づいたとたん、世間も要求してくる「しつけ」・・・。
まだ2歳ですが、成功と失敗がありました。

まずは成功から。

うちの子はじっとできないタチで、1歳を少し過ぎた頃には、電車の中でもあっちこっちと歩き回っていました。自由にさせておかないと泣くので、泣かせるよりは、そんなに混んでいない車内を歩かせたほうがいいだろうと思って好きにさせていたら、おばあさんに「イヤミ」を・・・。
子どもを持って、赤ちゃん好きなおばあさんは多いけど、嫌いなおばあさんもそれと同じくらい多いということを知りました。絵本を持ち込んだり色々したけれど、なかなかいい子にはしていてくれない・・・。1歳半くらいを過ぎるとしつけをしたほうがいいと聞くし、どうすべきなのか!?と思いつつ、ラムネ菓子でつっておとなしくさせているうちに、落ち着いてきて、マナーよく座っていてくれるように。20分くらいなら、車内を観察しながら、どこの子かと思うくらいおとなしくしていてくれます。
これは成功というより、子どもに助けられた感じですが・・・。
『子どもへのまなざし』によると、家庭の中できちんと要求を満たしてもらって、生活に満足できている子は、外ではいい子にしているものだそうです。子どもにはちゃんと「きちんとしたい」という欲求があって、自分が普段満たされていれば、きちんとするそう。
うちの子も、1歳過ぎたくらいの頃には、まだ好奇心だけがあって、よその人なんてあまり目にも入らず、うろちょろしていたけれど、だんだんと車内での様子、みんなのマナーなど全体が見られるようになって、おとなしくできるようになった気がします。
家ではなるべく要求を満たすようにしています。いやだなーと思うことでも、やりたがれば気の済むまでやらせたり・・・(はさみで紙を切るとか、石鹸でエンドレスで手を洗うとか、小さなときにはティッシュを出し続けるとか・・・)。

次は失敗です。
おっぱいをやめてから、少しすると、夜になって眠くなると、私の鼻を噛むようになりました。痛いし、やめて欲しかったので、怒るようにしていました。そうすると我慢する様子をみせはじめて、噛まなくなりました。少しすると、今度は夜になって眠くなると、私や夫の顔面を叩くようになりました。時期はちょうど1歳半くらい・・・そろそろしつけしなさいと言われる年頃・・・。
でも悪気があって叩くという風でもなく、眠いと叩いてしまうだけで、しつけって言われてもよく分からず・・・大先輩ママたちに聞いてみました。返事は「いくら小さくても、悪いものは悪いと教えないとだめ」「今のうちにしつけしないと」「叩き返して、痛いということを教えないと。そうしないと、そのうち外でも友達とかにするようになると大変」。
それもそうかもと思い、叩かれたら、その度に「だめだよ」と諭し(育児書によく、何度も繰り返して言うことが大事とあるし)、時には叩き返して「痛いでしょ。嫌でしょう。叩かれると痛くて嫌だから、叩いたらだめ」と・・・。けれどなかなかやまず、何ヶ月かしてやっと叩かないように。けれど少しすると、今度は、自分を叩くように。眠いときではなく、自分が誤ってこけて、父に頭突きするような形になってしまって、父が「いたい」と思わず言ったとき、見ると娘は自分の眉の辺りを繰り返し叩いている・・・。あと、食卓に上ったりして軽く怒られたとき、自分で自分を叩き始める・・・。どうも自分を悪い子と感じるようなことにであうと、自分を叩いてしまうみたい・・・。
失敗でした。しつけしないと、という一般論を信じすぎていた。今も回数は減ってきたけれど、時々自分を叩いています。失敗の原因は、しつけについてちゃんとした持論もなかったこと、先輩ママたちを正しいはずと思っていたこと。
最近になってやっとHOWTOものじゃない育児書を読むようになって、子どもを修正してあげないといけない対象だと思っていたのが間違いだったと気づきました。そうじゃなかったのに・・・。
『お母さんはしつけをしないで』『子どもへのまなざし』『子どもの「泣く理由」が分かる本』(⇒育児書)など読んでおくべきでした。そうしたら『子どもへのまなざし』にあるように、痛いから叩かないでというメッセージを言葉だけで送り続けながら、叩かなくなるのを待ってあげられたのに。『子どもの「泣く理由」が分かる本』によると、悪いことだと分かっているのにやってしまう子どもの行動は、助けて、の意味合いが強いそうです。だからそういうときには、体でとめてあげるといいそうです。
うちも赤ちゃんのときから眠いのが苦手で、眠くなると安心を求めておっぱいを欲しがって泣くばかり。そのおっぱいを失って、きっと助けて、の意味合いで母や父を叩いてしまっていたはず。体でとめてあげないとだめだったのに、うちでは叱咤して、叩いたりもして・・・。ぎゅっと抱きしめることで、叩けなくしてあげればよかった。そうしたらもっと早く叩くのをやめただろうし、自分を叩くようになどならなかっただろうに・・・。
しつけについて、全く分かっていなかったです。本を読んで、やっと分かったのですが、しつけというのは、すぐにやめさせるとか、させるとかいうものではなく、どうして欲しいかを、いつできるようになるかな、と楽しみに待ちながら、何度も繰り返し言葉で伝えるものなのだそうでした。
先輩ママを正しいと思いがちだけれど、しつけについては何十人育てていたって決して正しくできているとは限らない(というか、たいていはできていない)のでした・・・。だから、ある程度大きくなると「全然言うことを聞かない」となっているわけで・・・。小さいとき言うことを聞いていたのは、しつけが成功していたのではなくて、単に暴力やきつい言葉で支配できていただけ。それに気づかずにいる先輩ママがとっても多いです。それに、過ぎてしまうと小さなことや時間の経過など忘れてしまうものなのでした。実は3歳では叩いていたけれど、2歳では叩いていなかった、というような場合でも、年月が経つと最初から叩いて育てたような気になって、2歳でも1歳でも叩かなきゃ!とアドバイスしていたり・・・。そういう先輩ママの言葉を鵜呑みにするのは恐ろしいことです。

失敗もしましたが、このせいで、体罰容認派だった夫も「子どもは叱るだけではだめなんだな」と反省・・・。叩かない父になりました。そのことはよかったかな。今は子どもが自分をたたき出したら、「たたかなくていいよ」と体で止めて、全く叩かなくなる日を気長に待っています。
⇒2歳半ばで全く叩かなくなりました。

※後に『子どもの「がまん」を育てる本』『その子育ては科学的に間違っています』等読んで、しつけは0歳こそが大事という考えに触れました。その考えにも、是非0歳で出会っていたかった・・・ ⇒しつけ特集参照

トイレトレ
トイレトレですが、『子供へのまなざし』によると、これも自分でトイレに行くようになる日を楽しみに待ちながら、根気よくトイレでしようねとただ言い続けていたらいいみたい。脅したり諭したりなだめたり意地になったりしなくても・・・。しつけによって自律心(自分で決める力)を妨げるのはもってのほかだ(トイレに行くようになる時期も自分で決めさせてあげればいい)という考え方に賛同。
うちは家にいるときは布パンツにして、外に行くときは布パンか紙おむつか自分で決めさせ、布パンツを選んだときには、うるさくない程度にトイレ大丈夫?と聞いてあげる、というふうにしました。家ではほとんど聞きません。失敗したら、「失敗しちゃった? トイレでしたら格好いいよ。大人みたい」とか毎回言って・・・。
うんちはトイレではしたくないタイプ。パンツでううん、ときばっていますが、自分でトイレでするようになるのを決めさせることにして、黙認しています。
⇒後日談。珍しく外出先でぱんつにウンチをしてしまった娘、すぐにパンツを替えられず、ちょっとおしりの穴周りが赤くなって痛くなったみたい。「ウンチのバイキンにやられたんだね。トイレですると大丈夫なんだよ」と言ったところ、よ〜く分かったらしくて、その後一切パンツでうんちしなくなりました。「うんちうんち!」とトイレに行きます。いったんトイレですると自分で決めちゃえば後は簡単。
3歳になる頃、おしっこも家などではもう自分からトイレに行ってもらさないけれど、公園などで遊びに夢中!になっているとおもらししちゃうことが・・・。念のため着替えはしばらくは持ってた方がいいかな。

食べ物の好き嫌い
食べ物の好き嫌いは容認派です。なにかで「異性に対する好き嫌いが無いと無節操なように言われるのに、食べ物の好き嫌いはあるとダメみたいに言うのは変だ」というような文章を読んで(松田道雄著だったような)、納得。それに、有名な話ですが、子供のときは舌の感覚が敏感で、野菜のえぐみや苦味も大人とは比べ物にならないくらい分かるらしく、大人は鈍感になっているから食べられるだけの話。無理強いは酷だと思うし、今の時代、別にそれを食べないと栄養失調になる、というわけでもなく、嫌なものを無理に食べさせたり、なだめすかしたり、食べさせるために親が色々時間をかけて工夫を凝らしたり・・・わざわざそんな苦労しなくてもなあと思います。
それに子どもはかなりの美食家。ちゃんとだしをとって美味しく作ると食べたりします。もしかすると料理の腕のせいかもと考えるのも大事かも。

しつけの方針は統一すべき?
よく書物で「周りの人のしつけが同じじゃないと子供が戸惑うから、しつけするときは同じに」というような文章があります。これもうちは「そんなことないだろ!(ツッコミ)」派。これは嫌だからして欲しくないということは人それぞれ違うだろうし、それをわざわざ子供のために統一するなんておかしな話だと思います。食卓で、父は右手で食べろと言い、母は左手で食べろと言う、みたいな極端な差異なら統一したほうがいいだろうけれど・・・。
うちも父(夫)と母(私)で違っているけれど、子供もちゃんとこれは父が怒ること、これは母が怒ること、みたいに分かっています。それで戸惑うなんてことはないです。始終叱られていたり、性格とかで、怒られることにかなり敏感になってしまっている子なら、戸惑ったりもするのかな? 普通の子供はそんなことで戸惑ったりしない柔軟性を十二分にもっています。まだ小さいうちなら最初だけはちょっと戸惑ったりもするかな?
その代わり父が母は怒らないようなことで子を叱っているとき、母は立ち入りません。「それくらいいいじゃない」みたいなことを口出しすると、子は最初戸惑って、それからつけあがるんじゃないかな? うちは「みんなそれぞれの言い分で怒る権利がある」流派です。「父が叱ること」で父に叱られているとき、3歳になったばかりの娘は父の前で正座させられて、小さくちょこんと座って神妙に聞いています。それを少し離れたところで聞きながら後片付けを始めたりする母でした。

あいさつ
あいさつは、身近な大人がやっているのを見ているうちに子供もやるようになることだそう。うちも2歳半ばくらいから母を真似て「おはよーごじゃます」と後ろで一緒に言うようになりました。恥ずかしがりやさんはなかなかかもしれないけれど、挨拶するものだ、ということは分かっているはず。あまり無理強いしてもかえって言えなくなるから、親が代わりに言ってあげておいたらいいかも。
「ごめんなさい」は、本当に申し訳ないっていう気持ちが芽生えてから、その気持ちに言葉を付けてあげる感じで教えるといい言葉だともききます。そうじゃないと、反省もせずに安易に使うようになる、とか。でもうちは、こっちが腹がたっているとき、「ごめんなさい」と一言言ってもらうと精神面ですごい楽になるから、早く覚えて欲しくなりました。それで「ごめんなさい」を言ってもらうようにしました。
それまでに家庭の中で使われるのを聞いていたし、どんな時に使うかはもう学習済みのようでした。だからすぐには「ごめんなさい」を言えないこととかもあるし、決して安易に使うようにはならなかったです。安易に使うようになるかどうかは覚えさせる時期じゃなく、周りの大人のごめんなさいの使い方、扱い方によるのじゃないかなぁと思います。

※4歳になって思うこと
思えば、躾といっても良くわからず、右往左往しているうちに4歳になりました。今になって思うのは、「しつけ」「しつけ」と難しく考えることは何もなかったな、ということです。ただ、今のまま(トイレで排泄しないetc.)では困るから、そういうこのままではお互いに困る、ということを、困らないところにまでゆっくりもっていくこと、それだけだと思います。
その月齢月齢で、その月齢らしさがあるから、それを大事にしながら、一緒に暮らしていくこと。年配の人や、とっくに子育てを卒業したような人たちは、1歳でも2歳でも3歳でも、同じように躾けようとする傾向にあると思います。私もまだ2歳になるかならないかの頃でも、「じっとするように今からしつけしないでどうする」的なことを言われて、そうすべきなのかと困ったりもしていました。けれど、2歳でじっとしないのはしょうがない。2歳の時は好奇心が勝ち、3歳になったら公共心やちゃんとしようって気持ちが勝ち、そうやってその年齢らしさを経由していくものだから、やっきになって躾けようとはせずに、ゆっくりゆっくりもっていってあげればいいのだと思います。
あとはただ、家族の中の小さな一員として、普通に接していればいい。小さいからと甘やかすこと、誉めそやすこと、しつけなきゃあと必要以上に厳しくすること、いちいち何かと口出し、手出しすること。そういうことなく、子どもの自由であるはずの部分は子どもに任せて(何を使って、どのようにして、いつまで遊ぶかなど)、助けを求めてきたときだけ、その部分でだけ手助けし、けれど家族や社会の一員として迷惑なところはきちんと我慢させる。それだけでいいのだと思います。
泣くというのは小さい子にとっては気持ちのいい、ストレス発散。ダメと言われたときにも、わあわあ泣くことで我慢し、我慢のストレスを発散しています。それなのに間違って、泣いているからといって思い通りにしてあげることや、泣くな!と泣かせないことは、誤りだと思います。最初のうちに間違ってしまうと、だんだん気持ちいいはずの「泣く」という行為が、ストレス発散のためのものじゃなくなり、相手を言いなりにするためのものや、自分の中の否定すべき部分になってしまうように思います。4歳になった娘は、いい泣きっぷり。うわああ〜んと天に向かって泣いて、けれどその後はさっぱりしているようです。きっぱり我慢する。「だめ」と言われたことはだめなんだ、と学んできているし。けれど時々見るのは、親が言うことを聞いてくれるまで泣き続ける子(そういう子の親は怒りつつも最後には言いなりになっています)、親に「だめ」と言われると、何も感じていないみたいに、ぱっと無表情に親の言うことを聞く子。どちらも可哀想な気がします。
4歳になってくると、もう人格が確立していて、今更あれこれ変えようと思っても難しいみたいです。正に「三つ子の魂100まで」でした。3歳までに変に甘やかせ(泣いたら最後には言うことを聞いてあげるとか)、誉めそやしなどして育てられた子は、謙虚な素直さを失っている気がします。お姫様・王子様みたいに親を見下していたりする。そしていちいち口出し手出しされて育てられた子は、いまいち好奇心に乏しく、自分のやりたいことをやりつくすという意欲や自信を失っている気がします。
3歳までのしつけで大事なのは、この謙虚な素直さと好奇心を失わせない、ということに尽きるのじゃないかと、4歳になって思うようになりました。他の子ども達も見ているうちに。謙虚な素直さと好奇心があれば、4歳からは、自分で勝手に育っていってくれる気がします。素直な謙虚さで人の言うことにも耳を傾けながら、好奇心をもって自らいろんな経験を積んでいってくれるから。
4歳といってもまだまだ子ども。駄々をこねたりもしますが、「聞きたくない」と一言言えば、自分で考えて、自分から反省している。3歳までに謙虚な素直さ、好奇心を失わせていなければ、4歳からの子育てはむちゃくちゃ簡単だと感じます。けれど反対に、3歳までに謙虚な素直さ、好奇心を失ってしまっている子どもは、末恐ろしく、大変そうです・・・。
あと、親がやっていることを0歳、1歳、2歳・・・とずっと見ていて、それが当たり前になっている。0歳の時から、人に挨拶し、脱いだ靴はきちんとそろえ、食事の前には手を洗う、そういう親をみてきていたら、それを当たり前と思って育つ。でもそうでない親を見ていたら、そんなことは、3,4歳で躾けようとしても身につかない・・・。親は子をどうにかさせようとするのじゃなく、0歳から正しい姿を見せておく、それが大事なんだと思います。(うちは失敗しました!)
子育てしている中で考えたこと よろしければ・・・

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