厚木(依知)の古墳
中依知古墳群・下依知古墳群 (厚木市中依知・下依知)
墳形 : 円墳
規模 : 径10〜20m程度
築造 : 6世紀後半以降
中依知・下依知地区には、群集墳があった。群集墳には古いものもあるが、一般的には6世紀後半以降、長期間にわたって造営される小規模な円墳群を言う。古墳に葬られる階層が広がるとともに、その家族も続々と葬られたと考えられる。横穴式石室には何人もの遺骸が葬られた(追葬と呼ぶ)。
きわめて大規模な群集墳もあり、有名な新沢千塚古墳群(奈良県橿原市)などは、まるで古墳の波の中を歩いているような気持ちになるほど、小円墳が群集している。
西相模には小田原市久野、伊勢原市日向に群集墳があるが、厚木市依知の群集墳は県内有数のものである。今でもその雰囲気を感ずることができる。
写真は依知地区89号墳。6m×13m、高さ1・5m。依知中学校グランドのすぐ北側。このあたりの中依知地区の古墳群を「桜樹(さくらぎ)古墳群」(桜樹古墳という、荒れているがやや大きな古墳がある)と呼び、今までに23基が確認されている。さがみ縦貫道関連工事により近年変貌が激しいが、このような古墳が依知には残っている。
中依知遺跡1号墳(依知地区86号墳)の石室 (2002年7月撮影)
さがみ縦貫道路建設のため、中依知の群集墳の一部が「かながわ考古学財団」によって調査された。10mほどの円墳を発掘したところ、左の写真のような石室が現れた。小円墳といえども、かなりの労働力を必要とすることがわかる。
場所は、依知中学校グランドのすぐ北。2003年12月までの調査で、この地点で7世紀代の8基の古墳が調査された。4号墳からは、短刀4・鉄鏃・刀子(とうす=ナイフ)・ガラス小玉が出土。5号墳は石室の床面が一段低い地面の下に掘られたもの(相模に多い、半地下式の石室)であることが判明した。
この古墳群の西方の台地上に国道129号線と「横須賀水道みち」があるが、その台地の崖から4基の横穴墓が発見された。古墳群よりやや後の時代のものと考えられる。発掘時に見学した際には人骨が出土していた。
また、中依知遺跡1号墳のすぐ近くからは、中世の地下式坑群が12基発見された。
地下式坑とは、井戸状にまっすぐ2〜3m掘り下げて(たて穴)から、横に部屋(地下室)を作るもので、墓とも貯蔵庫とも言われ、用途は解明されていない。2号地下式坑からは渡来銭(中国貨幣)が1万枚も発見され、評判となった。
稲荷山1号墳 (厚木市下依知字仲道)
規模 : 径35〜40m(推定)
築造 : 5世紀
周溝から土師器片が出土。仲道公園の一角。説明板はない。現在見る姿は、1辺8m、高さ1・5mの不整形。調査後復元。
発掘調査では周溝から大量の土師器片が出土した。しかし、埋葬施設は確認されなかったため、石室ではなく、吾妻坂古墳のように木棺直葬の可能性もある。遺物は厚木市郷土資料館に保存されている。
墳頂に黄色い木柱があり、「丹沢山頂まで19km」「太陽まで……km」と書いてある。意表を突いた、とてもいいアイデアだ。真下に道標を向けて「古墳時代まで1500年」とやったら、もっとおもしろいだろう。遊んでいる子どもたちが歴史を感じるためにも。
吾妻坂古墳 (厚木市下依知)
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墳形 : 円墳
規模 : 直径55〜60m(西相模随一の規模)
築造 : 4世紀末〜5世紀初め
3基の埋葬施設(主体部)があり、割竹形木棺(半裁した丸太をくりぬいた棺)2基、組合せ式木棺1基。
倣製斜縁四獣鏡・鉄剣・玉類など副葬品が豊富。南側は道路で切られて擁壁で囲われ、西側は工場、北側は住宅が迫って、変形を受けている。
市の説明板あり。
倣製斜縁四獣鏡の写真は『相武国の古墳』
(平塚市博物館、2001.7刊)より
大久根古墳 (厚木市下依知)
墳形 : 方墳
規模 : 一辺18〜19m(推定)
築造 : 4世紀後半〜5世紀前半
土師器壺が出土。内部施設は未調査のため不明。
現在見る姿は、1辺8m、高さ1・5mだが、下から見上げると十分な高さと広がりがある。
稲荷山1号墳のすぐ南のやや広い道路を西へ500m行った位置。「大久根公園」という児童公園の中に保存されている。相模川の氾濫原に接する低い段丘上にある。



