日向,三ノ宮地区/伊勢原市 散歩コース
お勧め散歩コース
伊勢原(日向・三ノ宮)地区散歩コース (散歩マップ)
伊勢原駅北口
日向薬師行き
|
(バス 20分)
|
高部屋小学校前バス停
|
(徒歩 2分)
|
鎧塚古墳群
|
(徒歩 20分)
|
太田道潅胴塚
|
(徒歩 5分)
|
上行寺(じょうぎょうじ)
|
(徒歩 10分)
|
野首古墳
|
(徒歩 15分)
|
松山古墳
|
(徒歩 10分)
|
比々多神社[三之宮郷土博物館・三ノ宮3号墳]
|
(徒歩 3分)
|
らちめん古墳
|
(徒歩 13分)
|
吉川醸造(きっかわじょうぞう)
|
(徒歩 3分)
|
神戸(ごうど)バス停
|
(バス 10分 または 徒歩 25分)
|
小田急線鶴巻温泉駅
太田道潅胴塚
江戸城を築いたことで有名な道潅は、扇谷(おうぎがやつ)上杉氏の執事として活躍したが、主君の定正に疎まれ、文明18年(1486)糟屋館(産能大学のところ)に招かれて謀殺された。入浴中に襲われ、「当方滅亡」(こちらは滅びるぞ)と叫んで息を引き取ったという。胴塚の前に、応仁の乱で京を追われた連歌師心敬の句碑「雲はなほさだめある世の時雨かな」の句碑がある(「雲も」と誤刻されている)。
。
上行寺(じょうぎょうじ)
昭和38年、港区芝高輪から移転した。徳川家と縁が深く、芭蕉の門人として有名な宝井其角(きかく、榎本其角)、将棋家の大橋宗桂(そうけい)、幕府奥医師の桂川甫周(ほしゅう、『解体新書』の訳者)らの墓がある。甫周の墓石は桂川家墓域の左奥、「雷普日震」の法名を刻んだもの。大橋宗桂の墓石は将棋の駒の形をしている。芝生の美しい明るい寺だ。
宝井其角の墓
其角は芭蕉の最古参の高弟。その俳句は、芭蕉の「閑寂」に対して、「伊達(だて)」(=はなやか)を特色とする都会風のものであった。大酒のみで宴席や遊里に親しみ、時代の風物を好んで取り上げた。
越後屋に衣さく音や衣更(ころもがえ) ※越後屋は今の三越
また、奇抜な発想を得意とし、
切られたる夢はまことか蚤の跡
などは、藤原定家にも似た技巧の句として、芭蕉から高い評価を与えられた。
大山参詣の折に、伊勢原で「横雲やはなればなれの蕎麦畑」の句を詠み、かつて心敬の住した浄業寺にも立ち寄り、茶を振る舞われている。
ロシアで名を知られた桂川甫周
上行寺に墓所がある桂川甫周(かつらがわほしゅう、1751〜1809)は、前野良沢・杉田玄白と並んで『解体新書』の訳者の一人。
玄白の『蘭学事始』(岩波文庫)には、甫周の優秀で若者らしい快活さが活写されている。
寛政4年(1792)、ロシア使節ラックスマンが漂民大黒屋光太夫(こうだゆう)を護送して通商を求めた。
将軍家斉は光太夫を引見し、甫周が取り調べの役を仰せつかった。
「ロシアでも日本のことを知っているか」という問いに、光太夫は「日本人にては桂川甫周様・中川淳庵様と申す御方の御名ばかりはいづれも存じ居り申し候ふ」と答えた。甫周は自分の名が飛び出たことに驚き、かつ得意だったろう。彼らは蘭医ツンベルクから教えを受けたため、その『日本紀行』によって名を知られたのである。
光太夫の事蹟は、井上靖『おろしや国酔夢譚』(文春文庫)にいきいきと描かれている。
三之宮比々多神社・三之宮郷土博物館
10世紀初頭の『延喜式』に名の載る神社を「式内社」と呼ぶが、その一つで、相模の国の「三の宮」である。
境内裏に、縄文時代住居址(配石遺構)と三ノ宮3号墳石室が移設されている。
宮司故永井参治氏は考古資料の遺存に多大な功績のあった人で、昭和28年、神社の一角に「三之宮郷土博物館」を開いた。登尾山(とおのやま)古墳・尾根山古墳・栗原古墳・らちめん古墳などから出土した武具・馬具・玉類・須恵器等が展示されている。
見学料200円。ぜひ見学したい。
ちなみに、一の宮は寒川神社(寒川町)、二の宮は川勾(かわわ)神社(二宮町)。
一の宮と二の宮との争いを三の宮が収める「座問答」の神事が、5月5日に大磯の国府新宿の神揃山(かみそりやま)という小丘で行われる。一見の価値がある。
−三之宮比々多神社・三之宮郷土博物館へのリンク−
三之宮比々多神社公式ページ
吉川醸造
芳醇な味わいの銘酒「菊勇」の醸造元。昔ながらの蔵で、酒造りの粋が感じられる。
数日前に申し出れば、見学・利き酒可能。11月から3月、特に1・2月がよい。比々多神社から600m、神戸バス停への途中で、東名高速のすぐ南。高い煙突が目印。
住所:伊勢原市神戸681
電話:0463−95−3071



