小田原(久野)の古墳
久野1号墳 (小田原市穴部)
規模 : 径39m、高さ5.9m
築造 : 6世紀半ば以前(推定)
西側の周溝幅12m。周辺にいくつもの陪塚があったと言われる。道路から見える畑の中に残っているものもある。箱根外輪山の裾野、久野諏訪の原丘陵の東端に位置し、平野を広く望む絶好の位置にある。その立地から久野古墳群最初の首長墓と考えられる。
大雄山線五百羅漢駅から約15分。駅のすぐ北側の踏切を渡り、S字カーブの急坂を登りきったところ。道標あり。木立が生い茂っており、墳形がわかりづらい。墳丘に登ることは不可能ではない。

久野4号墳 (小田原市久野)
墳形
: 円墳
規模 : 径20m、高さ4m(復原)
築造 : 古墳時代後期(7世紀)
調査後、径20m、高さ4mだとして復原。墳丘には葺石が施されていた。お供え餅のように2段に築成されており、上段の径は10m、上下段の裾には外護列石がそれぞれ施されていたようだ。
河原石積みの横穴式石室は、奥行き約7m、幅約1.5m、高さ2mで、床面には礫が敷き詰められ、長さ2.5m、幅1mの板状の石が置かれ、棺座の役割をしていたらしい。
南側に見学用の階段が設置され、鉄柵越しに石室の内部を覗くことができる。懐中電灯を持参するとよい。道標あり。
久野15号墳 (小田原市久野)
墳形 : 円墳
規模 : 石室は奥行き5.8m 最大幅2m
築造 : 古墳時代後期

4号墳で墳丘と石室を見、15号墳で横穴式石室を上から覗けば、古墳の全体がわかろうというもの。
石室の大きさは、奥行き5.8m、最大幅2mで、羨門に向けてやや狭まる。真ん中がふくらんだ、胴張りのある舟形石室の特徴をよく残すということで、史跡保存されている。道標あり。
4号墳のあたりから15号墳のかなり先まで、道路の南側のみかん畑や木立の中に、古墳の残骸が点在している。あるものは畑の隅にあって木を茂らせ、あるものは石室の広さほどの石材を露出し、またあるものは径数メートルのいびつな円形を残している。しばらく歩くだけで、十数基を数えることができる。「群集墳」といって、古墳時代後期のもの。
これらを含めて「久野古墳群」(久野諏訪の原古墳群)と呼ぶ。
総世寺裏古墳 (小田原市久野)
墳形 : 円墳
規模 : 石室は長さ6m、幅1.3m
築造 : 7世紀初頭
総世寺の真裏の広域農道脇にある。1984年に道路建設に伴い調査されたが、既に墳丘を失っていた。久野古墳群の他の円墳と同様、河原石を用いた横穴式石室(長さ6m、幅1.3m)で、床面は造営時のものと、追葬時のものの2面が確認された。
遺物は豊富で、須恵器(提瓶・長頚瓶・平瓶など)・金属製品(直刀・刀子・鞘尻・留金具・銅鋺・銅環など)・玉類(勾玉・切子玉など)300点。特に県下6例目の出土例となった銅鋺が注目される。
出土した須恵器から、600〜610年に古墳が造られ、630年頃に2度目の埋葬が行われた、と考えられている。葬られた5体の中に、武具を中心に副葬するものと玉類を中心に副葬するものがあり、男女の違いと考えられる。つまり二代にわたって家長夫妻が葬られた可能性が高い。



