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欧米の環境保護団体が、日本の捕鯨船にテロ行為を繰り返したことが、新聞の紙面を賑わせた。鯨が食文化の一部を占めてきた日本と、そうでない欧米との文化対立の側面は確かにあるが、もう1つの根本的文化的側面があることは見逃されている。
さて、欧米と日本が捕鯨問題でお互いの対立する主張をぶつけたとき、どちらが勝つ勝算が高いだろうか?答え:欧米が圧倒的に有利である。なぜだろう?欧米の主張の方が、道理にかなっているからではない。道理は圧倒的に日本側にある。では、日本がなぜ負ける可能性が高いのか?それは、欧米とアジア人の文化・文明の質がまったく異なっているからである。
日本は勝てない。なぜなら、日本側の主張は、自国の捕鯨文化を禁止されないように守ることが目的だからである。他方で欧米側の主張は、自分たちの鯨についての価値観を守ることが目的ではない。自分たちの鯨についての価値観を日本人にも同じように共有させることを目的としているのだ。この違いがお分かりだろうか?
日本人は世界中の人たちが、鯨を捕獲するばかりか、鯨を調理して食べることを求めるだろうか?国際機関を作って、鯨文化の普遍性を主張するだけでなく、それを全世界に広め、全世界の人たちが鯨を食べるように強要するだろうか?するわけがない。日本人は、自分たちが食べれればそれで満足なのだ。他国の人たちが、食べようが食べまいが、そんなことには無関心である。したがって、議論の中心は、自国の防御のみである。
ところが、欧米人は違う。彼らは、世界中の人たちが、自分たちと同じクジラ観を持つように回心させようとして努力しているのだ。つまり、綱引きで例えれば、日本はスタート地点に自分の位置を保つことを目標として綱を引いているが、欧米は相手を自分の陣地内に引きずりこむために綱を引いているのだ。この綱引き、どちらが有利だろうか?引っ張っている力の入れ具合いがそもそも違うのだ。ボクシングの例で言えば、日本は引き分けを目指しているが、欧米はノックダウンを目指して戦っている。どちらが勝つだろうか?したがって、日本が欧米に捕鯨問題で五分に戦おう思えば、欧米人を鯨食愛好家に回心させるつもりで、勝負しなければいけない。ところが、それこそまさに、日本人ができないし、そもそもやる気もないことなのだ。なぜだろう?
ここがアジア・アフリカ人と欧米人を分ける決定的な点である。どこかの国で、桜の木を乱獲し、唾をかけて卑しむ文化があったとしよう。日本人は、わざわざ出かけて行って、それを止めさせるだろうか?するわけない。なぜか?他国の人がやっていることは、どうでもよいからだ。日本人だけではなく、これが人類史の世界標準である。よそ様(他文化)の善悪には、無関心なのだ。自国に直接に不利益にならない限りは。特定アジアの中国や韓国でさえ、この点では同じである。彼らは、靖国問題を政治的利害や民族史の問題として攻撃する。しかし、欧米のように、普遍的正義の問題としてではない(たとえ見た目はそうであっても)。アジア、アフリカの諸国で、自国の利害と関係ない他文化の慣習を、普遍的正義の問題として攻撃した国は1つもない。
アジア、アフリカ、あるいはロシアも自国に被害がない限り、他国にどんな慣習があろうが、無関心なのだ。なぜ?よそ様だから・・・。自国の文化の中だけで生きることに満足しきって、他の国が犬を食おうが、サルを食おうが、好奇心以上のものは出てこない。しかし、自国内で、自国の慣習や正義に反する者に対しては敏感かつ厳格である。自文化の価値体系を乱すものに対しては容赦しない。これがアジア・アフリカである。
世界史は怪物を生んでしまった。欧米のことだ。自分たちの価値体系と違う文化に対して、自分たちと同化させるために説得までする文化が登場してしまった。医学的に云えば、ガン細胞と行動面では同じだ。自分と同化して増殖しようとする。彼らの文化つまり、人権や男女同権、民主主義、グローバリズムが世界中で猛威を振るったのは、当然である。欧米以外の諸国は、自国の価値観を世界中に布教する厚かましさを持つには、あまりにも常識的過ぎた。そんな発想が、浮かばなかったのだ。改宗を目指す宗教と、目指さない宗教は、必ず前者が勝つ。攻撃は最大の防御なり。今、欧米キチガイに世界で唯一健闘しているのは、アラブ社会だけだろう。イスラムという盾があるからだ。開き直りの根拠がある。がんばれ、アラブ!
欧米哲学者の著作を読むと、文化的なものに対する嫌悪と、原理的なものに対する追求が随所にうかがえる。彼らは、文化的なものを克服するため、原理的なものを思索した。問題は、かれらが普遍的原理と信じたものは、たんに文化的なもののままであり、それに彼らが気づかない点である。彼らは、この事実を認めることができない。統一教会の信者が、脱会できない心理と原理的には同じである。新興宗教の多くは、既存のもの全てへの否定からスタートする。既存のもの全てへの否定から始めると、転向しようにも、帰る場所はもうなくなってしまうのだ。したがって欧米が、自分たちの原理がたんに文化に過ぎないということを大衆レベルでも認めたら、欧米は崩壊するだろう。
欧米にクジラ教を布教する覚悟で日本が捕鯨を主張すれば、戦いは五分に持ち込めるが、そんな無節操するには日本人は上品過ぎる。グリーンピースのようなバカになれないのが、日本人の良さである。安倍前首相は、価値観外交を提唱したが、それは現実には不可能である。私たちは、普遍的な価値観なんて本心では信じていないのだから。左翼も含めて、日本人が生きている世界は、日本的価値観だけである。サヨクが、中国や北朝鮮を非難しないのは、身びいきばかりではない。本質は、他国に対する無関心という、アジア人共通の心理傾向だ。アフリカの諸国民も同様だ。かといって、中国風節操のないマキャベリズムも、日本人にはむかないかもしれない。日本人は、物事を道義的問題として受け止める傾向があるから。しかし、捕鯨問題で参考にするとしたら、やはり中国だろう。政治的利害として割り切って、平気で白を切ったり、開き直ったり、脅したり、とぼけたり・・・。残念ながら、真の意味でバカに対抗できるのは、バカか悪人だけである。がんばれニッポン!
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