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ニーチェが労働者の未来について、興味深い発言をしている。曰く、労働者はブルジョワのような生活を営むべきである(権力への意志)。19世紀末の労働者たちは、ずいぶん悲惨な暮らしをしていたからだろうか。ニーチェ自身は、知識階級の出であった。当時のドイツの知識階級を形成していたのは、主にプロテスタントの聖職者だった。ニーチェは、牧師の息子である。ニーチェは続けてこう云う:ブルジョワとなった労働者の上には、無欲によって優れ、それゆえ、より貧困でより簡素でありながらも、権力を掌握している高級階級があるべきである。
考えてみると、江戸時代は、ニーチェが理想とした社会だったといえるかもしれない。武士階級は、経済的には商人より貧しく質素だったが、権力を掌握していた。権力と富を別々の階級に割り当て、権力を持つが質素である階級が、権力は持たないが経済的には豊かな階級を支配するというシステムは、もしかして非常に優れているのではないか?江戸時代と、同時代の欧米を比較するなら、江戸時代の日本で、いかに安定した統治がなされていたかに気づかされる。
近代化が日本に導入され、権力と富が不可分となり、個人の政治力が富に結びついてくると汚職がはびこる社会になってしまった。江戸時代は、汚職が少ない社会だったそうだが、当時の支配階級と現在の支配階級は、同じ日本人とは思えないほど雲泥の差があるといえるかもしれない。かといって、権力と富を別々の階級に割り振るシステムは、現在では不可能かもしれない。エリートたちを支える価値体系というものが、消滅してしまったから。アメリカナイズされましたからね。
でも、再導入を試してみたいシステムである。会社にしても、行政にしても、軍隊にしても、出世すればするほど、生活が質素になるが、権力を掌握できる。すると、おのずから、個人の価値観によって2通りにコースが分かれる。指導的地位よりもお金を欲しがる人。お金よりも指導的地位を欲しがる人。まぁ、このシステムが可能であるためには、江戸時代のように、下位の者は上位のものに対して、へへ〜とお辞儀するぐらいの上下格差、上位の者に無礼を働いたら文字どうり一刀両断に切り捨てられるぐらいの名誉特権を与えないといけない。その代わり、高級階級として恥ずべきことをしたら、すぐ懲役20年(切腹は無理だろうから)。江戸時代と異なる点は、階級的地位の世襲を認めない。この案を国民投票にかけたら、どれぐらいの割合で賛成する人がいるだろうか?
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