Ethical Experiment

実感する倫理

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     給与と仕事は無関係である


 さて、給料は仕事の対価であるか?つまり、賃金は、なされた仕事の対価と考えるべきか?私たちは、重労働に対してわずかな給料しか支払われないとき、不公平を感じる。あるいは逆に、わずかな安易なアルバイトの時給が高いと、得した気分になる。あるいは、給料が高いことを持って、自分が高尚な仕事をしていると自慢する人もいる。あるいは、給与が低いことが、仕事のステイタスの低さに比例していると恥じる人もいる。つまり、高額な給与を得ている人はすばらしい仕事をしていて、給与が低い仕事は仕事のステイタスが低いと感じる人もいる。

 給与が仕事の対価であるかどうかを考える場合、最も参考になるのが軍人である。国民の安全と国土を守るために戦場に赴く兵士の給料は、いくらであるべきか?あるいは、実際いくら支払われているのか?

 仕事に対する正当な対価を評価することは可能だろうか?私見ではあるが、厳密に云えば、支払われた金額となされた仕事の間にはいかなる関係もない。実際に考えてみれば分かるが、厳密に云えばそうなる。完全歩合制の保険会社のセールスはどうなる?親戚を保険に加入させたセールスマンと、新規開拓したセールスマンは、売り上げは同じでも仕事の質が違う。それに対する反論としては、「売り上げが、給与の客観的尺度ではないか?」と言える。では、妥当な歩合制とは、いくらか?日本生命の歩合率と住友生命の歩合率が異なる場合、より妥当な歩合率はどちらか?

 反論をお待ちするが、原理的に云えば、労働にふさわしい完全な給与を算出することは不可能である。もし、現状の賃金に不満を抱いている人がいるとすれば、仕事の対価を理由にした賃上げを求めるべきではない。賃上げ要求は、生活上の必要や消費の刺激、あるいは「金が欲しい!」を理由になすべきだろう。それも立派な理由である。「自分はこれだけの仕事をしているから、給与を上げよ」というべきではなく、「お金が必要だから、給与を上げろ!」と要求すべきである。

 現在の高額な給与に満足している人は、給与の額が自分の仕事の質を反映していると考えるべきではない。給与が高い人は、給与が高いから生活がリッチであることに満足すべきであって、なされた仕事はまったく別の尺度で判断すべきである。いっけん不条理に聞こえるが、厳密に云えば、そうなるのだ。

 仕事と給与のこの無関係を知ることは、ある種の解放でもある。仕事は仕事、給与は給与なのだ。それぞれが独自な領域であり、それぞれ独自な利害を追求できる。給与は高い方が良い(私・個人的には)。経済的自由が広がるから。しかし、自分がなした仕事の意義は給与とは無関係である。仕事の質は高い方がよい。しかし、それに支払われる金額は、仕事の質とは無関係である。

 高所得者にしても、低所得者にしても、給与は仕事の対価にならないことを知ることは、ある種の解放である。それを同一視することが、迷いである。仕事には仕事の尺度があり、給与には給与の尺度がある。そのどちらでも満足できれば、法外な幸運であろう。

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