Ethical Experiment

実感する倫理

Welcome to my column


寂しさと孤高A

 

 自分の奥底にある感情や、悩み、夢や、本音を熱く語った翌日、振り返って、思わず後悔してしまうことがある。自分1人しか知らないこと、自分1人だけに属すること、自分だけのものを、他人に開いてしまった恥ずかしさである。神話によれば、アダムとイブが禁断の木の実を食べた時、2人は相手の視線を意識するようになって、自分の裸を恥じた。すると神は、衣服を2人に与えた。そのとき以来、人類は衣服を着るようになったそうだ。私たちは、自分1人しか知らないこと、自分1人だけに属すること、自分だけのものを、『衣服』をまとって、他者の視線から隠す。他者の視線から逃れ、自分の単独性を守り、自分だけのものを大切にするためである。親子であっても、夫婦であっても、ある一線を越えたプライバシーの侵害は、喧嘩のもとだ。人間は、単独であることに寂しさを感じるが、他方では、単独性を必死で守るときもあるのだ。単独であることは、苦しみであると同時に、人間の尊厳でもあるのだろう。

 無性に、1人になりたい時があると思う。部屋にこもって音楽を聴いて1人になる。本を読んで1人になる。自然の中で1人になる。毎日の多忙な生活の中に「溶けかけている」自分を取り戻し、肌で感じなおすために、私たちは1人になる。あるいは、私たちは、創造的であるために1人になる。職種を問わず、クリエイティブでありたいなら、1人になる時間は絶対欠かせない。1人きりになって、自分を見つめる、問題を見つめる、状況を見つめる、将来を見つめる。決断に迷った時、他人の意見を拝聴する時間も貴重だが、「本当は俺はどうしたいんだ?」という疑問の答えは、1人になって寂しさの中で、自分の心のかすかな本心を聞き取る以外にない。自分を取り戻すために1人になる時、私たちは不思議と寂しさを感じない。

 ティリッヒは、『単独性』を2つの用語で区別している。1つは、Solitude(孤独・孤高)。もう1つは、Loneliness(寂しさ)である。1つの身体によって生きているという変えようのない現実は、ある場合には孤高になり、ある場合は寂しさになる。私たちの生活の多くの場面で、単独性の寂しい面を何とか癒そうとする努力の方が、先走っていることがしばしばであろう。昔、カトリックのイエスズ会主催の黙想会に参加したことがあった。「黙想会って何?」という感じで、何の予備知識もなかった。参加してビックリ。3日間。一言も会話は禁止。3畳ほどの狭い部屋にこもって黙想。食事中も、皿洗い中も、どんな時も言葉を発してはいけない。廊下には、「沈黙」という紙がいたるところに貼ってあった。1人きりになって、3日間、誰とも口を利かなかったら、何が辛かったのか? 答え、何もしないのが辛かった。40歳以上の方ならご存知かもしれないが、昔『ボーダー』という漫画があった。働かないで無為に過ごす主人公が、「無為こそ力!」と言うのだが、たしかに何もしないことに耐えるのはつらい! なぜ辛いのか? 答え、自分の空虚さ、退屈さに直面するのが辛いのである。自分1人になると、自分以外に会話相手がいない。しかし、自分と会話する「ネタ」がないのである。自分に向き合うこと、自分と会話すること、自分を感じること、こういうことは普通の人なら、数時間でネタが尽きてしまう。その後、どうすればいいの? ティリッヒが、「精神的成長の尺度は、孤独に耐える度合いに比例する」といったのは、こういう意味であろう。

 自分自身の退屈さ、自分自身の空虚さから逃れるために、なんと私たちは(いや失礼、私は)忙しく仕事や社交や趣味に没頭することか・・。もし仮に、今日から首から下が、全身不随になって、天井しか眺められない境遇になったら、何を考えて残りの何十年を過ごせばよいのか? 友人、愛人と名のつく人たちは、もしかしたら私たちの空虚な時間を埋める手段かもしれないし、聖職・仕事・使命も、1人でいることの空虚さを逃れる方便かもしれない。何もせず、しかし自分と向き合うことで退屈しない人なんて、いるとすれば、少数かもしれない。

 しかし、ほんのたまに人生は、望まない寂しさ・孤高に私たちを追いやる時もある。仲間はずれ、中傷、誤解、挫折、などなど・・。1人きりにならないと、気づかない何かを教えるために・・。自分の見たくない何かを、あえて直視させるために・・。こういうハードルを越えない限り、よき友人、よき妻、よき夫、よき親、よき人になれない時もあるかも・・。「寂しい人」は、他人を利用してしまうことが多い。「そんなこと、したことがない」と断言できる人は少ないかも・・。寂しさは、愛の種であるが(これがなければ、恋愛も友情もない)、同時に寂しさに耐えることができないと、有意義な人間関係・人生はないし(孤独に耐えれる人の方が、恋愛・友情も上々)・・。どちらも、「単独の身体で生きている」という変えようのない条件から生じる。なかなか、難しい・・。

Copyright © 2007 現代倫理のパフォーマンス研究会 all Right Reserved.