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ニーチェとティリッヒの共通点は、道徳を健康との類比で考えている点。道徳性は常に、「〜であるべきだ・〜あらねばならない」という命令形で、私たちに意識される。私たちは病気になると、「ヤバイ」と感じる。「治さなきゃ!」と思う。「病気を治せ!」という無言のメッセージは、どこから届くのか?
答え:私たちの生命自身から。生命は、病気のない状態(健康)を、自分自身のより高い潜在的可能性だと感じている。つまり本質だと感じている。誰も病気の状態が正常で、健康な状態が異常だとは感じていない。病気に抵抗して、健康を回復しようとするのは、生命の本質である。生体の安定・ホメオスタシスを回復・維持する衝動、これが道徳性の根源だと思う。
ニーチェは、「非道徳的とは、没落をもたらすということにほかならない」と云っている。「没落」とは、自己崩壊・自己破壊という意味だ。つまり、非道徳とは、生体の安定に、自己崩壊、自己分裂、自己破壊もたらす私たちの状態のことである。ニーチェ曰く、
「私は道徳を解して、人間の生の諸条件とふれあう価値評価の体系とする」
人間の脳は、シナプス・ネットワークによって構成されている。ニーチェのいう「価値評価の体系」とは、このネットワークと理解してもいい。そこにティリッヒの倫理学を加えるとこうなる:
@道徳とは、人間生命の安定と成長が可能な価値評価の体系である。
A道徳とは、人間生命が、自己崩壊・自己破壊を克服できる価値評価の体系である。
伝統的な道徳は、歴史の中で試験済みの価値評価の体系、つまり実地試験のすえ生き残った証明済みの知恵のようなものだ。保守主義の強みはこのへんにある。しかし、個々人の生の諸条件は多様だ。自分の条件・状況に合った道徳を探すことが必要である。伝統的道徳を参考にしながら。善人になるために道徳が必要なのではない。小生は、善人になりたいとはぜんぜん思わない。自己破壊を防いで、安定と成長が可能な生体になるために必要なのだ。
客観的な道徳的善や悪など存在しない。ニーチェ・ティリッヒ的には、安定と成長をもたらすものが道徳的善、自己破壊をもたらすものが道徳的悪。すべての生命が健康を求めるように、人格も健康を求める。これが道徳の意味である。
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