まるの部屋

不定期刊行物『たびのしおり』に連載中のコラムを掲載。
さりげない語り口の中に瑞々しい才能の片鱗が垣間見られたいへん興味深い。
今後もなんかみつけたら勝手に掲載予定。


2000/1/22   登別ツアー号 掲載分
1999/1/15   浜名湖ツアー号 掲載分
1998/7/?   新潟ツアー号 掲載分 その1
1998/7/?   新潟ツアー号 掲載分 その2
1997/11/22   おやけと結婚式ツアー号 掲載分

掲載号
記事
2000/1/22

登別ツアー号

掲載

 思えば、俺がはじめて北海道に上陸したのは浪人時代の夏休みであった。友人に「新潟のおばあちゃん家に行くから一緒に行こう」と誘われて車に乗り、関越道を北上するうちに眠ってしまい、目が覚めたら小樽行きのフェリーに乗っていたという、ほとんど誘拐のような状況であった。

 そのときの北海道で、すごく印象に残っていることがある。とある国道をドライブしていたとき、道路案内の看板にふと目をやると、青い地に白い十字路が描かれていた。どうやら、少し先に交差点があるらしい。白十字の縦の線には今走っている国道のナンバーが書かれていた。そして、やがて交わる道を示す横の線の上には、なんとご丁寧なことに「道」と書かれていたのである。これを見た俺は「おお、北海道では道があるところには『道』と書いておかなければいけないのか。そうでもしないとどこが道なのか分からないのだな。さすが試される大地、ワイルドだぜ」などと思ったものである。のちにそれが「県道」とかと同レベルの「道道」を示す記号だと知った俺は、ジェルソミーナを失ったザンパノのように荒波の打ち寄せる砂浜で咆哮したのだった。

 それというのもすべて、北海道が「道」だからいけないのだ。「道」ってなんだよ。「県」は43個もあるから、それが標準と思えば意味なんかわかんなくてもいいよ。「都」は首都だから意味もわかるし、「府」も、まあ、わからんでもないよ。でも…「道」ってなんだよ。だいたい「北海」と「道」に分離できないじゃないか。都府県は分離できるぞ。たとえば「俺、東京出身なんだよ」とか「大阪人はこれだから」とか「奈良の車は大勢乗れるらしいよ」とかって言えるけど、「俺、これから北海に行くんだよ」とはいえないだろ。もしそんなこと言ったら「では、靺鞨族の首長・大祚栄によろしく」とかって言い返されちゃうぞ。そりゃ渤海だ。ああ悪かったよ、広辞苑丸写しだよ。

 そもそも道っていうのは県より偉いのか? 都道府県っていう並びから考えると、県どころか府よりも偉いみたいだが、士農工商って言葉を思い浮かべてみると、同じ位置にあるのは「農」だぞ。偉いんだか偉くないんだかすごく微妙な立場じゃないか。どうだ、一般誌ではこんなこと書けないぞ。ちなみに喜怒哀楽でいえば「怒」、老若男女でいえば「若」、自暴自棄では「暴」の位置だ。ということは、どうやら北海道では、若い農民が怒って暴れているらしい。さすが試される大地、ワイルドだぜ。強引なオチ。

1999/1/15

浜名湖ツアー号

掲載

夕暮れにしゅうちゃんから電話がかかってきた。

「まるはインターネットとかできるの?」

機械オンチで知られる俺だが、いまやインターネットは飯のタネのひとつである。

「ああ、できるけど、それがどうかしたの?」

と答えると、トイレ売りの男は弾んだ声でこう切り返してきた。

「あのさあ、新潟で釣りしたときに、俺なんか書いたでしょお」

『なんか書いた』ということを主張できるのがのがよっぽど嬉しいようである。しかし、「新潟」と「釣り」まではいいが、その先の『なんか書いた』が、俺の記憶と結びつかない。結びつくわけがない。

「その『なんか書いた』ってなんだよ」

当たり前のようにこう答えたわけだが、どうも電話の向こうの反応が冷たい。その空気は、まるで(そんなこともわかんねえのかよ。おいおい、かんべんしてくれよ)とでも言いたげである。俺は甚だしくあせった。(このまま放っておくと、なにかとんでもない事態に発展してしまうのではないか)

俺は、脳細胞レスキューを総動員して『なんか書いた』の捜索にあたったが、それらしきものは見当たらない。あわてるあまり、まったく関係ない引き出しをかなりむりやりに開けてしまい、救急車で運ばれる殉職寸前のゴリさん(これは『竜雷太』)や、漂白される色柄物の化学繊維(それは『ワイドハイター』)や、『六甲おろし』を歌うグリーンウェルが頭に浮かんだりしつつ、そうこうするうちに、トイレ野郎が助け船を出してきた。正確には助け船ではなく、主張である。

「ほら俺、大物釣ったから住所書かされたじゃない。そしたらハガキが届いてさあ、なんかランキングに入ったらしいのよお。でえ、詳しくはホームページを見てくださいとかって書いてあるんだけど、ほら俺そういうのわかんないからあ、まるに調べてもらおうと思って」

俺の脳みその中を記憶という名の血液が流れ出し、あたかも長時間の正座から解放された爪先のように脳細胞がじんじんと痺れを感じはじめたころ、ついにクライシスが訪れた。電話口で深瀬が甲高い声でこう主張したのである。正確には主張ではなく、自慢である。

「ついに俺の名前も世界に進出かあ」

30にもなって電話口でこんなたわいもないことを自慢される気持ちがいったいどんなものか。読者諸兄にも共感していただけると思うので詳しい描写は避けるが、とにかくメガトン級の衝撃であった。

「はいはい、そんなこともあったね」

などと平静を装いながら、俺の頭の中の嵐は収まらなかった。その証拠に、そのあとインターネットで西山町のホームページにアクセスした俺は、マウスではなく、その隣りにあったマイルドセブンFKの箱を必死にクリックしていたのだ。

のちに平静を取り戻した俺は、まだ痺れを残す軟弱な脳細胞のこめかみに梅干しを張りつけて、なんとかいくつかの事実にたどり着いた。

深瀬が釣ったのは大物でもなんでもないヒョロ長い代物だった。西山町のホームページのアクセス数が1000人に達していなかった。そして掲載されていたのは10月のランキングのみで、深瀬の名前はすでになかった。

「西山町ホームページ」の中の「観光案内」の中の「石地フィッシングセンター」の中の「詳しく知りたい」の中の「つり情報」の中の「トップ10速報」に、ほんの一瞬だけ掲載された「深瀬正範」の名前は、いったい世界中の何人の人に見られたのだろうか? 類希なる計算能力を誇る俺の強靭な脳細胞がはじき出した数字が

3人

だったことを付記して筆を置きたいと思う。

釣り人深瀬は、確かに世界に向けて第一歩を踏み出した。しかしその一歩はあまりにも短く、いまだに彼は秋田市仁井田目長田のカメイ寮にある自室から遠くを眺めているのである。

1998/7/?

新潟ツアー号

掲載

コラムその1
業界の寵児 天災ライター・横田さまのイカスコラム

風の歌るららー

夜更けにさとまんから電話がかかってきた。

「米山に行くことになったから」

博識で知られる俺だが、米山という地名は、どの引き出しを開けても出てこない。

「米山?どこだよ、それ?」と答えると、ゴム屋の男は弾んだ声でこう切り返してきた。

「あの、ほれ、『米山おろし』の米山だよ」

『米山おろし』というテクニカルタームを使えるのがよっぽど嬉しいようである。しかし、調べるまでもなく、俺の引き出しにそんな言葉はない。あるはずがない。

「その『米山おろし』がわかんねえよ」

当たり前のようにこう答えたわけだが、どうも電話の向こうの反応が冷たい。その空気は、まるで(そんなこともわかんねえのかよ。おいおい、かんべんしてくれよ)とでも言いたげである。俺は甚だしくあせった。

(このまま放っておくと、なにかとんでもない事態に発展してしまうのではないか)

俺は、脳細胞レスキューを総動員して『米山おろし』の捜索にあたったが、それらしきものは見当たらない。あわてるあまり、まったく関係ない引き出しを開けてしまい、『六甲おろし』を歌うグリーンウェルや、素人にののしられる長沼会長(これは『長沼おろし』)、髭ぼうぼうの緒方拳(それは『おろしや国』)が頭に浮かんだりしつつ、そうこうするうちに、ついにクライシスが訪れた。電話口にさとまんの甲高い声が響いたのである。正確には声ではなく、歌声である。

「♪よーねーやーま、おろっしを?」

30にもなって電話口でこんなフレーズを歌われる気持ちがいったいどんなものか。読者諸兄にも共感していただけると思うので詳しい描写は避けるが、とにかくメガトン級の衝撃であった。

「はいはい、その『米山おろし』ね」

などと平静を装いながら、俺の頭の中の嵐は収まらなかった。その証拠に、そのあと電話でどんな会話をしたか、一切覚えていないのだ。のちに平静を取り戻した俺が、頭の奥の錆びついた引き出しを強引にこじ開けて見つけ出した最初の答えが、

『沙羅』

だったことを付記して、筆を置きたいと思う。エントロピーは増大する。引き出しの中も時が経つにしたがいゴチャゴチャになっていくものなのだ。


(本文と全然関係ない写真とキャプション)
▲第6回米山山麓ロードレース・16km一般男子の部で優勝した小池教之さん

「初めての参加です。コースは坂がきつかったです。地元だから会社の人も応援に来てくれました。
体調はあまり良くなかったのですが、何とか走りきれてよかったと思いま
コラムその2
人生の機微を描くミニこらむ

一寸の虫にも命あり <題字:平松のじいちゃん>

「ねぎお、涙の都落ち」
急遽、本社に栄転することになった我等がねぎお氏。はやくも、愛妻けーこちゃんと別居しての単身赴任がウワサされているが、周囲は過去の実績から「遠距離はよしたほうがいい」とささやいているもよう。でも、本人の前でそんなこと言っちゃだめです。「東京の人間から見たら左遷だよね」も禁句だ。

「怪奇、引っ越し男」
ねぎお氏も引っ越すが、引っ越しといえば、武越氏だ。なにせ、この男から送られてくるハガキといえば、引っ越しのお知らせばかりなのだ。俺はもう「どうせまたすぐ引っ越すんだからアドレス帳は書き換えない」と思っているが、みなさんはいかがか? あ、「引っ越し貧乏」は本人の前では言っちゃだめです。

「出世街道・時速30キロ」
人生で大切なのは能力よりもタイミングである。それは、バブル絶頂期だったというだけの理由で、■■銀行に潜り込んでしまった永村氏を見れば明らかである。ガールフレンドをとっかえひっかえしながらエリート街道を法定速度で驀進する永村氏に学ぶべきものは多い。「でも、乗ってるのは原チャリだろ」は本人の前では言っちゃだめです。

「呼ばれるうちが華なのよ」
なんだかひどいことを書いてしまったが、これはすべて本誌編集長・鈴木の命令なので、お許しあれ。なにせ「泣く子と小崎以外の編集者には逆らうな」が私の生きる道ですから、またみんなで遊びに行くときには呼んでくださいまし。ちなみに「みんなで新潟に行くけどちょっと顔出さない?」はあの人には言っちゃだめです。


その他の画像データ
●米山ルートマップ

●米山山麓の地酒・越の誉 吟泉

●柏崎トルコ文化村
1997/11/22

おやけと

結婚式ツアー号

掲載

●「井筒勝信」はいかにして「ケツ」になったか

井筒勝信→(連想)→井筒親方→(省略)→オヤカタ→(ふざけた母音転化by相澤さん)

→オヤケトゥ→(呼びやすいように)→オヤケツ→(面白いから)→ケツ

●井筒親方マメ知識

千代の富士の師匠としておなじみの元横綱・北の富士(現・陣幕親方)も一時期井筒親方を名乗っていたことがある。

そののち、継承騒動で井筒部屋を出て君ヶ濱親方を名乗っていた元関脇・鶴ケ嶺が、北の富士と名跡を交換し井筒親方になる。

この鶴ケ嶺=井筒親方時代に、井筒勝信は「親方」と呼ばれるようになる。現在の井筒親方は鶴ケ嶺の息子の元関脇・逆鉾。

井筒部屋 〒130 東京都墨田区両国2丁目2番7号

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おことわり

1)改行位置等適宜いじっております。
2)個人情報関連の表記は編者の判断で適度に修正を行っています(どーでもいいような気もするけどね)。
3)更に信じられない話ですが、編者が使用しているHP作成アプリケーションGoLiveでは波線?(長音記号がにょろっとした奴)を勝手にクエスチョンマークに変換してしまうと、情けないバグが残っており、記事中では長音記号にて代用しております。氏の典雅な文体が損なわれてしまうことは誠に遺憾のきわみであります。本件に関しましてはアプリケーションがバグフィックスされしだい、すみやかに修正させていただきます。