↓ジョカおばちゃまのことかちら。

 

平成20年10月20日(月)  表紙へ  昨日に戻る

天宝十五載(756)、夏六月。

末日、長安の西、辺境の地・霊武の町(現在の寧夏にあり)に一団の人馬が到着した。一人の貴公子を中心に、何かに怯えるように落ち着かぬ面持ちの彼ら、その数三十人ほど。午後遅く、町外れにある公設の宿駅の門内に入っていった。

塀の向こうではしばらくの間、馬のいななく声、荷駄を降ろす音、ひとの指図する声、あるいはそれに応ずる声など、忙わしいが、しかし何か憂いを含んで作業する物音が聞こえていた。

やがてそれも一段落した。この辺境の町に静けさが戻り、黄昏が訪れたころおいのこと。

宿駅の門扉を激しく叩く者がある。

「ええい、なにものじゃ、今日は大切なお方が見えたというに・・・」

門衛の士、扉を少し開けて外を覗き見、そして

「ぎょ」

と呻った。

門の外には、おりからの夕闇を背景に

有婦人長大、携双鯉。

婦人の長大にして双鯉を携うる有り。

背の高い女が、立っていたのだ。その女、門衛の目の高さのあたりに二匹の鯉をぶらさげ持っていて、それがまず目に入った。

それから視線を移して女を見上げてみるに、その背の高さ、一丈(約3メートル)にもなんなんとする。顔は――夕闇に紛れて目鼻がはっきり見えぬが、門の簷よりさらに上にある。

「あ、あわわ」

門衛後じさりして、扉を閉めようとしたが、女は、

咤于営門、曰、皇帝何在。

営門において咤して曰く、皇帝いずくにありや。

門のところで怒鳴り上げて、言う、「皇帝陛下はいずこにおわすのじゃ?」と。

その声、狭い宿駅内に響き渡った。

「な、なんじゃ?」

「一体何事じゃ?」

宿駅内のひとびとがざわめきはじめた。

女は閉じかけた門扉に指をかけてこじあけながら、再び言った。

「皇帝陛下はいずこにおわされるのか?」

ここに皇帝はいない。安禄山の反乱軍から逃亡した皇帝・玄宗は、西の方蜀地に逃げた。ここにいるのは、その玄宗から、都・長安を回復せよ、という絶望的な命令を受け、わずか三十人ほどの供回りを連れて、北の辺境の地・霊武に入った皇太子・李亨だけである。

「何者?」

「痴れ女か?」

「狂っておるのか?」

衆謂風狂、遽白上、潜視挙止。

衆、風狂ならんと謂い、にわかに上に白し、挙止を潜視す。

お供の衆は「おかしな女に違いない」と言うて、狭い宿駅の奥で驚いている太子に申し上げ、しばらく女の行動を見守った。

女は、

「ひひひ、皇帝はどこにおわす?」

と声をさらに高めると、ついに門扉を引き破り、己れの腰のあたりまでしかない門を、頭を下げて潜り抜けると宿駅の庭に入り込んできた。

「狼藉!」

「狼藉ぞ!」

「誰か、誰かー!」

激しく叫びながらお供衆が灯りを向けると、その女の顔、遥か高いところからじろりと邸内を見回すその目は、まぶたがない。らんらんと輝く瞳はまばたかない。

「おほ、おほほほ」

笑う口は、まことに耳まで裂けていた。

太子、お供衆に固められながら、屋内深いところからその女を覗き見る。

女の方も気づいた。

「ひひひ、おまえ、おまえ、こうて・・・」

「ええい、控えおろう!」

横様に武衛が鉾を振りかざして女を撃った。

逞しい武衛が、長い鉾を振りかざしたのだが、それでも女の肩先までしか届かなかった。

女は、片手を上げて、その手の甲で鉾を防いだ。

がん、と何か硬いもの同士がぶつかりあう音がし、鉾が途中で折れて空中に飛ぶ。同時に何であるか、きらきらと灯しの火に光るものが無数に飛び散った。女も相応の痛手らしく、

「きいいいい! いったあああああいいいいい!」

と叫ぶと、太子の方を指差して、

「おまえ、おまえ、皇帝いい!」

と言い、塀の屋根を手でつかむと、それを支えに、

ぴょうん

と飛び上がると塀の向こう側に飛び降りた。

そして、

「おほ、おほほほ、ひひ、ひいっひっひっひっひ・・・」

と笑い声を遺しながら、たちまちに

失所在。

所在を失う。

闇の中に消えていってしまった。

笑い声が聞こえなくなってから、お供衆がおそるおそる庭に出てみると、さきほど無数に飛び散った光るものが地面に落ちて、なお灯りを浴びてきらめいている。

魚か、爬虫類か、その類の「鱗」だった。

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旬日ならずして太子の行幸せられてあるを聞き知った朔方留後(節度使)・杜鴻漸ら、霊武の町に軍を整えて出迎えに上がり、さらに北方の辺境防衛軍が次々に到着、彼らは太子に皇帝に即位されんことを請うた。太子、蜀地に亡命した父・玄宗に断り無きを以て請いを容れなかったが、上奏五たびに及び、ついにこれを受けて、霊武城の南楼において即位、改元して至徳元年と称した。これが粛宗皇帝である。

それから、多くの事件があった。

やがて粛宗皇帝、乱を平定して長安に戻る。

長安に戻った後、かの霊武の女は、黄河に祀られていた女媧神ではなかったか、というひとがあり、皇帝は勅使を遣わせてねんごろにその祭祀を行わせたという。

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段成式「酉陽雑俎」巻一より。わしは女のひとコワいので、このでかい女のひともコワい。

 

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