↑巨人の方がわしよりちょっと強いんじゃ。

 

平成20年10月21日(火)  表紙へ  昨日に戻る

魏の元帝の咸煕二年(265)、秋八月。

襄武県より上奏ありていう、

有大人見。

大人の見(あらわ)るるあり。

大いなるひとが出現いたしました。

このひと、

長三丈余、跡長三尺二寸。

長三丈余、跡の長さは三尺二寸なり。

という。魏・晋代の一丈は2.4メートルぐらい、そして、百寸=十尺=一丈ですから、

背丈は7.2メートル以上あり、足跡の長さが77センチぐらいであった。

でかいのですが、

髪白著黄巾、黄単衣、拄杖。

髪白く、黄巾・黄単衣を著し、杖を拄(つ)く。

白髪の老人で、黄色い頭巾に黄色いひとえの服を着、杖をついていた。

といい、(昨日の女と違って)まともなひとだったようです。

自ら呼んで、民王始と名乗り、

今当太平。

今まさに太平なるべし。

今こそ大いなる平和の時代が来ますなあ。

と告げた。

時はまだ三国の闘争の続く時代である。ひとびと、

「何故に太平といえるのでございましょうか」

と問うに、民王始曰く、

「いにしえの聖天子、伝説の堯や舜は、位を我が子ではなく徳のある者に譲った。いわゆる「禅譲」(「禅」も「譲」も「ゆずる」の意)である。今や、その時代が再来しようとしているなあ」

と。

同じ月、魏の大権力者であった司馬昭が死んだ。

彼は魏の帝位を奪わんとして為さざるなく、

司馬昭之心、路人所知也。

司馬昭の心、路人の知るところなり。

司馬昭が何をしようとしているかは、路上を歩いているひとがみんな知っているぐらい明白なことだ。

と言われるほどでありましたが、生前はとうとう帝位に就くことはなかった。

十二月に至って、司馬昭の嗣子・炎、魏元帝に迫って帝位を退かしめ、自ら帝位につく。国号を改めて晋といい、改元して泰始元年とした。「禅譲」が行われたのである。

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三国志・魏書巻四に書いてあったです(同じ記述が「晋書・五行志」にもあり)。今日のひとは、なんだか司馬氏に帝位が譲られることを正当化するためのスポークスマンっぽいところさえありますが、同じ巨大とはいえ昨日のひととは違って、たいへん常識的なひとで「ほっ」としました。

 

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