
↓世の中にはいいひともいるんだね。二人もいるとはそれだけでも驚き。
この世の中にいいひとは少ないのです。
このことは、清の庸闕ヨ老人・陳其元が、
余行年六十有四、生平所覯豪傑俊雄之士甚多、而善人則止得二人焉。
余、行年六十有四、生平に覯(あ)うところの豪傑・俊雄の士はなはだ多し、しかして善人はすなわちただ二人を得るのみ。
わしは今年で六十四になり、地方官や軍の参謀などをしていろんなひとを見てきた。人生において出会った豪傑や俊才はたいへん多い。しかし、善人というものには、これまでお二人にしか会ったことがない。
と言っているので、わたしだけが言っているわけではないので、信憑性は高い。
庸闕ヨが会った善人のうち、一人目は金華(浙江にある地名)の楽魚・金濠というひとである。
楽魚は若いころは書物を読み、科挙試験を目指していた。家は貧しかったが、人助けをして倦むことがなかった。
地元で行倒れが出たり、身寄りの無いひとが死んだときの「掩埋」(死体を土に埋めて葬ってやること)、孤児に対する「育嬰」など、
一切諸善挙、孜孜矻矻、幾欲以身殉之。
一切の諸善挙、孜々矻々(し・し・こつ・こつ)としてほとんど身を以てこれに殉ぜんと欲す。
あらゆる善行を、孜々として、こつこつと、ほとんどそのために死んでしまうかと思うぐらい、一生懸命にやった。
「孜」(し)は「汲々として勤しむこと」、「矻」(こつ)は「疲れ極まること」である。ちなみに、「矻矻」が現代日本語の「こつこつ」です。
人或笑其愚、不顧也。
ひと或いはその愚を笑うも、顧ざるなり。
「あいつはバカだ」と笑うひともいたが、まったく顧慮しなかった。
咸豊元年に、地元のひとがその行為と勉学を以て、官位を与えるよう朝廷に推薦しようとしたが、
「わたしよりふさわしいひとがいるはずだ」
と言ってその申し出を受けなかった。だから、
以布衣終身。
布衣を以て身を終う。
官位に応じた衣服を着ることなく、単純な布の衣だけしか許されない人民の地位のままで一生を終えたのである。
もう一人は無錫(南京付近の地名)の蓮村・余治というひとである・・・。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
蓮村のお話は明日に致します。別に可笑しい話でもないしオモシロい話しでもないのですが、こういう文章もみなさんには読んでもらわねばならん。わしのしがない人生には、孜孜矻矻と(善事をやっていくほどの善人ではないのですが、)みなさんにニンゲンの書いたものをご紹介する以外の意義が、もうあんまり無いからである。陳其元「庸闕ヨ筆記」巻十二より。