魏の文帝(曹丕。在位220〜226)が河南府城の寧陽門外に巨大な台(高楼)を建造し、これを
凌雲台
と名づけたのであった。
雲をも凌(しの)ぐ台
というのですね。近代日本の浅草十三階も「凌雲閣」でしたか。「凌雲」の語はもと「漢書」に出る。現世の外の神仙界に遊ばんとする欲望のことを「凌雲の志」というのである。
さて、この凌雲台、雲を凌ぐほどの高さであったというのなら、その高さいかほどか。
「見たこと無いからわからへん」
とあきらめてしまっても何にも困らないのですが、意地になって調べてみますと、ちゃんと記録がある。「河南通志」によれば、「高、十三丈」であった、という。魏のころの一丈=2.4メートルですので、30メートル強ぐらいです。
凌雲台は、単に遊楽の場を得んとして造られたのではなく、父親の魏武侯・曹操を継いで、これまた多才の傑物であった文帝が、築城技術の保持と向上を図るべく築造させたものであったから、
初造時、先称衆材、俾軽重相称。故雖高而随風動揺、終不壊。
初め造られし時、まず衆材を称し、軽重をして相称(かな)えしむ。故に高きといえども風に随いて動揺し、ついに壊たれず。
建造時には、最初に集めた材料を比較して、軽いものと重いものをうまく配合して作られた。このため、たいへん高い建物ではあったが、風が吹いても風のままにゆらゆらと揺れるようにできており、壊れてしまうことはなかった。
現代の免震構造のようになっていたのです。
ところが、
明帝登而惧其傾側。
明帝登りてその傾側せるを惧(おそ)る。
文帝を継いだ明帝(曹叡)は、凌雲台に登ってみて、その風が吹いてくるとぐにゃあんと傾くのを恐ろしいと思った。
臣下に命じて、
以大木扶之。
大木を以てこれを扶く。
大木を持ってこさせ、この建物の支えにした。
すると、柔軟な構造を失った凌雲台は、
未幾頽壊。
いまだ幾ばくならずして頽壊せり。
しばらく経つと崩れ壊滅してしまった。
そうでございます。
昔のひとの作ったものは、変に後人が弄くりまわさない方が長持ちすることもある、ようですよ。
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南朝・梁の殷芸(いん・うん)の撰した「小説」(「殷芸小説」)より。この書は既に散逸しているそうです(肝冷斎は宋の至游居士・曾端伯の編集した「類説」によった)が、魯迅の「古小説鈎沈」にも採用されているというので、そちらでお読みになった方もおられたりするであろうか。