↑のようなモノ、でにょろろん。

 

平成20年10月3日(金)  表紙へ  昨日に戻る

晋のころ、新野(河南・南陽なり)に蘇巷という者あり。

常与婦佃于野舎。

常に婦と野舎に佃す。

いつも、妻とともに野小屋に出かけて耕作していた。

耕田に至ると、蘇巷のところに寄ってくるものがある。

其状似蛇、長七八尺、五色光鮮。

その状は蛇に似、長さ七八尺、五色にして光鮮やかなり。

このころの一尺は25センチ前後であろうと思われますので、七八尺は175センチ〜190センチぐらいである。

その姿はヘビのようである。長さはおよそ1.75メートルから1.9メートルぐらい、体色は五色にぴかぴかと輝いている。

蘇巷は色鮮やかなのが珍しく、また自分に懐いて寄ってくるので、これに食べ物を与えた。

このヘビのようなドウブツ、その後もしばしば蘇巷が耕作せんと田に行くと現われ、巷はこれをかわいがって声をかけ、食べ物を与えてやることが続いた。

経数歳、産業加焉。

数歳を経て、産業加われり。

こうすること数年、その間に仕事がうまく行き、蘇巷の家は富むに至った。

巷は、これはあのヘビのようなドウブツのおかげではないか、と思い、ますますこれを大切にした。

しかして蘇の家はますます富んだ。

さて。

モノゴトが順調に行っているときには、必ずそれを妨げるものがあるものである。

巷の妻は、巷とともに汗水たらして働いてきた。蘇家の豊かになったのには、彼女の力も大きく寄与していた・・・と、少なくとも彼女自身は思っていた。しかし、夫は、

「これはあのヘビのようなもののおかげである」

と日々揚言し、それを聞いた周りのひとも

「なるほどなあ」

と頷いているのだ。(周りのひとは、自分たちが蘇巷ほど豊かにならないのは自分たちの努力不足である、とは認めづらいのである。蘇巷がヘビのようなドウブツと邂逅することのできた幸運、それが自分たちには無いから豊かになれないのだ、と考えたいのである。)

巷の妻、次第に不満をつのらせた。

そしてある日、ついに、巷に食べ物をもらって引き上げる「ヘビのようなもの」を、巷の見ていないところで叩き殺したのであった。

・・・・・・・・数日後。

彼女は自分の体に異常があることを知った。

ものすごくおなかが減ってきたのだ。ハラが減ってしようがないので、(豊かになったゆえに雇っていた)下男下女たちに命じて、ある限りのカマドでメシを炊かせた。そして炊かれたメシを食いまくった。

のであるが、

進三斛飯、猶不為飽。

三斛の飯を進むるも、飽くと為さざるがごとし。

三斛のメシを食っても、満腹できないのである。

一斛(コク)は十斗であり十斗は百升に当たります。この時代の一升は2リットルぐらいなので、一斛は200リットル。三斛はその三倍ですから、おお。

600リットルぐらいです。現在のゲンダイでも333升ぐらいに当たるわけですから、なかなかすごい量である。それだけ食っても満腹しないのだ。

医者が呼ばれまして、診察した。

「おお。これは

能食之病(よく食う病気)

ですなあ」

と診断された。

なんと恐ろしい病気であろうか。

あまり食べさせてはいけない、という医者の診立てでしたが、食べさせないと身を震わせるほどに食べ物を渇望し、与えれば与えるだけ食べる、という状態になり、確かにそれは超人的な能力というべきであったのですが、

少時而死。

少時にして死せり。

しばらくしたら死んでしまった。

のだそうで、残念です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

宋・劉敬叔「異苑」より。次にこの病に斃れるのは、あなた、あるいはわたし、かも知れません・・・と思うと、おそろしいことである。

このお話、@ヘビのようなものと仲良くなる→豊かになる、Aヘビのようなものを殺した→超絶大食いになった、という二つの関係が、まるで「因果関係」であるかのように語られていますが、これは「共時関係」ではないか、と考え・・・たりするのは西欧風の賢しらというべきでありましょうか。

ちなみに、六朝時代の農耕では「野舎」(野小屋)が使われていたのだ、ということが知れて、農業史的にも興味深いところだ。

 

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