王庭湊というのは唐の時代、九世紀の前半ごろのひと。回紇(ウイグル)人である。
成徳節度使の部将として辺境にいたが、長慶年間(821〜824)のある年の初夏、その家に不思議なことがあった。
有鳩数十、朝集庭樹、暮宿檐下。
鳩数十ありて、朝は庭樹に集まり、暮は檐(エン)下に宿す。
数十羽のハトが、朝になると庭の木に集まっており、夕方になると庇の下に来て夜を過しているのであった。
「だんなさま、このようなことがございました・・・」
と下男が伝えにあがったところ、黙坐していた王はその話しを聞くや、突然立ち上がり、何ものかにとりつかれたような目をして「ひひひ」と笑うと、下男や家人に目もくれずに、プイと家を出て行ってしまった。
そのまま行方不明になってしまったのである。
・・・王は、ふと気を取り戻した。
どこかは知らぬが、山の麓の道端に寝転んでいた。まわりは清々しい夏の朝である。
「あれ? わしは何でこんなところにおるんじゃ?」
と思って起き上がったが、見覚えに無い林の中、どちらに行くべきかもわからない。
しばらくすると、山中の道を、ひとりの白髪白髯の老人が、杖をつき、鹿を連れてやってきたので、王はその老人に声をかけた。
「やや、ご老人、おはようござる。・・・道をお訊ね申したいのじゃが」
鹿はその声に飛び跳ねて林の中に入っていってしまったが、老人は別に驚いたふうもなく王の顔を見つめ、それから言うた。
「わしはこの山中に住む済源駱山人と申す道士じゃが、お主、見たところ常人ではなさそうじゃが、いったいどこから来たのかな?」
「それがわからんので、道をお訊ねしているのでござる。わしは成徳郡におりました王庭湊というものでござって、軍人ではありまするが至ってまともな・・・」
と答えると、
「ああなんじゃ、お主が王庭湊か」
と老人はもとから王を知っているかのように言うた。
王はこの老人を知らないので、
「はあ・・・、ご老人はわしをご存知でござるのか?」
と問いかけると、老人、それには答えず、
見君鼻中之気、左如龍、右如虎。龍虎気交、旺在今秋。
君の鼻中の気を見るに、左は龍の如く、右は虎の如し。龍虎の気交わり、旺は今秋にあらん。
お主の鼻から出てくる気をみると、左の穴から出るのは龍の気で、右の穴からは虎の気が出ておる。左右の龍と虎の気がこれから段々と交わって、秋になればたいへん盛んになるであろう。
「・・・ただ、声のかけ方が悪かった。鹿が逃げてしまったからのう・・・。お主は黄河には力が及ばぬと心得よ」
そういって、帰り道を教えた。
王は言われたとおりに家に帰ったが、帰宅するのに三日かかったそうである。
その年の秋、成徳軍の軍士らは王を担いで節度使につけた。王はその後、数十年、権謀の限りを尽くして唐王朝を手玉にとりつつ半ば独立国を築き挙げ、子孫相享けて百年に及んだのであるが、一度も黄河以南の地にはその勢力を及ぼすことはなかったのである。
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なんですって。みなさんは鹿を逃がさぬよう気をつけてね。五代・孫光憲「北夢瑣言」より。