月曜日です。週末まであと四日もある。ぎぎぎ。
そういえば先週の月曜日は、悟元道士・劉一念の「通関文」をご紹介し、第一の関門「色欲関」を見上げて嘆息していたのでした。
どうやってこの関門を潜ればいいのか。
悟元道士曰く、
夫色欲一事、為人生要命第一大関口、最悪最毒。
それ色欲一事は人生要命の第一大関口にして、最悪最毒となす。
ああ。色欲ということは、人生のカナメとなりポイントとなる第一番目の大きな関門であり、最もにくむべく最もおそるべきものであるのじゃ。
「そんなに恐ろしいのですか」
と思わず声を上げて問うと、関門の前に立った悟元道士、悠然として曰く、
凡人一見美色、魂飛魄散、淫心即動。淫心一動、欲火即起、気散神移、形雖未交、而元精暗中已洩。
およそひと美色を一見せば、魂飛び魄散じ、淫心即ち動く。淫心一動せば、欲火即ち起き、気散じ神移り、形いまだ交わらずといえども、元精暗中にすでに洩る。
だいたい、ニンゲンは美しい対象をちょっと見ると、魂魄飛び散じてしまい、淫乱の心が動いてしまう。淫乱の心がひとたび動けば、心の中に欲望の炎が燃え出し、気は外に散じ、精神はふらふらとどこかに行ってしまい、肉体的には交合していない、と言っても、本源の精は気づかぬうちにどぴゅっと漏れてしまっているのだ。
男目線だ、と批判してもいいのですが、チュウゴクの文字世界は男文化だから仕方がない。
とりあえず、わしは驚いて、
「ええー! 肉体的には交合していないのに、漏れてしまうのですか!」
と大声を出した。
道士言う、
「かように淫乱の心は害悪であり、またそのことは体を疲れ苦しめることであるのに、一たびそのことに捕らわれてしまうと、日夜そのことを貪って、苦を以て楽、害を以て快としてしまうのだ。まこと、
有日油涸灯滅、髄竭人亡、雖欲不死、豈能之乎。
日に油涸れ灯滅し、髄竭(つ)き人亡ぶるあり、不死を欲すといえども、あにこれをよくせんや。
毎日、油を尽きさせて灯火を消し、髄液を使い果たしてひとを死なせるような行為をしていては、死にたくない、と思っていても、どうすることができようか。
・・・見るがよい」
道士が手に持った払子を一振りすると、関門の間に一つの映像が現れた。
美しく、艶かしい女の姿である。
「これは・・・」
「色魔じゃ」
道士は言う、
「美しい、と思うであろう。これのところに行きたい、触れたい、吸い込まれたい、と思うであろう。
人自無始劫以来、従色道中而生、従色道中而死、生生死死、大半是色魔作殃。
ひとは無始劫より以来、色道中に従いて生じ、色道中に従いて死し、生生死死、大半はこれ色魔の殃(わざわい)を作すなり。
われらニンゲンは遥かな原始のときより、色情の流れに従って生まれ、色情の流れに従って死んできた。生まれ死に生まれ死ぬ、そのほとんどは、この色魔めの作りなした災いじゃ。」
言われているうちに、美しい女の姿をしていた色魔は、ぐにゃぐにゃ、と変化して鬼のような恐ろしい顔になった。
「いにしえより多くの英雄や豪傑が、あらゆる苦難を乗り越えて功業を成し遂げてきたが、彼らとてただこの色魔の守る色欲関のみは破ることができず、これに捕らわれて身動きつかなくなって老いて行ったのじゃ。
しかし、これを乗り越える方法が一つだけある。
即美如西施、姣如楊妃、猶如臭肉皮嚢、視之不動、不揺、不迷、不昧、遇如不遇、見如不見、不使毫髪欲念潜生于方寸之中。亦如農夫務田鋤草、漸生、漸鋤、宿根鋤尽、不容異日復生。
即ち美は西施の如く、姣(こう)は楊妃の如きも、なお臭肉皮嚢の如く、これを視るも動かず、揺れず、迷わず、昧せず、遇うも遇わざるが如く、見るも見ざるが如く、毫髪も欲念を方寸の中に潜生させしめざれ。また、農夫の田を務め草を鋤するが如く、漸く生ずれば漸く鋤し、宿根鋤き尽くして、異日にまた生ずべからざらしめよ。
すなわち、戦国の美女・西施のように美しく、唐の美女・楊貴妃のようにきらめかしい女も、結局は臭気を放つ肉が皮の袋の中に入っているもの過ぎぬ、と思い定めて、それを見ても心を動かさず、揺るがさず、迷わず、くらくらとしないように、出会っても出会っていないように、目に入っても見てないように、ほんの少しも欲望の念を心の中にひそかに生じることが無いように、しなければならん。そして、農夫が畑作りをするに当って雑草の生えないようにくさぎるように、少し出てくればそのたびにくさぎり、心の底に根のようにある色欲をくさぎり尽くし、二度と生えてこないようにせねばならん」
「は、ははー!」
わしは感動して、思わず平伏した。
「色根を鋤き尽くせば、今度は徐々に霊的な苗がそこに生えてくるのじゃ。それを大切に育てねばならん。そうすれば、美しい女を見てもそれを美しいと感じなくなり、さらに女を見ても女と思わなくなる。このように宿根を除去することはできるのである。だが、世間のかたくなに静かな生活だけを守っている贋道士どもは、口では美女に心を動かされないと言いながらも、
毎毎夢中洩精、無法可制。自己吃了昧心食、欺己欺人。
毎々夢中に精を洩らし、法として制する無し。自己の昧心食を吃らい了し、己を欺き人を欺くなり。
いつもいつも夢の中で精を洩らしており、これをコントロールする術を知らぬのだ。自分で自分の心を誤魔化したメシを食っているのであるから、おのれをひとをも欺いているだけなのである。」
悟元道士、払子を一振りして、
「おい、鳴らせ」
と言うと、側に控えておりました童子、
「あい」
と返事し心得たとばかりにドラを鳴らした。
じゃーん、じゃーん、じゃーん・・・
これは説法の最も重要な部分である、との合図。道士、一段と声張り上げて、曰く、
吾勧真心学道者、速将色欲関口打通。畏色如畏虎、防欲如防蠍。
吾は真心に道を学ぶ者に勧むるに、すみやかに色欲関口を打通せんことを。色を畏るること虎を畏るるが如く、欲を防ぐこと蠍を防ぐが如くせよ。
わしは、本当に心からタオを学ぶ者たちに勧める。すみやかに上述のように宿根を鋤き尽くして、色欲関を通り抜けよ。女を恐れること、トラを恐れるように、欲望を防ぐこと、サソリを防ぐかのように振舞うがよい。
じゃーん、じゃーん、じゃーん・・・
家を出て修行する者だけでなく、家にあって日々の生活を送っている者にとっても、この色欲関を通り抜けることは大切じゃ。色欲関を通り抜けて、色情のことを自らのコントロールの下に置き、よろしく色欲を寡(すくな)くせよ。もし色欲を寡くすることができれば、精さかんにして気は体内に充実し、病を退け寿命を延ばし、かつ、「子だね」を合理的に植えることができるであろう。
昔黄帝文王多子、皆是寡欲之効。
むかし黄帝・文王の多子なる、みなこれ寡欲の効なり。
原始の聖なる天子・黄帝、周王国の始祖・文王、いずれも子沢山で有名だが、これはすべて色欲を寡くした効果なのである。
じゃーん、じゃーん、じゃーん・・・
けたたましいドラの音とともに、色欲関の門中に映し出されていた恐ろしい鬼の姿の色魔は、今や一条の烟のごとくに消えうせて、ついに関門をさえぎるものは無くなった。
「今じゃ」
わしは大急ぎで色欲関門を潜り抜けた。
「うひゃひゃ、見よ、わしはついに色欲関を通ることができたのじゃ。ひっひっひ、わしはついにやったぞ」
わしは大はしゃぎであったが、ふと目の前を見て、
「ああ・・・」
と、一瞬にして「どよ〜ん」となった。
そこには、第二の関門「恩愛関」が聳え立っていたのである。
・・・・・続きはまた来週。調子に乗って訳しているうちにエラい時間になってきた。