↓わしもまぼろしは見たことがある。

 

平成20年11月12日(水)  表紙へ  昨日に戻る

水曜日になりました。週末まであと二日もある。ぎぎぎ。

清の時代、揚州の梅薀生、字・植之というひとはまだ若いのだが、学士の称号を得、また、詩と琴の名人としても聞こえていた。

喜深夜家人睡静後、獨座而弾。

深夜、家人の睡りて静かなる後、獨座して弾ずるを喜ぶ。

夜更けて、家人が眠ってしまいひっそりと静まりかえった後で、一人書斎に座して琴を弾くのが好きであった。

そして、彼がひとり深夜に弾く琴の音色の美しいのは、この世のものとも思われなかったのである。

ある晩のことだ。

その晩も梅学士はひとり琴を弾いていた。

曲未終、見窗紙無故自破、覚有穴窗竊聴者。

曲いまだ終わらざるに、窗紙の故無くして自ら破るるを見、穴窗に竊かに聴く者あるを覚ゆ。

一曲がまだ終わらないとき、窓の紙(ガラス窓ではないから、障子のように紙が貼られているのだ)に理由も無くおのずと穴が開くのが目に入った。その窓の穴の向こうでは、誰かが隠れて琴を聞いているようである。

――ああ。来たか。

梅学士は、心中に頷いた。

音楽に耽っていると、必ずこういうことがある、と聞いていたから、特段に驚かなかった。そして、視線をそっと琴の絃の上に戻した。

俄而花香撲鼻、已入室矣。

俄にして花香鼻を撲(う)ち、すでに室に入るなり。

たちまちのうちに花の香りが匂ってきた。「それ」は、どうやらもう部屋の中に入ってきたようだ。

花の香り、は「それ」が身ににつけている香料の香りである。「それ」はたしなみある女性らしい。

梅学士は静かに、目を琴の上に止めたまま、言うた。

果欲聴琴、吾為爾弾。吾顧不願見爾也。

果たして琴を聴かんと欲するならば、われはなんじのために弾かん。吾、顧てなんじを見るを願わざるなり。

「もし私の琴の音を聴きたく思われてお見えになったのでしたら、わたしはあなたのためにお弾きしましょう。ただ、わたしは、思うにあなたのお姿を見ない方がいいと思うのです」

もし「それ」が美しいひとであれば、梅は心を奪われてしまう。梅にとっていいことであるはずがない。あるいは人外の恐ろしげな者であったり、長く地中にあって腐敗したような姿であったりしたら、「それ」は見られることを恥ずかしく思い、傷つくであろう。いずれにしても姿を見ない方がよい。「それ」が現れたときにはそうせよ、と少年のころに師から教わったとおりの心遣いであった。

「それ」は梅の言葉を聞くと、甘やかなため息らしきものを洩らした。それから、

急滅其灯。

急にその灯りを滅す。

ふっと突然、部屋の灯りが消えた。

闇の中で梅は一曲を弾き終えた。すると部屋の中から花の香りが消えていった・・・。

・・・ただし、これはよかった日。

いやなこともあったのです。

ある晩は、彼が琴を弾じ始めると、やはり同様に窓が破れ、ばたばたと「それ」が入ってきた。ただ、このときの「それ」は全く音楽を解するふうはなく、梅に覆いかぶさったりして曲の邪魔をする。おまけに

満室如臭溝之味。

室に臭溝の味のごときもの満てり。

部屋中に、臭いドブのようなにおいが広がったのだ。

梅学士は、

此味殊不可耐。

この味、ことに耐えるべからず。

「このにおいは、まったくガマンできん」

と言って琴をうっちゃって曲を弾くのを止めた。

すると、「それ」は出て行ったしまったようである。

ああ。

春秋の昔、伝説の楽師・昿が城門の上で琴を弾くと、空天より鶴が舞い降りて、その一曲の終わるまで、周囲を舞い続けたという。

まこと

妙音感通、琴其最也。梅君之琴蓋妙矣。

妙音は感通し、琴はその最なり。梅君の琴、けだし妙なり。

美しい音楽は人外のものと響きあう力があるが、中でも琴の音の力が最強である。梅学士の琴の技術は、なんとも不思議な力を持っていたことであった。

しかしそれだけではない。

深夜無人、鬼来不怖、其胆亦不可及也。

深夜無人にして鬼来たるも怖れず、その胆もまた及ぶべからざるなり。

深夜、ただひとりのところへ、精霊たちがやってきても怖がらなかったのである。その度胸の据わっていることも、余人の真似できることではない。

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以上の興味深いお話しは、清・姚元之「竹葉亭雑記」巻五に書いてあった。やはり不思議な世界はあり、そこには不思議なものたちがいて、普段はこちらとの間は没交渉なのだが、何らかの刺激が「カギ」になって「そこ」と「こちら」の間の扉が開いてしまうことがあるのでしょうなあ。今日もなむなむ。

コワがりのひとは音楽は嗜まない方がいい、ということですね。ビッグになって著作権をたくさん持ったりすると、強欲な「生きた人間」も寄ってくるらしいので、これもまたコワい。

 

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