「穆天子伝」によれば、周の穆天子は、遠く西方に旅して西王母に面会したという。
ちなみに「穆天子伝」は古代の周の時代の「穆天子」というひとの神秘的な旅を記した書で、周の穆王は武帝から数えて第五代の天子ですから古代(前10世紀ぐらい)の一応実在の王ですが、「穆天子伝」は穆王の伝記とは全く関係がない。荒唐無稽な神話伝説の類、と考えた方がよさそうなモノです。
この書、晋・武帝の太康二年(281)に古い墳墓を発いたところ、その中から出てきた、ということになっているのですが、この前年、呉が降って長い三国の時代が終わり、晋帝国の統一が成った、それで「太康」と改元された、というタイミングで出てきたのですから、もちろん
怪しい。
かなり怪しい書です。何らかの政治的意図があって創られたのであろう、と推測されます。
西王母は「山海経」の中では「豹の尾、虎の牙、よく嘯く」といわれるカイブツでしたが、このときは、文明的な女性になっておりまして
天子執白珪玄璧見西王母、好献錦組百純、白組三百純。
天子、白珪・玄璧を執りて西王母に見(まみ)え、錦組百純と白組三百純を好献す。
穆天子は、白いタマと黒いタマを手に持って西王母さまに面会し、錦の織物百匹と白糸の織物三百匹を手土産に献上した。
すると、西王母さまは再拝(二度頭を下げる礼)してこれを受納され、
觴于瑶池之上。
瑶池の上に觴す。
西王母の支配する仙界にある「瑶池」(よう・ち=タマの池)のほとりで酒席を用意してくださった。
のである。
このとき、西王母、謡いて曰く、
白雲在天、山稜自出。 白雲は天にあり、山稜に自ずから出づ。
道里悠遠、山川間之。 道里悠遠、山川これに間す。
将子無死、尚能復来。 まさに子、死すること無ければ、なおよくまた来たらん。
白い雲が空にあるのは、山の稜線から自然に湧き出すのです。
あなたのお国はとっても遠くて、間には山や川がたくさんございます。
あなた、死んでしまわないでね。そうしたらまたお会いできますわよ。 @
穆天子答えて曰く、
消帰東土、和洽諸夏。 われ東土に帰りて、諸夏を和洽(わこう)せしめん。
万民平均、吾願見汝。 万民平均せば、吾は汝に見(まみ)ゆることを願うなり。
比及三年、将復而野。 これ三年に及べば、まさに而(なんじ)の野に復せん。
わしはこれから東の地に帰り、多くの夏人たち(黄河中流域の都市国家群)に平和を広げることにいたす。
すべての民が等しくその恩恵を享受できるようになったら、わしはまたおまえさまにお会いしとうござる。
これから三年経ちましたら、またおまえさまの支配する地へと出かけてまいるつもりなり。
以上の「穆天子伝」の記述を読んだ宋の蘇東坡、西王母の@の歌謡を評して曰く、
決非食肉人語。
決して肉を食らうのひとの語にあらず。
どう考えても、肉食しているひとの言葉ではなかろうよ。
と言った、という。
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宋・趙令畤「侯鯖録」より。「食肉人」という言葉でどきどきしたかも知れませんが、こういうお話しでした。
風雅な言葉は肉食っていると出ないらしいのです。肉食うと底力は出るかも知れませぬが。わしは今日も牛丼食った。