↑東坡居士。

 

平成20年11月16日(日)  表紙へ  昨日に戻る

「穆天子伝」によれば、周の穆天子は、遠く西方に旅して西王母に面会したという。

ちなみに「穆天子伝」は古代の周の時代の「穆天子」というひとの神秘的な旅を記した書で、周の穆王は武帝から数えて第五代の天子ですから古代(前10世紀ぐらい)の一応実在の王ですが、「穆天子伝」は穆王の伝記とは全く関係がない。荒唐無稽な神話伝説の類、と考えた方がよさそうなモノです。

この書、晋・武帝の太康二年(281)に古い墳墓を発いたところ、その中から出てきた、ということになっているのですが、この前年、呉が降って長い三国の時代が終わり、晋帝国の統一が成った、それで「太康」と改元された、というタイミングで出てきたのですから、もちろん

怪しい。

かなり怪しい書です。何らかの政治的意図があって創られたのであろう、と推測されます。

西王母は「山海経」の中では「豹の尾、虎の牙、よく嘯く」といわれるカイブツでしたが、このときは、文明的な女性になっておりまして

天子執白珪玄璧見西王母、好献錦組百純、白組三百純。

天子、白珪・玄璧を執りて西王母に見(まみ)え、錦組百純と白組三百純を好献す。

穆天子は、白いタマと黒いタマを手に持って西王母さまに面会し、錦の織物百匹と白糸の織物三百匹を手土産に献上した。

すると、西王母さまは再拝(二度頭を下げる礼)してこれを受納され、

觴于瑶池之上。

瑶池の上に觴す。

西王母の支配する仙界にある「瑶池」(よう・ち=タマの池)のほとりで酒席を用意してくださった。

のである。

このとき、西王母、謡いて曰く、

白雲在天、山稜自出。  白雲は天にあり、山稜に自ずから出づ。

道里悠遠、山川間之。  道里悠遠、山川これに間す。

将子無死、尚能復来。  まさに子、死すること無ければ、なおよくまた来たらん。

 白い雲が空にあるのは、山の稜線から自然に湧き出すのです。

あなたのお国はとっても遠くて、間には山や川がたくさんございます。

あなた、死んでしまわないでね。そうしたらまたお会いできますわよ。  @

穆天子答えて曰く、

消帰東土、和洽諸夏。  われ東土に帰りて、諸夏を和洽(わこう)せしめん。

万民平均、吾願見汝。  万民平均せば、吾は汝に見(まみ)ゆることを願うなり。

比及三年、将復而野。  これ三年に及べば、まさに而(なんじ)の野に復せん。

わしはこれから東の地に帰り、多くの夏人たち(黄河中流域の都市国家群)に平和を広げることにいたす。

すべての民が等しくその恩恵を享受できるようになったら、わしはまたおまえさまにお会いしとうござる。

 これから三年経ちましたら、またおまえさまの支配する地へと出かけてまいるつもりなり。

以上の「穆天子伝」の記述を読んだ宋の蘇東坡、西王母の@の歌謡を評して曰く、

決非食肉人語。

決して肉を食らうのひとの語にあらず。

どう考えても、肉食しているひとの言葉ではなかろうよ。

と言った、という。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

宋・趙令畤「侯鯖録」より。「食肉人」という言葉でどきどきしたかも知れませんが、こういうお話しでした。

風雅な言葉は肉食っていると出ないらしいのです。肉食うと底力は出るかも知れませぬが。わしは今日も牛丼食った。

 

表紙へ  次へ