今日は胡敬斎先生や婁一斎先生の師匠である呉康斎先生について。
先生は姓が呉、名は与弼、字を子傅、号して康斎といい、撫州崇仁のひとである。八九歳のころには既に
負気岸。
負気、岸なり。
といわれた。
気が強く、傲岸であった。
「岸」というのは、性格にカドがあって、崖や岸のようであることをいう。
漢書巻四十五に、武帝に仕え、いわゆる巫蠱の獄を起こした「酷吏」である江充が、
為人魁岸、容貌甚壮。
ひととなり魁岸、容貌はなはだ壮なり。
性格は怪異で傲慢頑固、見た目はたいへん元気そうであった。
という。
それほどに傲岸な性格であった呉与弼は、年十九にして父に従って京師に上り、楊文定先生のもとに弟子入りした。ちなみに、時に永楽己丑年(1409)、このときは明帝国の首都は、まだ金陵(南京)にありました。与弼は、この楊先生のもとで、四書五経や宋学の入門書である「伊洛淵源録」を読み、聖人賢者の学(宋以後の儒学)に志すこととなったのである。
当時、「伊洛淵源録」の中に、「程明道(北宋のひと。北宋四子の一とされ、宋学の創始者のひとりとして後世崇拝される)が狩猟を楽しんだ、しかし、それは聖賢の学に役に立たないと思いなおして、狩猟をガマンするようにしたのだ」という記事を見つけ、
聖賢猶夫人也。孰云不可学而至哉。
聖賢なお夫(そ)れ人なり。だれか云う、学んで至るべからず、と。
程明道先生ほどの聖人賢者でもこんなニンゲン的な面があったのである。聖賢というてもみなニンゲンなのである。「聖賢というのは生まれつきにしかなれないから、勉強しても無駄だ」などと言うたやつは誰だ?
と言い、ついに科挙の学問をすべて棄て、ひととの付き合いを絶って小楼に登って四書五経と宋以後の諸儒の語録のみに読みふけり、楼を降りざること二年であった。
永楽九年(1411)、父の命により郷里に帰ってヨメをもらうことになった。このとき、長江を渡る舟の中で暴風に遇い、
舟将覆。先生、正襟危座。事定問之、曰守正以俟耳。
舟まさに覆らんとす。先生、襟を正して危座す。こと定まりてこれに問うに、曰く、守正以て俟つのみ、と。
舟がまさに顚覆してしまうか、という状況であったが、先生は舟中で襟を正して正座していた。無事対岸に着いたところで、ひとが「どういうおつもりでしたか」と問うと、「正を守って結果を待っていただけです」と答えたのであった。
既に結婚の式を挙げたが、
「いまだ学問の途中である」
ことを理由に、新婦と一晩をも共にせずに都に帰ってしまったという。
・・・その後、学問を終えて正式に郷里に帰り、きちんと家室を持った。科挙の学問はしていなかったので、農業に従事した。
躬耕食力、弟子従遊者甚衆。
躬耕して食力し、弟子従いて遊ぶ者甚だおおし。
自ら耕し、鋤鍬を使ってメシを食う生活であったが、弟子の集まって来て従学する者がたいへん多かった。
あるとき、陳白沙という若者が廣州からやってきて学んだのであるが、
晨光纔弁、先生手自簸穀。
晨光わずかに弁ずれば、先生手自ら穀を簸す。
「簸」(は)は、穀物を搗いて糠を去ること。
朝の光でぼんやりと物が見える時刻になると、康斎先生は自ら起き出して、自分で米を搗くのであった。
馴れないこととて遅れて起き出してきた白沙青年に、
先生大声曰、秀才若為懶惰、即他日何従到伊川門下。
先生、大声に曰く、「秀才、もし懶惰を為せば、即ち他日何ぞ伊川門下に到り従わんや」と。
「伊川」は、上述の程明道先生の弟で、これも宋学の創始者のひとり、程伊川先生のこと。兄の明道先生が「春風和気」と謳われたのに対して、弟の伊川先生は「秋霜烈日」の厳しい教育方針で有名であった。
康斎先生は、大声で怒鳴りつけた。
「若ものよ、こんなふうにさぼり心でやっていたのでは、(わしのところはともかく)、将来、伊川先生のところに行ってどうやって修行するつもりなのか」
もちろん伊川先生は三世紀も前のひとだから、将来その門下に行くことはありえないのですが、怒鳴ったのである。
「す、すいません」
と青年は謝ったが、先生さらに大音声で、
何従到孟子門下。
何ぞ孟子門下に到り従わんや。
孟子のところに行ったときには、どうやって修行するつもりなのか!
と追い討ちをかけた。孟子は千七百年以上昔のひとだからどうしようもないのですが。
既に起きて仕事を手伝っていた兄弟子たちが失笑する中、白沙青年は恐縮するばかりであった、という。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「明儒学案」巻一より。
「康斎先生のお話しは、まだ終わりではないのです。このひと、かなりきついひとなので、こういう「ハタから見ていたらオモシロい」挿話がまだあるので、もうちょっと話させて・・・」
と懇願するわしをよそに、ああ、時計が「ぎぎぎ」と針を進めて、今日もまた深夜になってしまいました。
今週もかなりつらいのです。イヤなことを忘れるためにHPあっぷしている、という一面さえあるのです。とりあえず今日はもう店じまいしないと明日生きていけそうにない。続きはまた来週の火曜日にいたしましょう。明儒ファンのみなさんはそれまで待っていてくださいね。