今日は11月18日の続きである。
呉康斎というひとは他人だけでなく自分にも厳しいひとである。それを如実に現わすエピソードがこれであろうと思う。
一日刈禾。鎌傷厥指。
一日禾を刈る。鎌にてその指を傷つく。
ある日、イネ科の穀物を刈り取っていた際、鎌で自分の指を切ってしまった。
ぷしゅう、と血も出た。門人ら駆け寄ったが、
先生負痛曰、何可為物所勝。竟刈如初。
先生痛みを負うて曰く、何ぞ物の勝るところとなるべけんや。ついに刈ること初めの如し。
先生は痛いのを我慢しながら、「物質に敗れることがあってよかろうか」と言い、それまでと同じように刈り取り作業を続けたのであった。
えらいひとである。
先生は前回もう言うたように、科挙試験は受けなかった。しかし弟子も多く、何度か官に推薦されたことがあったが、断り続けた。
そんなときは、使いの者を追い返した後、
宦官釈子不除、而欲天下之治難矣。吾庸出為。
宦官・釈子除かず、しかして天下の治を欲すは難いかな。われいずくんぞ出為せんや。
(明朝は)宦官と僧侶を政府から排除していないのだ。それなのに天下を平穏に治めていこう、というのは無理がある。わしが出て行って何ができようか。
と言ってため息をつくのが常であった。
しかしながら、天順年間(1457〜64)の初め、時の権力者・石亨が、康斎先生を召し出すことができれば政界における人望を繋ぎとめることができるであろうと考え、先に皇帝に康斎の人となりを伝えて興味を起こさせ、皇帝の意思だとして先生を呼び出したときは、やむにやまれず都(このときはペキンである)にやってきた(先生は七十歳前後である)。天順帝(英宗)はかつて正統年間に帝位にあったが、土木の変で北方民族の捕虜となり、代わって立った景泰帝(代宗)の時代に帰国し、その後クーデタにより復位したひとであり、石亨はそのクーデタに関与したひとであって、この時期の宮廷政治はいろいろとややこしく、かつ殺伐たるものがあったのである。
先生はこのとき皇帝から親しく言葉と酒食を賜り、官位に就くよう進められた。これを断ったものの、よい職が空くまで都に止まるように命じられ、その間、進退があまりにしゃちほこばって古風であるので、側近や宦官たちから、嘲笑を浴び、あるいは衝突を繰り返したにもかかわらず、皇太子の教育掛という儒者としては最も望ましい地位を提示されるに至ったのである。
しかしこれも強く辞退、皇帝自身から「留め難し」として南に帰ることを認められたのであった。
帰ってくると、先生は、親しい者たちに、
欲保性命而已。
性命を保たんと欲せしのみ。
寿命までは生きていたかっただけじゃ。
と語ったという。
その後、石亨が失脚し、彼の推薦を得た者たちも多く流罪になったり落魄したりした。先生は官位にあるようなひとたちからは「迂闊」を以て目されたが、実はたいへんな先見の明があったといわざるを得ないであろう。
成化五年(1469)10月17日、数え七十九歳で亡くなった。
・・・というと、非の打ち所ない人徳者だったかのように見えますが、実は先生にはスキャンダルがあった。
与弟訟田、褫冠蓬首、短衣束裾、跪訟府庭。(薛方山「憲章録」)
弟と田を訟し、褫冠(ちかん)蓬首、短衣にして裾を束ね、跪いて府庭に訟う。
弟と田の所有地争いを起こし、冠を投げだしてぼさぼさの髪をあらわにし、短く裾を束ねた(庶民の)服を着て、地方府の役所のお白砂にひざまずいていたことがあるのだ。
儒者でありながら親族と裁判沙汰を起こすとは嘆かわしいところであり、その徳を否定するひとたちには面白おかしく喧伝された。あるいはその庶民の服を着ていたのは、そのような行動をする自分を貶め、逆に古い礼儀に則っているのだとしていい格好をしている(原文では「矯飾」)のだ、という批判もあった。しかし、一方では弁護するひともあり、
○弟が非道な性格で、祖先の祭祀を行うため一族から預かっていた田を勝手に売り払ってしまったので、先生は訴訟を起こしたのである。このとき、自分の徳の至らなさを恥じて囚人の服を着てきたのであって、決して「ええかっこしい」とか名誉のためにそうしたのではないのだ。(劉蕺山)
○弟子たちは官にあったひとが着る服を着るべきだと勧めたのだが、先生はその謙譲の心から民の服を着て行ったのである。このため卑しい吏から辱めを受けたが、先生は怒ることは無かった。また、本心から弟を非とすることはなかったので、この訴訟がすんだあとは、
相好如初。
相好はじめの如し。
お互い仲良くすること、事件以前と同様であった。
のである。(楊端潔)
などという評もある。
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以上、「明儒学案」巻一より。
康斎先生の語録には見るべき語は多いと思うのですが、今日はもう遅いのでここまでじゃ。
なのですが、サービスで一つだけ紹介しておきます。
澹如秋水貧中味。和似春風静後功。
澹(たん)なること秋の水の如きは、貧中の味わいなり。和なること春の風に似るは静後の功なり。
秋の水のように淡白でいることができるのは、貧乏ゆえのことであり、春の風のようにほんわかしていられるのは、静かにする修行のたまものなのだ。
いつか仕事行かなくてもよくなったらじっくり教えてやるです。