きみはこのひとのことをどう思うか。
・・・宋の時代、段穀なる男、進士にまで成ったが、ある日突然、おかしくなった。
市中を謳い歩いて曰く、
一間茅屋、 一間の茅屋は
尚自修治。 なお自ら修治せん。
信狂風吹、 狂風の吹くにまかすに
連檐破碎、 連檐(れんえん)破砕し、
斗栱斜欹。 斗栱(ときょう)斜めに欹(そばだ)たん。
看看倒也。※ 看よ、看よ、倒るるなり。
墻壁作散土一堆。 墻壁は散を作して土一堆となり、
主人翁永不来帰。 主人翁は永く帰り来たらず。
どういう意味があるのであろうか???
おかしくなっているのですから、どういう意味があるのかわかりませんが、とりあえず訳してみると、
一間しかない粗末な家なら、自分で修理して住みなすこともできようが、
狂ったような風が吹きまくって、(立派なお屋敷の)連なったひさしは破れ砕け、柱頭の斗栱は斜めに歪んでまいりました。
そして、見るがよい、とうとう倒れていく〜!
土塀は砕け散って一山の土に還ってしまい、
家のご主人さまはいつになったら帰ってくるのやら。
みたいなところでしょうか。何かが滅びていく恐怖を歌ったものか。あるいは自由になる喜びを歌ったのか。
ちなみに「檐」(えん)は「ひさし」、「斗栱」(ときょう)は「ますがた」で柱の上にとりつけられて梁を支える役割を果たす。
なお、この詩にはわざわざ※のところに注がついていて、
毎至倒也二字、即連呼三五句方已。
つねに「倒也」の二字に至るごとに、即ち三五句を連呼してまさに已む。
(段穀は)いつも、「倒れるなり」のところまで来ると、三回か五回ここを続けざまに唱えたのであった。
と書いてあります。ここのところにすごい思いいれがあったのでしょう。
段穀は間もなく病死してしまったのですが、
及葬、発視但棺耳。
葬に及んで発して視るに、ただ棺のみ。
葬儀の際、死体を納めてあった棺の中を見てみたところ、何にも入っていなかった。
要するに本当に死んだのではなくて、死んだふりをして棺から抜け出し、仙人になったみたいなのである。
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以上、宋・張師正の「括異志」より。今週はあと二日・・・。段穀のようになるのと週末が来るのと、どちらが早いであろうか・・・?