↓感動した。

 

平成20年11月26日(水)  表紙へ  昨日に戻る

きみはこのひとのことをどう思うか。

・・・宋の時代、段穀なる男、進士にまで成ったが、ある日突然、おかしくなった。

市中を謳い歩いて曰く、

一間茅屋、      一間の茅屋は

尚自修治。      なお自ら修治せん。

信狂風吹、      狂風の吹くにまかすに

連檐破碎、      連檐(れんえん)破砕し、

斗栱斜欹。      斗栱(ときょう)斜めに欹(そばだ)たん。

看看倒也。※     看よ、看よ、倒るるなり。

墻壁作散土一堆。  墻壁は散を作して土一堆となり、

主人翁永不来帰。  主人翁は永く帰り来たらず。

どういう意味があるのであろうか???

おかしくなっているのですから、どういう意味があるのかわかりませんが、とりあえず訳してみると、

一間しかない粗末な家なら、自分で修理して住みなすこともできようが、

狂ったような風が吹きまくって、(立派なお屋敷の)連なったひさしは破れ砕け、柱頭の斗栱は斜めに歪んでまいりました。

そして、見るがよい、とうとう倒れていく〜!

土塀は砕け散って一山の土に還ってしまい、

家のご主人さまはいつになったら帰ってくるのやら。

みたいなところでしょうか。何かが滅びていく恐怖を歌ったものか。あるいは自由になる喜びを歌ったのか。

ちなみに「檐」(えん)は「ひさし」、「斗栱」(ときょう)は「ますがた」で柱の上にとりつけられて梁を支える役割を果たす。

なお、この詩にはわざわざのところに注がついていて、

毎至倒也二字、即連呼三五句方已。

つねに「倒也」の二字に至るごとに、即ち三五句を連呼してまさに已む。

(段穀は)いつも、「倒れるなり」のところまで来ると、三回か五回ここを続けざまに唱えたのであった。

と書いてあります。ここのところにすごい思いいれがあったのでしょう。

段穀は間もなく病死してしまったのですが、

及葬、発視但棺耳。

葬に及んで発して視るに、ただ棺のみ。

葬儀の際、死体を納めてあった棺の中を見てみたところ、何にも入っていなかった。

要するに本当に死んだのではなくて、死んだふりをして棺から抜け出し、仙人になったみたいなのである。

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以上、宋・張師正「括異志」より。今週はあと二日・・・。段穀のようになるのと週末が来るのと、どちらが早いであろうか・・・?

 

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