
↑昔描いた画なので何を訴えようとしているのかすぐにはわからなかったが、どうやら靴下のことが言いたいようだ。
今日は唐の大博物学者・段成式先生に来ていただいて、みんなでお話しを聴く場を設けてみた。○が会場からの質問、●が先生の回答である。
○オオカミはどんなドウブツ?
●狼大如狗、蒼色、作声諸竅皆沸。
狼は大いさ狗の如く、蒼色、声を作すに諸竅(しょきょう)みな沸く。
オオカミは大きさはイヌぐらいで、灰色である。その吠えるときは、(口だけでなく、耳・目・鼻・肛門など)体中のあらゆる穴から声が沸き出す。
といいますね。
○「狼狽」について。あわてふためく様子を「狼狽」(ろうばい)といいますが、何故か。特に「狽」(ばい)とは何でしょうか?
●狼狽是両物。狽前足絶短、毎行常駕狼腿上。狽失狼則不能動、故世言事乖者称狼狽。
狼・狽はこれ両物なり。狽は前足絶して短く、行くごとに常に狼の腿上に駕す。狽、狼を失えばすなわち動くあたわず、故に世に、事乖く者を言うて狼狽と称するなり。
オオカミと「狽」(バイ)は別々のものなんですよ。バイは前足二本がすごく短い(。だから四本足で歩けない)。そこで、出かけるときは、(同族である)オオカミの後ろ足の付け根の上に前足を置いて、歩く(。つまり、オオカミ+バイで六本足状態で歩くのである)。バイは、オオカミがいなくなってしまうと移動することができない。この故に、世間では、思ったとおりに行かなくて困惑している状態を「狼狽」というのだ(、というひともいる)。
○先生、「狼狽」だとちゃんと移動できるのであって、困惑している状態は「狼狽」ではなくて単なる「狽」の時ではありませんか。
●(無言)
○先生、その様子からみると「狽」は「負け組」なのではないでしょうか。どうしてオオカミほどの強者のドウブツがそのような「負け組」と同一行動をとっているのでしょうか?
●はあ? なんですか、ゲンダイのみなさんは表面だけ見て「勝ち負け」を決めるんですか? へー。まあ、いいですけど・・・、答えになっているかどうかわかりませんが、
近世曾有人独行于野、遇狼数十頭。
近世かつて人の独り野を行くに、狼数十頭と遇うあり。
最近(といっても唐の時代)のことですが、あるひとが一人で原野を歩行していたところ、オオカミ数十頭がやってくるのを遠くに認めたそうである。
そのひと、どうしようもなく、道端に積み上げられた草の上(無人の原野で、一体誰が積み上げたのか?)に登って伏せ、じっとオオカミの動きを観察していた。すると、
有両狼乃入穴中、負出一老狼。老狼至、以口抜数茎草、群狼遂竟抜之。積将崩、遇狼者救之而免。
両狼のすなわち穴中に入り、一老狼を負いて出ずるあり。老狼至り、口を以て数茎の草を抜き、群狼もついにこれを抜く。積まさに崩れんとして、狼に遇う者これを救いて免れたり。
二匹のオオカミが地中の穴に入って行き、中から老いたオオカミを背負って出てきた。この老いたオオカミは人がその上に隠れ伏している草の山の前まで背負われてくると、その前で降り、口を以て数本の草を抜いた。それを見て、他のオオカミたちも倣い、草を抜き始めた。草の山は崩れそうになったが、そのひとは手足で草を押さえ、バランスを取って、何とか崩れないように保つことができた。
草を抜くことが終わると、再び老オオカミは二匹のオオカミに背負われて穴に帰り、他のオオカミたちはそれを見送った後、散じて行った。これはオオカミたちのなんらかの儀式だったのかも知れない。
その後、この原では軍隊が出てオオカミ狩が行われ、百頭以上のオオカミが捕獲され殺されたそうであるが、
疑老狼即狽也。
疑うらくは老狼の即ち狽ならんか。
もしかしたら、この老オオカミが、いわゆる「狽」なのかも知れない。
そうすると、長老を大切にする、ということであるから、別にオオカミの負け組でもなんでも無いのではないでしょうか。
○ええー! オオカミは年寄りを大切にするのですか? 信じられないね。ゲンダイの進歩したわれわれニンゲンには理解できませんよ。
ところで、どうして「のろし」のことを「狼煙」というのですか。
●それはオオカミの糞が・・・
○おい、もういいよ、こんな昔のひとの話し聞いても役に立たないぞ。
○確かに手っ取り早い儲けのハウツーは何もないな。
○そうね、婚活や子育てにも役に立ちそうにないわね。
(散会)
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唐・段成式「酉陽雑俎」巻十六による。今日はバカどもが散会していったので「狼煙」と「狼筋」の話が聞けませんでした。バカどもは放っておいて自分は聞きたい、というひとがあったら憮然としている段先生に頼んでみますが、特になければ自然体に任せます。