↑海の上にも関があるのじゃ。

 

平成20年11月3日(月)  表紙へ  三日前に戻る

兄神たちの迫害に耐えかねた大国主命が頼ったのは、ネノカタスクニ(根堅州国)に隠れているスサノヲノミコトのところであった・・・(古事記・上)。

というネノカタス国はもちろん神話空間におけるクニですが、「根」は木の根であり、これを木のクニ(紀伊国)内に比定するのが一般である。しかしながら、ネノカタス国の根は、ニホン中のあちこちで地表に出ているのである。

このたびわたくし、いわゆる「西海」国定公園内のあちこちを見て回ってきましたが、あのあたりはあちこちで出ていましたよ。

その根にしがみついて、

「ああ、おいらはもうどこにも行きたくない。おいらはずうっとここにいたいんだよう」

と嘆き訴えたのですが、なかなかお側に置いてもらえないので、また東京に戻ってきてしまいましたのじゃ。

博多から、鏡山→呼子(七ツ釜)→いろは島を経て松浦市に至り、ここでまた変な夢など見まして、それから今日は刈萱城→里田原歴史民俗資料館を経て、佐世保バーガー食って帰ってきた。遠かった。

呼子で賢者と遇うた。イカ定食屋をしていた。今をときめく宮崎康平氏の下で掘っていたこともあるという。宮崎氏は学閥の無い方ゆえ、この方も無い。賢者同士ゆえお互い名は名乗らぬが、いろいろ教えてもらったです。松浦地方のあちこちに「むくり」の言い伝えあるのも知ったです。恐ろしや。ちなみに松浦市の鷹島に「モンゴル村」があるのはその故とのこと。

里田原の歴史資料館、木器オモシロい。案とか槽(ふね)とか杓子、玉杓子など出土しているです。ここのおばちゃんも賢者かも知れんのですが、ちょっと先を急いでいたのであまり教えを受けることができなかった。以前渋谷区に住んでおられたよし。

佐世保バーガーは食べるたびに「ハラ苦しい。二度と食べたくない」と思うのですが、また食べてしまった・・・。

閑話休題。

三日ほど更新さぼったので、少し考えた。考えて、このHPは、もう少し「思想性」といいますか、「統一性」のあるものにしたい、と思うに至った。ただし、肝冷斎主人自身に「思想性」とか「統一性」が欠けているので、精神論だけではなかなかそういうものにはならない。よってここは形式から入るべし、と考えまして、毎週○曜日ごとに一定のジャンルからテクストを選んで紹介することにしよう、ということに決せられたのです。

そこで、月曜日は、最近部屋の中で再発見されました悟元道士・劉一明「通関文」をご紹介する日にしました。

劉道人は、

盈天地間者、皆陰陽之道。盈天地間者、皆性命之道。

天地の間に盈(みち)るものは、みな陰陽の道。天地の間に盈ちるものは、みな性命の道。

天地の間に満ちているのは、すべて宇宙の二極=陰陽の原理であり、天地の間に満ちているのは、すべてニンゲンの生成と天命のことわりじゃ。

要するに、宇宙原理=ニンゲンの生命原理というているのです。(「会心集叙」

その劉道人が、ニンゲンの生命原理(「性命の道」)を全うするために通過しなければならない五十の関門(ひっかかってしまいそうになるところ)を整理してくれたのが、「通関文」じゃ。

その関門、はじめの方を拾うてみると、

第一  色欲関

第二  恩愛関

第三  栄貴関

第四  財利関

第五  窮困関

第六  色身関

第七  傲気関

第八  嫉妬関

第九  暴燥関

第十  口舌関 ・・・・・・・

うひゃあ。五十分の十まで見ただけでも、絶対にこの関門を通り抜けるのは無理じゃ、という気がしてきました。しかし、劉道人いう、

人在道中、不知道。

ひとは道中にありて道を知らず。

ニンゲンというのは、どっぷりとタオのことわりの中に漬かっているのに、タオのことわりを知らぬのだ。

ということなので、タオは実は身近なところにある。少し物の見方を代えただけで世界の様相は一変するものでありますから、もしかしたらがんばったら、ぐいぐいぐい、と関門を突破できるかも知れません。

どこまでいけるかわかりませんが、五十関、毎週一関でもほぼ一年かかるというタオの道に、挑んでみたいと思います。

では。

まず第一関は色欲関なわけです。見上げるほどに大きな関門である。門の両柱に詩が懸けられていた。

呂祖(唐代の伝説的な偉大な道士である呂洞賓のこと)の云うことには、

二八佳人体似酥、  二八佳人、体は酥(そ)に似たり、

腰中仗剣斬愚夫。  腰中の仗剣 愚夫を斬る。

十六ぐらいの可憐のムスメ、その体はチーズのように柔らかじゃ。

しかし腰にはおそろしい剣を秘めていて、愚かな男はざっくりと斬られる。

おお。

これは官能的です。二八=十六のムスメの体がチーズのようだ、とはよう言うたものじゃ。においまで匂うてきそうじゃ。が、その腰にはおそろしい剣を佩びているという。剣は男の方ではなく、女の方にあったのだ。

雖然不見人頭落、  然りといえども人頭の落ちるを見ず、

暗裏教君骨髄枯。  暗裏に君が骨髄を枯れしむ。

斬られるとはいえ、その男の頭が切り落とされるわけではない。

目には見えないのだが、(女の剣で)いつの間にかおまえは骨髄を枯れはてさせられてしまうのだ。

ああ、なんという恐ろしい関門でありましょう。わたしなど一たまりもなくこの関門に捕らわれてしまうことでしょう。ひひひ。

この恐ろしい「色欲関」、どうやって潜り抜ければいいのか。

そのためには・・・

・・・明日は朝から仕事なので、今日はここまで。続きは、来週の月曜日、の予定です。

 

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