今日は行田まで行ってフライ食った。
さて、「雑纂」というタイプの書物の嚆矢となった唐・李商隠の「義山雑纂」より。
お題は「殺風景」。
1 花間喝道 花の間に喝道す。
「喝」(かつ)は「怒声なり」と康煕字典に書いてあったので、そのように解します。
花の咲いている道で怒鳴っている。
なるほどこれは殺風景かも知れん。
2 看花泪下 花を看て泪下る。
花を見て、涙を流している。
これは、涙を流しているひと次第では殺風景ではないかも知れませんが、義山先生は歓び愛でるべき花を悲しむのはよろしくない、と感じたのでしょう。
3 苔上鋪席 苔上に席を鋪(し)く。
例えば夏の日、林中の苔むした石の上に座って鳥や虫の声を聞く。これはすばらしい。ところが、そのひとは石の上に座るに際して、不潔に思ったのであろうか、座布団を敷いた。
苔の上に座布団を敷く。
これは殺風景じゃ。・・・と先生はいうのですが、われわれから見ると「無風流」という語の語感が近いでしょうか。
4 斫却垂楊。 垂楊を斫却(しゃくきゃく)す。
枝垂れ柳が邪魔だから、切り落としてしまった。
これは殺風景。枝垂れ柳が邪魔だという気持ちが既に怪しからん。
5 游春重載。 春に游ぶに重載す。
春の野に行楽に行くのに、重い荷物を持っていく。
これは殺風景。持って行く下人の身にもなってみてくだされい。
6 花下晒褌。 花下に褌を晒す。
花の下にふんどしを干してある。
これは風景としては殺風景ですが、その前に怪しからん。
7 石筍繋馬。 石筍に馬を繋(か)く。
鍾乳石に馬をつなぐ。
これはいけないことです。天然記念物をコワしてしまうかも知れません。
咲いた桜になぜ駒つなぐ 駒がいさめば花が散る
の都都逸も思い出される。
8 月下把火。 月下に火を把る。
月見に出て松明を燃やしている。
これは殺風景・・・かどうか。闇に慣れないゲンダイ人間の目から見ると、月下の炎もずいぶんと好風景に感じるかも知れぬ。
9 妓筵説俗事。 妓筵に俗事を説く。
妓女を呼んで行われる宴席で、生活とか仕事について愚痴る。
殺風景、というほどのことも無い感があるが如何。なお、唐代の妓女は官に所属し、妓筵は官員の公式行事でもあった。明清代や江戸時代のように金さえ出せば誰にでも行楽の歓びが味わえるのとは少し違う。われら人民には関係無いことであったのじゃ。
10 果園種菜。 果園に菜を種(う)う。
果樹園に野菜を植える。
これはいいことではないのでしょうか。
11 背山起楼。 山に背きて楼を起こす。
山が背中になるようにして(山を見ることができないように)高楼を建築している。
たかどので酒杯を挙げるとき、山に視界を遮られぬように、という建築者の配慮だとしても、実は無風流。山を見ながら飲んだ方がいい、ということらしい。
12 花架下養鶏鴨。 花架の下に鶏・鴨を養う。
花を咲かせた棚の下で、ニワトリやアヒルを飼っていやがる。
のは殺風景・・・でしょうか。生活感が溢れていて、いいと思うのですが。
13 歩行将軍。 歩行の将軍。
大将軍が、馬に乗らずに歩いている。
すごくかっこわるい。という意味で殺風景。
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以上。「殺風景」には、風流でない、かっこわるい、似つかわしくない、不気味、ぐらいの意味があるようだ。みなさんは1〜13のうち、どれが最も「殺風景」だとお感じになりますでしょうか。 回答欄:( )
ちなみに「義山雑纂」は清少納言が読んでインスパイアーされて「枕草子」を書いた、とも言われるのですが、なんとなくそうかも知れない、という雰囲気である。