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平成20年12月10日(水)  表紙へ  昨日に戻る

ちょっと試したいことがあるので、有名な言葉について解説してみる。

勢い、破竹の如し

ということばがありますが、これは

竹を割るときのように、たやすく物事が進捗していくこと

である、というのは、正しいのですがちょっと違う、ということを解説いたします。

魏・呉・蜀の三国が鼎立する三国時代というのがありましたが、まず魏の景元四年(263)に蜀漢が魏に併呑され、そのわずか二年後(魏の咸煕二年(265))には魏の元帝から禅譲を受けて晋の武帝が即位し、しばらく晋と呉の二国体制が続きます。

この時期、晋の咸寧年間(275〜280)の終わりごろ、鎮南大将軍として晋側の対呉国境最前線の将軍になったのが杜預、字・元凱というひとである。

杜預は呉の軍政が緩み、呉帝が讒言を信じて将軍を罰する状況になっていることを確認すると、武帝に対して

若或有成則開太平之基、不成不過費損日月之間、何惜而不一試之。

もしあるいは成るあれば、太平の基を開き、成らざるも日月の間を費損するに過ぎず、何ぞ惜しみてひとたびこれを試みざるや。

うまく成功すれば、天下を統一して太平のもとを開くことになりますし、失敗しても数ヶ月を無駄にした、というに過ぎません(。もちろんわたしは処罰されるでしょうが、国家にとっては大した損失ではない)。どうして何かを惜しんで、やってみようとなされないのですか。

と、呉を攻め天下を統一することを上表した。

実は、晋の廟堂は呉を攻めることに対してずっと消極的であったが、武帝は従来より呉の平定の機会を捉えることを考えていたのであった。そして、その帝の考えを最も理解していたのが、内閣官房長官に当たる中書令の張華であった(→この間の事情を神秘的に書いてあったのが11月22日28日の記事ですな)。

帝与中書令張華囲棊而預表適至。華推枰斂手、曰、陛下聖明神武朝野清晏国富兵強号令如一。呉主荒淫驕虐誅賢能。当今討之、可不労而定。

帝、中書令・張華と棊を囲みて、預の表、たまたま至る。華、枰(ヘイ)を推して手を斂め、曰く、

「陛下聖明にして神武、朝野清晏にして国富み兵強く、号令一の如し。呉主、荒淫にして驕虐、賢能を誅す。当今これを討たば、労せずして定むべし」と。

ちょうど、武帝と中書令の張華が碁を打っているところに、杜預の上表書が届いた。(内容を察した)張華は、碁盤を横に押しのけ、手を引き(、居住まいを正して)、言うた。

「陛下は聖にして明察、また神のごとき戦略眼をお持ちでございます。また、朝廷も朝廷の外も清らかで安定しており、国は豊かにして軍隊は強く、命令系統は統一されております。これに対して、呉の主(呉帝のこと)は荒淫にして驕り、残虐で、賢者や有能の者を殺してしまっております。今現在これを討伐すれば、何の苦労も無く平定することができましょう。」

武帝、にやりと笑って、

「わかった」

と答え、ここに平呉の決断は成ったのである。

ちなみに「枰」(ヘイ)は、賭博に使う道具(さいころの役をする)のことですが、本来は平らな板をいうということで、ここでは「碁盤」と理解してみました。

こうして、武帝の命により、太康元年(265)正月、杜預の指揮する軍は呉の境域に進軍し、たちまちのうちにその諸軍を破り、春にかけて長江を下流に向けて進軍したのであった。

・・・ところが、晋の軍議はなかなか整わない。(←これにはもちろん呉国の側のロビー活動があるのですが)

長江の下流に向けて進軍を続けていると、

百年之寇、未可尽克。今向暑、水潦方降、疾疫将起。宜俟来冬更為大挙。

百年の寇、いまだことごとくは克つべからず。今暑に向かい、水潦まさに降り、疾疫まさに起こらんとす。よろしく来冬を俟ちて更に大挙を為すべし。

百年間も対立してきた敵でござる。まだ完全に勝ちきることはできますまい。そして、これからの時節は夏に向かうのであるが、長江の水を増水させる雨が多く降るであろうし、また、この江南の夏の暑さの中では、我が華北の軍は疾病に冒されるであろう。とりあえず、現在までの戦果を確保した上で、今年の冬まで待って、再度攻勢をかけることにしては如何であろうか。

という意見が出てきて、大勢を占めはじめた。

そこで、杜預、大いに怒って曰く、

昔楽毅藉済西一戦以併彊斉。今兵威已振譬如破竹数節之後皆迎刃而解、無復着手処也。

昔、楽毅、済西の一戦を藉(か)りて以て彊斉を併せたり。今、兵威すでに振るうこと、譬えば破竹数節の後、みな迎刃して解き、また着手の処無きが如きなり。

昔、戦国時代の燕の名将・楽毅は、済西の戦いのただ一度の勝利の勢いをかりて、次々と斉の諸城を落とし、とうとう強大な斉の国を完全に占領してしまったのだ。現在、我が軍の勢威は、これを喩えるに、竹を縦に割るために刃物を当てると、いくつかの節の間は力をこめてやらなければならないが、それを過ぎると、あとは(竹の繊維に沿って)刃を当てればそれを迎えるかのように割れていき、もう何かをしてやる必要もない、というところまで来ているのだ!

そして、政府からの命令を待たず、一気に呉の都・秣陵まで兵を進めたのであった。

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以上、晋書巻三四「羊祜・杜預列伝」より。

結論的には、

破竹

するときは、最初のいくつかのふしの間は、力を入れて割ってやらないといけないものであって、勢いがよくなるのは数節目から後のことだ、ということです。「破竹の勢い」も最初は大変なのですね。

 

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