宋の時代。丞相となった趙清憲公の夫人郭氏の甥っ子に郭大という若者がいた。
この郭大、腕っ節もあり頭も切れる男だったが、風雅なところもあって、ある真夏の夜、よい月が出たので馬に騎って郊外の田園を散策しに出かけたのであった。
気分よく馬を歩ませながら月下に涼を得ていたが、
中路馬驚、鞭策不肯進。
中路馬驚き、鞭策すれどもあえて進まず。
途中、突然馬が立ちすくんでしまい、鞭を当ててもどうしても進まなくなった。
「どうどう・・・はて、どうしたことか」
馬はどうも進行方向の左側を気にしているようであるので、郭大もおのずとそちらの方に視線をやった。
月の光の下。
ひろびろとした瓜畑が広がっている。
その瓜畑の中、郭大と馬の左前方、十数歩ぐらい離れたところに、黒い影がある。
一瞬、瓜泥棒でもいるのかと思ったが、人間であるとすると距離の隔てに比してあまりに大きい。
それは、目算で
高丈余。
高さ丈余。
高さは一丈(3メートル余)と少しぐらいある。
「なんだ・・・?」
とつらつらと眺めるに、
形如蝙蝠、頭如驢、両翅如席。
形は蝙蝠の如く、頭は驢の如く、両翅は席の如し。
形はコウモリに見えるが、その頭はロバの頭のようであり、両方の羽は蓆(ムシロ)のように巨大である。
そのモノ、
一爪踞地、一爪握瓜食之、目光燦然。
一爪は地に踞し、一爪は瓜を握りてこれを食らい、目光燦然たり。
一方の脚は地面を踏み、もう一方の脚で瓜を握ってこれを食っているのだ。その目の光はぎらぎらと輝き、闇の中に明らかである。
「む・・・あ、あわわ」
郭はなかなか腹のすわった男であったが、さすがにこれには胆をつぶし、馬の頭をめぐらして逃げ出した。
数十歩間反顧、猶未去。
数十歩間にして反顧するに、なおいまだ去らず。
数十歩ほど行ったところで振り返ってみるに、なおそのモノはそこにいた。
「うわああ」
郭は無我夢中で馬に鞭をくれ、町に逃げ帰ったのである。
郭はこのモノが何であるかわからなかったが、
他日、入神祠、見壁画飛天夜叉、蓋其物也。
他日、神祠に入り、壁画の飛天夜叉を見るに、蓋しその物なり。
それからしばらくして、ある祠に御参りした際、壁に仏典に登場する飛天夜叉(ひてん・やしゃ)が描かれていたのを見たところ、つまりこれであったと知った。
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久しぶりの引用になってしまいましたが、宋・洪容斎先生「夷堅甲志」第十九巻より。
ああコワかった。振り返ってみてもまだいたのですから、やっぱりこういうのはいるのですなあ。姿形からはデビルマンやその原型である西欧型のデーモンをも連想させるところ。
ちなみに「夜叉」(やしゃ)は、梵語「ヤクシャ」の音訳。ヤクシャの語意は「暴悪」又は「勇健」だそうですが、そういう名前の「精霊」をいう言葉。やはりインド・ヨーロッパの世界の方なのです。
「大言海」をひもとくに、「夜叉」は
猛悪ナル鬼神(オニ)。豕牙、肉角アリト云フ。サレド、福徳殊勝、諸天ヲモ護衛スト。
とあり。仏教以前からのインドの悪鬼で、その姿で恐れられる一方、仏教に取り入れられていわゆる「護法天」(異教出身だが仏教信者らを守護する精霊。アシュラなどが有名)の一つとなってもいる方である。
そう聞くと、
@「かつて」の悪鬼のヤクシャが心を入れ替えて「いま」は善神のヤクシャになったのじゃろう。
と考えたり、
Aヤクシャは複雑な性格で、「いま」存在する一つのヤクシャが善・悪二つの性格を持っているのでなかろうかのう。
と考えたくなるのが合理的な脳みそのひとの考えですが、どうもインド的な思考には「かつて」と「いま」といった時間の流れは無視しうるものであるみたいで、
B悪神ヤクシャは心を入れ替えて「善」になったのだが、「悪」のころのヤクシャも同じ時空にいる。
と考えるのが、インド的には正しいのではないか、と思うに到りました。
アシュラも護法天であると同時に六道の阿修羅道の住人でもあるし、仏教的世界観が合理主義の一筋の縄でくくれるなどと思ってはならないのです。
なお「夜叉」にはもともと空を飛ぶ能力があるようで、その点を強調した呼び名が「飛天夜叉」なのです。