↑あたま痛い。

 

平成20年12月14日(日)  表紙へ  昨日に戻る

まだあたま痛いのですが漢字も読まないといけないので、今日は漢文のお話しに戻ります。

12日のお話しとセットで読んでもらうと、もしかして関係ある?と思ったりしますが、よくよく考えると関係無さそうです。

明皇狩近郊。

明皇、近郊に狩す。

明皇が長安近郊で狩猟をされた。

「明皇」は唐の玄宗皇帝(在位712〜756)のことです。

皇帝が弓を引き絞って矢を射ると、巨大な鹿に当った。

誰も見たことの無いような大鹿である。

「これは大きいのう」

とみな賛嘆していると、ロバに乗って張果老がやってきた。彼は今日の狩には呼ばれていなかったはずだが・・・。

張果老はロバから降り、皇帝の前に進み出ると、

「陛下、本日はわしの知恵を必要とすることが何かございませんかな」

と言うので、皇帝、果老に誇らしげに大鹿の死骸を見せ、

「この鹿には何かいわれがあるであろうか」

問うた。

張果老、驚いて曰く、

「陛下、これは

千年仙鹿也。

千年の仙鹿なり。

千年の生命を持つという神仙の鹿でございますぞ。

確か以前、・・・ああ、そうじゃ、

漢武時、有生獲此鹿者、帝活之、且命以銅牌識其年月。

漢武の時、この鹿を生獲する者あり、帝これを活かし、かつ命じて銅牌を以てその年月を識(し)るせり。

漢の武帝(在位紀元前140〜前87)の時、この鹿を生け捕りにして帝に献じた者がおりました。武帝はこれを生きたまま解放したのですが、その際、銅の札を付けさせ、それに当時の年月を記録するよう命じたはずでござる。

ああ、陛下、お慶びなさいませ。武帝の如く西域まで含めた世界帝国を支配するものにしか、この大鹿は捕まるものでは無いのございますから」

「ほう」

皇帝、それを聞いて武臣に鹿の死骸を調べさせると、

果于左角上得二小牌。

果たして左角の上に二小牌を得。

果たして、左の角の上に二枚の小さな金属の札がついていた。

その札をよくよく調べてみたが、一枚には「・・・月」と「月」の字が読み取れたものの、もう一枚の恐らく「年」が刻まれていたであろう方の札は、もう磨り減ってしまって読めなくなっていたのであった。

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唐・張讀「宣室志」より。この本はこんな変なことがたくさん書いてあるです。

それにしてもどうして張果老はこんなことを知っていたんでしょうね。もしかしたら紀元前の武帝のころからずっと生きていたのであろうか。張果老は仙人でコウモリの化身というから、本当にそうかも知れない。いや、そうであるに違いない。(→張果老伝説については以前紹介したが、いつ紹介したか忘れた。明ひとの文章か何かで紹介したような・・・。とりあえず「張果老」でググってみてください。有名人だからどこかのHPにはたどりつくでしょう。)(20.12.18補足→19.11.21日録を見よ)

・・・という気になってまいりましたでしょうか。

いや、もしかしたら、張果老が先に大鹿を捕えておいて、文字を磨り減らした札を取り付け、皇帝の目に留まりそうなところに放っておいた、ということも考えられます。なんという恐ろしい策略でしょうか。

あるいは、漢の武帝が生きて捕えた大鹿(すなわち世界帝国)を玄宗皇帝が殺して捕えた、ということは、漢と唐の帝国のあり方を象徴的に暗示しているものともいえるのではなかろうか。

・・・などとも思ったのですが、単に後世の作り話なのであろうと考えるのが健康なニンゲンなのでしょうなあ。

 

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