戦国時代、斉の宣王(在位:紀元前320〜前302)は、竽(ウ)の演奏を愛し、三百人からなる楽団を保有してこれに合奏させて聴くのを喜びとしていた。
「竽」は「笙」(ショウ)に似た竹管楽器であるが、我が国ではその法が長く失われていたことなど数年前に調べてどこかに書いたと思うのですが何年何月か忘れた。思い出したらリンクします。
この三百人の楽団員はみな宮廷で食事を供されていたのだが、その中に南郭処士(ポリスの南の街に住んでいる市民)というひとがいた。
宣王死、湣王立。
宣王死し、湣王立つ。
その宣王が死に、湣王が即位した。
歴史的には紀元前301年のことになります。
あるひと、湣王に勧めて曰く、
一一聴之。
一一にしてこれを聴け。
楽団の楽士らについて、合奏させるのではなく、一人ひとりに演奏させてみなされ。
王はその言葉どおりに、楽士たちに一人ひとり演奏させることにした。
すると、
処士逃。
処士逃げたり。
南郭処士は自分の順番が回ってくる前に、逃げ出してしまった。
けだし、彼は竽を演奏することができなかったのだが、先王の時代には三百人の中に紛れ込んで、演奏するふりをして、宮中の食事にありついていたのである。
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「韓非子」内儲説上より。
この話をわたしは気に入っております。
この話は一般には、
―→組織の中には南郭処士のように能力の無いものが入り込んで徒食している場合があるので、君主(経営者)は気をつけねばならん。
という比喩らしいのですが、わたしども君主(経営者)ではない方からみると、
―→組織の中には南郭処士のように能力の無いものも入り込んで徒食していられるのだが、リストラされたらしようがないので逃げ出さねばならん。
という生き様の指針ともなるのである。
ちなみに明日も出勤なので今日も短いお話しでおしまい。