今日は冬至記念日。仕事のあと京橋の警察博物館見てきた。これはよかった。東京近辺に住んでいたりして機会があるひとはどうぞ。川路大警視かっこいい。「ピーポくんの歌」かっこいい。
閑話休題。
陳陶、字は嵩伯、江西・鄱陽の剣浦のひとである。
時代的には唐の後半のひとである。
青年時代には進士たらんとして試験を受けたが下第し、詩を作りて曰く、
中原不是無麟鳳、 中原これ麟・鳳無きにあらざるも、
自是皇家結網疎。 自ずからこれ皇家の結網疎なるなり。
この広い中華の地に、盛世に現われるという麒麟や鳳凰がいないわけではないが、
皇帝陛下のお広げになった網の目が疎らなので、すくいとることができないのである。
「麒麟」「鳳凰」は盛世を支える経世家となるべき自分のことを比喩している。まことに志遠く心広大な、自負に満ちた言葉であった。
試験に合格させて採用してくれないのではしようがない。
ということで、
遂高居不求進達、恣遊名山、自称三教布衣。
ついに高居して進達を求めず、ほしいままに名山に遊び、自ら「三教布衣」と称す。
とうとう高踏して仕進を求めることなく、好き勝手に有名な聖地を周遊して、自分で「三教の布衣(ほい)」と称した。
「三教」は「儒・仏・道」の三つの教え。「布衣」は官位の無い庶民のこと。「三教布衣」は、「三教いずれにも通じている無職もの」という意味である。これもまたたいへん自信に満ちた自称であった。
三教布衣は、大中年間(847〜860)、中原の混乱を避けて洪州に流れてきた。
洪州西郊の山中が気にいったらしく、そこに住んで、
学神仙咽気有得、出入無間。
神仙を学んで気を咽(の)んで得るあり、出入間無し。
神仙の学を実行し、気を食べる修行をして得るところがあるらしく、城内に突然現われたり、いつの間にかいなくなったり、という生活であった。
時に洪州を管轄する予章の知事は厳宇というひとであったが、三教布衣の清らかな思想と生活を尊敬し、生活に必要な物資を奉るとともに、おりおりに山中を訪れてその教えを受けていた。
この厳宇、ある時、布衣の節操を試してみようとして、うら若い妓女に蓮の花を持たせて訪問させてみたことがあった(要するに色仕掛けを仕掛けてみたんですね。さすがはチュウゴクである)。
布衣は笑って、
近来詩思清於水、 近来詩思は水よりも清く、
老去風情薄似雲。 老い去りて風情は薄きこと雲に似たり。
已向升天得門戸、 已に升天に向かいて門戸を得れば、
錦衾深愧卓文君。 錦衾も深く愧ず、卓文君。
最近は詩心が水よりも澄んでまいりまして、
また老いてきたので風雅な思いも薄まって、雲のようなものであります。
わしは、すでに、タオの教えに従って、天に昇ろうという方向に進んでいるので、
(漢の司馬相如の妻となった美しい)卓文君が、にしきの布団で出迎えてくださっても、申し訳ないことになってしまうでのう。
という詩を持たせて妓女を帰らせたので、厳宇は感動し、深く尊敬したのであった。
このときまでには陳布衣は、仙人になる必要条件である「金骨」(骨が黄金となっていること)を得て、俗人のような欲望に煩わされなくなっていたのである。
このころ、夜、山中では、
必鶴氅、焚香巨石上、鳴金歩虚、礼星月、少寐。
必ず鶴氅(かく・しょう)にして、巨石上に香を焚き、金を鳴らして歩虚し、星月に礼して寐(い)ぬること少なし。
いつも鶴の羽で作った衣を着、巨石の上で香を焚いて、金属の祭器の音をさせて道教祭儀で行う特殊な歩き方で動き回って、星と月を拝礼し続け、ほとんど寝ることはない。
という彼の姿が見られたという。
あるいは彼の住まう茅葺きの粗末な家は、いつも
風雷洶洶不絶。
風雷洶洶(きょうきょう)として絶せず。
「洶」(キョウ)は「どんどん湧き出してくる」さま。
風と雷がその中から湧き出てきて、とどまることがないのであった。
というのである。
一体どのような手法で、このような不思議を為しえたのであろうか。
さて、陳布衣、
忽一日不見、惟鼎竈杵臼依然。
忽ち一日にして見えず、ただ鼎・竈・杵・臼は依然たり。
ある日突然、すがたを消してしまった。その不思議な家の中には、なべ・かまど・きね・うす(←これらは丹薬を作る道具である)はそのまま遺されていたのである。
ああ。どこへ行ってしまったのでしょうか。
ああ。(涙)
ここまでだけでも感動するのに、さらに、
開宝間、有樵者入深谷、猶見無恙、後不知所終。
開宝の間、樵者の深谷に入りしに、なお恙無きを見る有るも、後終わるところを知らず。
開宝年間、キコリが深い谷に入ったとき、なお元気にしておられるところを見たという。
その後、どうなったのかは誰も知らない。
というのである。
ちなみに、開宝年間というのは、唐が滅んでさらにずうっと後の、北宋のはじめ(968〜976)のことなのである。
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元・辛文房「唐才子伝」巻八より。
どうですか。こんなひとがいたことを知っても、みなさんはなお今の生活に満足していられるのですか。わしはダメだね。陳布衣の後を追うて山中に分け入るしかないね。後は、明日出かけるか、明後日出かけるか、だけの問題でしかない(と思う)。
ちなみに、七日続けて会社行かされたので、予想通り症状出てきた。本当につらい。