↑こいつが「来い来い」と呼んだのか。

 

平成20年12月26日(金)  表紙へ  昨日に戻る

今日は寒いし、やる気あらへん。

金国天会十四年。

「天会」は女真族の建てた金国の二代目・太宗(在位:1123〜35。靖康の変で北宋を滅亡させた皇帝)のときの元号ですが、三代目の煕宗も即位後の3年間(1135〜37まで)、同じ元号を使っていますので、「天会十四年」というのは煕宗の治世、西暦1136年に当たる。

四月中、京小雨、大雷震。群犬数十争赴土河而死、所可救者才一二耳。

四月中、京小雨にして大いに雷震す。群犬数十、争いて土河に赴きて死に、救うべき者わずかに一二のみ。

四月に、京師において雨は小降りであったが、大いに雷が鳴り稲妻が走ったことがあった。このとき、数十匹の犬が群れて、自ら争うように都城内の土河に飛び込んで死んでしまうということがあった。ひとびとが何とか救いあげることができたのはわずかに一〜二匹であった。

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と、宋・洪容斎先生「夷堅甲志」巻一に書いてあった。この事件はちょうど容斎先生の生まれたころのことですが、先生はたしか父から二代にわたって金国に使いした当時最大の金国通であるから、かなり信憑性が高い記録ではないかと思われる。しかしながら、金史をひも解いてみても天会十四年にはそれほどの事件が記録されていないので、この犬の異変が何の兆しであったのか、わたしにはいまだ解けぬところである。

解けぬままですが、やる気無いので今日はこれで終わります。ちなみに、この当時金国の京師は、煕宗の後の廃帝(海陵王)のときに燕(ペキン付近)に遷都する以前なので、後に上都と称ばれることになる出虎水の水源地、会寧府である。

 

・・・で終わると二人しか確認できておりませぬ読者のみなさまでさえ飽きて怒ってくるといけませんので、付録でもつけて媚ておきましょう。

安永年間に木室卯雲なるひとが著わした「奇異珍事録」なる書によると、

大奥御医師の小遣である弥四郎という者の家にて、ある晩、

飯炊き釜鳴り出たり。

ということがあった。はじめはミミズかオケラの鳴き声のようであったが、やがて

次第に音大きく発し、ひびき渡れり。

ご近所に迷惑だと思い薪を重ねて蔽ってみたりしたが鳴り響く音を防ぐことができず、ついに近所のひとたちも覗きに来る始末となった。

どうすればいいかと困っていると、あるひと、

女の湯衣打ち掛ければ鳴り止む。

と教えてくれたが、家に女っ気は無いゆえ、借りに行かねばならぬ。湯を使うときの衣であるから、そこそこの身分の家にしか無く、また恥ずかしがってたやすくは貸してもらえまい。借りるにはよほどの覚悟がいると思い、

「それはおまえさん、試してみたことがあるのかい」

と問うに

「いや。親戚筋でやはり釜鳴りがあったときに、それで止んだ、と聞いただけじゃ」

と言う。

「それでは借りに行くわけにはいくまい」

と思い悩んでいると、別のひとがはたと手を打った。

「そういえば、隣町で、先年、同じように釜鳴りしことあり。その家の主をわしは知っているから、どう対処したかこれから聞きに行ってくるがよい」

「それはありがたいことじゃ」

と急ぎ隣町まで行くと、

ここへもかの釜鳴り渡る音、夥しく聞こえけるよし。

隣町まで自分の家の釜の音が聞こえてくるのである。このため、夜中というのに街中のひとが起き出してひそひそと噂している。恥ずかしいことこの上ない。

先年釜鳴りのあったという家の主を探し当てて対処方を聞くと、

「麻裃の肩衣を懸くべし」

と教えられた。

いそぎ帰って耳を塞ぎながら家の箪笥より麻の裃を出し、その肩衣を釜に懸けようと持ち上げたところ、

釜へ懸けるまでもあらず、かざすと忽ち鳴り止みけり。

ということであった。

どういう因果かはわからないが、弥四郎はその後、

段々仕合いよく、繁盛せり。

このこと、

弥四郎(より)直の話なり。

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本人から聞いた話なのであれば信憑性は高いでしょうなあ。それにしても釜は案外よく鳴るのですね。みなさんの家ではどうですか。といっても「みなさん」の母数が二人では、さすがに有意な統計はとれまい。

 

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