
↑明日は休日、というだけでどうしてこんなに心がのどかになるのだろうか。
(だったらずっと休日に、と思うのが人情であらう。)
これは淳煕十一年(1184)の初夏のことで、ここは浙江・山陰の小さな村である。
・・・夕べからの雨もあがり、村はムギの刈り取りに忙しい。
風はまことにすがすがしく、家々の門前には蚕繭から繰ったばかりの糸が干され、青々とした香りを漂わせている。
ひとびとはみな笑顔だ。既にムギのできはよい。イネもよく実るであろう。今年は豊かな歳になりそうなのじゃ。
わしは家の者たちにムギの刈り取りのことを命じておいて、驢馬に騎って村長の家に出かけた。
村長は屋敷の庭に村内の主だった者を集め、昨日、州城から届いた官の命令を伝達してくれた。
曰く、
・・・本年は州中のムギの作柄が良く、また辺境に戦乱の兆しも無い。よって、税額は昨年より七掛けに減じるものとする。
というお達しである。
「なんじゃと」
長老がまず言うた。
「昨年もその前年の七掛けに減じてもろうたばかりではないか。今年こそ、天朝さまに、わしらの作ったコメ・ムギをたくさん食べてもらおうと思うたに」
村人たちも口々に言うた。
「そうじゃ、今年の豊作では、昨年の二倍とられてもまだ余るぞよ」
「まことにありがたい天の恵みで豊作となった。これもよくよく考えれば天朝さまの御徳が高いゆえ」
「いくさびとらは命もて天朝さまに仕えている。わしら農民には年貢でしかお仕えできないというのに、それさえ少なくてよい、とおっしゃるのか」
みな、このところの善政のありがたさに、感謝の言葉と、皇帝陛下への忠誠を示す手立てが無いことのグチばかりである。
村長はそれをなだめすかし、わしが提案して、それなら収穫の一部をみなで持ち寄って、村境の橋を修復することにしよう。さらに残った分は、義倉(凶作時のための備蓄倉庫)に蓄えよう、ということとなった。
太平の一日、時間はゆっくり流れる。
まだ日は高い。
わしは驢馬に揺られて、寄り合いから帰る。
もう夏だからな。木々の枝には花は少なくなったな。
しかし、若葉の間を蝶がゆらゆらと飛んでいる。
林には桑の実が美しく実り、鶯は鳴きなれた声で今日もうたを歌っているな。
わしは、長いこと、方々に赴任して役人なんかやっていたのだが、本当に嫌な味のする日々であった。
しかし今、この故郷に帰って、田間に老いていくことができるのは、なんという幸せであろうか。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
以上。休前日の長閑な心で手元の書を読んでいたら、このありがたいのがあったので、書いてみた。これは陸放翁「村居書触目」(村に居りて目に触れしを書す)という七律詩を訳したのである。
まさか・・・。
現代のワープア溢れ金融不況の嵐吹き巻く時代には想像もできぬ世界だが、本当にこんな世界があったのか。
本当にあったかどうかというと詩的修飾もあるし、この時期の南宋は軍備費と金への歳幣で財政難に陥っていたので絶対こんなことあるか、とは思うのですが、肝冷斎のデッチアゲではない証拠に原文を掲げておきます。
雨霽郊原刈麦忙、 雨霽(は)れて郊原に麦を刈ること忙しく、
風清門巷曬糸香。 風清くして門巷に糸を曬(さら)すこと香んばし。
人饒笑語豊年楽、 人に笑語饒(おお)く豊年は楽しく、
吏省徴科化日長。 吏は徴科を省きて化日は長し。
枝上花空閑蝶翅、 枝上に花空しけれども蝶の翅(はね)は閑(のど)かに、
林間葚美滑鶯吭。 林間に葚(ジン。くわのみ)美しくして鶯の吭(のど)は滑らかなり。
飽知遊官無多味。 飽くほどに知りぬ、遊官の多く味わい無きことを。
莫恨為農老故郷。 恨むこと莫し、農と為りて故郷に老ゆることを。