本日は悟元道士・劉一明の「通関文」より。12月1日の続きである。
悟元道士は払子を振り、
「おい、片付けるのじゃ」
と童子に命じた。
「あい」
童子は、二体の泥人形(看財奴と慳貪鬼である)の間で、にたにたと笑ったまま気を失っている男を抱えて引き摺ろうとした・・・が、子供の力である、大のおとなを引き摺るのはなかなか困難であった。
すると、
「おまえも手伝いなちゃい」
と、わしにも手伝うように命令である。
「む・・・」
わしは思わず悟元道士の方を見たが、道士も目配せで
(手伝え)
と言うので、仕方なくわしは童子の手助けをして男を引っ張り、門の脇にあるお堂に引き摺りこんだ。
驚いたことにお堂の中には、男や女、老若を問わずに多くの人間たちで一杯である(子供もいるのだ!)。彼らのうちある者はいい夢を見ているかのようににたにたし、ある者は歯噛みして悔しがり、ある者は悲しげに閉じた目から涙を流したりしている。道士は我われの後からお堂を覗き込み、悲しげな夢に涙している人を見て、童子に向かって
「こいつはもうすぐ目が覚めそうじゃな」
と言うた。
「あい」
と、童子も頷いた。
「この間は、目を覚ますことなく死にやがったじじいもいまちたけどね・・・」
「そのまま「振り出しに戻る」になったやつじゃな・・・」
道士はわしに向かって、
「おまえも危ないところであったのじゃぞ」
と言うた。
さて、道士に促がされて、再び二体の泥人形のところに戻る。あとから来た者たちが既に何人か集まっていた。泥人形の向こうに門があって、「財利関」の額がかかっているのだが、泥人形が関門の通り道を塞いでいるのでこの先に行けぬのである。
道士、泥人形の前に立ってわしらの方を向き直り、滔々と講じはじめた。
堆金積玉満山川、神仙冷笑応不采。
金を堆み玉を積みて山川に満たすも、神仙冷笑してまさに采(と)らざるべし。
「黄金や宝玉を積み上げて、山や川をいっぱいにしたとしても、神仙は冷たく笑い、拾いもしないのだ。」
とは、伝説の道士・八仙のひとりである呂洞賓さまの語であるぞ。
ただし財には二種あるのじゃ。
@世財・・・金銀・珠玉など
A法財・・・功徳・精誠(功徳を積み、マジメに真心を持って生きる)など
の二つである。
@の世財を求めるものは、その欲とどまることなく、世間の利益をすべて自分のものにしたい、と思うようになり、ついには身を捨て命を放り出してでも財を得ようとする。
貪心不足、至死不肯回頭。
貪心足らず、死に至るもあえて回頭せず。
むさぼる心は、常に不足だと思い、死のときに至るまで、振り返って考えようとはせぬ。
「大限」すなわち「その時」が来たら、財産は一万の山ほどもあったとしても
買不転閻王老子、避不過生死輪廻。
買いて閻王老子を転ぜず、避けて生死輪廻を過ぎず。
閻魔大王のじいさんを買収できようか。生死輪廻の仕組みから逃れることができようか。
これに対して、Aの法財を求める者は如何であろうか。そういうひとは、本来の生き方を珠玉のように、ひとをおもいやり正義を貫くのを黄金や玉石のように大切にし、一方で塵の世の金銀財宝は石や土のように棄てて顧ないのだ。
蓋以所求者、先天之真宝、而塵世一切仮宝、何足恋之。学道者若有些児貪財謀利之心、便碍大道。
けだし求むるところの者は先天の真宝、しかして塵世の一切仮宝は何ぞこれを恋うるに足らんや。道を学ぶ者、もし些かの貪財・謀利の心あらば、すなわち大道を碍(さ)うるなり。
法財を求める者が、求めるのはすべて天に先んじて生まれた永遠の宝物ばかり。塵あくたのこの世のすべての「仮の宝」など、どうして大切に思う必要があろうか。タオを学ぼうとする者に、ほんの少しでも財を貪り、利益を図ろうという気持ちがあれば、その進もうとする道の障害になるだけである。
チンギス・ハンの信頼も得た丘長春大老師のことを思い起こすがよいぞ。
大老師は一粒のコメ、一枚の銭もむさぼることなく、その体を疲れさせ、その腹を餓えさせてひとのために働き、ひとにはできないことをやりぬいた。及至苦尽甜来、否極生泰、為宋金元諸帝王之隆寵。
苦のことごとく甜に至り来、否極まりて泰を生ずるに及んで、宋・金・元の諸帝王の隆寵するところとなる。
やがて苦しみをすべて甘く感じられるようになり、「否」(すべてがうまくいかない、という「卦」)が窮まって「泰」(すべてがうまくいく、という「卦」)が生じるに及んで、宋・金・元の各王朝の帝王のご寵愛を得るようになったのである。
そして多くの賜りものを受けたが、自らのために使用することはなく、苦しんでいるひとびとを救う事業や、みなの共有財産である道観の造立事業に役立てたのだ。
これは、
先積法財、而後借世財立功也。
まず法財を積み、しかる後に世財を借りて功を立つるなり。
まず先にAの法財を自ら積み立てて、それから@の世財を借りてきて、Aの一種である「功徳」をさらに積み上げたのである。
これに対し、世間のニセの道士たちの中には、他人を騙してお金を集め、自らのために財産を積んだり、あろうことか賭博や酒色に費やすものさえある。まさに
性命不如二百銭。
性命は二百銭にしかず。
本当の「命」が二百銭(二万円ぐらいか)の価値さえない。
というやからである。
・・・と、ここまで話して、
「おい」
道士はちらりと童子に目配せをした。
「あい」
じゃーん、じゃーん、じゃーん・・・・
童子はドラを鳴らす。
道士、払子を左右に振り、言う、
吾勧真心学道者、速将財利関口打通。不可見利忘義、心生貪図。須知的堆金積玉、買不得生死。財多累多、利多害多、与其背道而亡、莫若守道而死、還有好処。
吾は真心に道を学ぶ者に勧む、速やかに財利関口を打通せんことを。利を見て義を忘れ、心に貪図を生ずるべからず。すべからく堆金積玉は生死を買い得ざることを知るべし。財多ければ累多く、利多ければ害多く、その道に背きて亡びんよりは、道を守りて死にまた好処あるに若くなきなり。
わしは、真心よりタオを学んでいる者たちに勧める。速やかにこの財利関の門を通り抜けて行け、と。利益を見ては正義を忘れ、心に貪りを図る気持ちを生じさせるようなことがあってはならない。そして、黄金や宝玉をいくら積み上げようとも、生死のことを買うことができないことを知るべきである。財が多ければいやなことも多く、利益が多ければ害になることも多いのだ。どうしてタオに背いて本当の命を滅ぼしてしまおうとするのか。それよりはタオを守って現世の命を死なさせた方が、またよいところがあるであろう。
「ええい! ええい!」
道士、さらに強く払子を振ると・・・おお。
ごごごご・・・
と音を立てて二体の泥人形は左右に移動し、その間に人が通れるだけの通路ができた。
道士、
「速やかに行け、速やかに行け」
というので、わしはその間を通り抜ける。わしの後にも何人かが、続いて「財利関」を通り抜けることができた。
振り返ってみると、「財利関」はまことに立派な関門である。
――わしもあのお堂でしばらく少し眠りこけていてもよかったかも・・・
と思ったわしの耳に、
「速やかに行け、・・・
否則利心重而道心軽、正不勝邪、妄想明道難矣。
否ならば利心重くして道心軽く、正は邪に勝たず、妄想して道を明かにし難し。
そうでないならば、利益を図ろうとする心が大きく、タオを求めようという心が小さくなり、正しいことが邪しまなことに負け、みだりに考えるばかりでタオを明確にすることができないであろう・・・」
と道士が唱える声が聞こえ、そのうちにまた
ごごごご・・・
と泥人形が通路を遮ってしまったのであった。
われらにはもはや先に進むしか道はないのだろう。
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むむ、夢中で訳しているうちに、月曜日からエラい時間になってしまった。どうしてくれるのだ。
それにしても
買不転閻王老子、避不過生死輪廻。
買いて閻王老子を転ぜず、避けて生死輪廻を過ぎず。
は、覚えておくといい言葉ですね。心のどこかにメモしておこう。