↑賢者に拾われて生きられればのう。

 

平成20年9月10日(水)  表紙へ  昨日に戻る

飲んで帰ってきたのでアタマも痛いし眠いので、もうだめです。

ああだめだだめだだめだ。わしはだめなのだ。

ところで、わしはかつて、かような話を聞いたことがある。

戦国・魏に賢者として名高い田子方というひとがあった。魏文公(在位前446〜396)が師とした人物である。

ある日、田子方は外出した道すがら、老いた馬を目にした。この馬はどこかに連れて行かれる様子に見えた。

田子方、馬を引く者に問う、

「いったいこの馬をどこに連れて行くのか」

そのひと答えていう、

此公家畜也。罷而不為用、故出放。

これ、公家の畜なり。罷(ひ)して用を為さず、故に出放す。

この馬は国で公用に使ってきた家畜でございましたが、老い疲れてもう用を為しませぬ。よってこれから捨てに行くところでござる。

「罷」(ひ)は「やめる」「まかり出る」の意ですが、ここでは「疲」と通じて使っているようです。

子方これを聞いて、「ああ」と嘆じて、曰く、

少尽其力、而老出其身、仁者不為也。

少(わか)くして其の力を尽くし、老いてその身を出だすは、仁者は為さざるなり。

若いころにその能力を使い尽くし、老いてしまったらポイと追い出す。そんなことは心あるひとがすることではない。

そして、(貨幣の代わりの)布を渡して、その馬を買い取った。

この馬は田子方の家に養われ、まことに何の役にも立たずに間もなく死んでしまった。

ゲンダイのカシコい方々には、

「何の役にも立たぬことをするとは、それでも賢者か。おれの方がずっと賢いぜ」

と蔑むひとも多かろう。

しかし、

窮士聞之、知所帰心矣。

窮士これを聞き、心を帰するところを知れり。

志を持ちながら窮乏している者たちは、この田子方の行いを聞いて、誰を主と頼めばいいかを心に決めた。

窮士たちは「田子方のために働けば、彼は何とかしてくれるだろう」と考えるようになったのである、ということである。

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ああ、ゲンダイのカシコい方々よ、これでも田子方は愚かであったというのであろうか。

ちなみにこれは、「詩経」に出る語句に関わる伝説を集めたという漢・韓嬰「韓詩外伝」にあるお話じゃ。別に年金問題に関して何か提言しようと思って持ち出したわけではありません。我が身を思うて書いたのじゃ。

もうだめなわしはだめなので間もなく出放されることになるでしょう。されなくても自ら省みて長くこの地位に残れるはずがない。

出放されて引かれて行くとき、田子方に出会えることができるであろうか。ゲンダイにもどこかには田子方はいるであろうけれども、出会えることは無いであろう、無いであろう。

 

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