↑ネコ長老とネコ族のわかものたち。

 

平成20年9月15日(月)  表紙へ  一昨日に戻る

今日、帰ってきたところ、任ムさんがおられません。二日ほど家を明けていましたから、話しを聞いてくれるひとがいなかったので、ご自分の時空に帰られたものと思われます。

しかし困りました。

今日で三連休が終わり、明日は平日です。この二日ほど、明日16日は来ないものだ、と思い定めて楽しく生きていました。ために、明日を迎える心の準備というものができておらん。

今日は詩でも読んでにやにやして眠ります。明日の夜には否が応にも現実を味あわされて、暗い、「鉛を飲み込んだような味」を味わいながら更新していることでありましょうが、せめて今宵は好い夢でも見たいことだなあ。

さて、秋です。昨晩は中秋の名月であった。

凉夜初長露気清。  凉夜初めて長く 露気清し。

無時無処不蟲声。  時として無く処として無し、虫の声ならざること。

燈前童子抛書睡、  燈前の童子 書を抛げうちて睡り、

独向廻廊踏月行。  独り廻廊に向かいて月を踏みて行く。

 ようやく夜が涼しく、まただんだん長くなってまいりました。露を含んだ空気も清々しい。

 宵のうちから深夜まで、部屋の内でも外でも、いつでもどこでも周り中、虫の声でいっぱいじゃ。

 ともしびの前で(わしは書き物をしていたが)書を読んでいたはずの小僧はもう書を放りだして眠りこけ、

 わしは一人、(寺の)回廊に出ようとしたが、そのあたりは一面に月の光に満ち溢れていて、わしは月の光を踏みながら、歩いたのじゃ。

これは江戸中期の詩僧・六如(りくにょ)上人(1734〜1801)の「秋夜」という七絶です。

六如上人は京のひとで、壮年には江戸の東叡山寛永寺にも住み、晩年はまた京にあったというが、その

為人、矜情作態。

ひととなり、情を矜(ほこ)り、態を作(な)す。

ご性格は、プライドが高く、かっこうをつけるところがあった。

と少し後輩になる菊池五山が伝聞している(「五山堂詩話」)そうですが、その詩は前代の唐詩尊重にあき足らず宋詩を尊び、新奇を衒いながらも平明を宗としている。

この「秋夜」七絶も「無時無処不蟲声」など変態的な言葉遣いをしていますが、全体としては静かな日常を謳うているというべきであろう。

きゃはは。

では、明日会社から(生きて)帰ってきたら、またお会いしましょう。

 

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