↑「このひと、アタマ、変でがんしょ」

 

平成20年9月19日(金)  表紙へ  昨日に戻る

唐代。

長安の任仲宣の家に家宝あり。

何ぞや?

いずれの世に作られたとも知れぬ古い鏡である。その材質は金にもあらず銀にもあらず鉄にもあらず銅にもあらず。時を経て輝き妖しいばかり。闇夜にもこの鏡を箱より取り出せば、そのおもてに光あって暗路を歩くことができた。

背面に文字のごときもの八つあり。

今の文字ではない。秦・漢以前の文字の知識のある者が読んでみても、読めない。ただ、任家の先祖にはこの字を読むことのできたひとがあったらしく、鏡を入れた箱の中に書き付けがあって、背面の八字は

水銀陰精、百煉成鏡

と読むべし、とある。

水銀は陰の精なり。百たび熔解して純度を上げて、この鏡を作ったのだ。

ということである。

この読みが正しいのかどうか。それさえわからないのであるが、任家ではこの鏡はある日、空を飛んで任家に飛び込んできた、と伝えられており、よって「飛鏡」と名づけていた。

これぞ稀世の宝鏡・任氏飛鏡である。

何代か前、時の皇帝がこれを欲して宮中に納めたが、その日より鏡面から白い光ものが現われ、宮中に怪事が重なりついには皇帝も病を得て、不祥のものとして任家に返戻したといういわくさえある。

識者云、三代物。

識者は、三代の物ならん、と云えり。

物知りのひと、「夏・殷・周の三代、歴史の帳の向こう側の、はるか原始のものであろう」と評していた。

その年、仲宣、南のかた洞庭の太守となり、赴任した。

長江を渡り、舟行して洞庭湖に入る。

ある晩、風と波と激しく、舟を湖岸に泊して眠っていると、

夢一道士赤衣乗龍、持鏡。

夢に一道士の赤衣にして龍に乗ずるが、鏡を持す。

ひとりの赤い服の道士が、龍にまたがり、「任氏飛鏡」を手にしている夢を見た。

赤衣の道士、一礼して言う、

此鏡水府至宝。出世有期、今当帰我。

この鏡、水府の至宝なり。出世するも期あり、いままさに我に帰せんとす。

「この鏡は、洞庭湖の底にあって世界の河海を掌る水府の貴重な宝物にござる。故あって一定の期間人間界に置かねばならず、任家の代々の方をお頼み申してお預けてしてきたが、その期間も満ち申した。今、わたくしのもとにお戻しいただく」

と。

而去。

而して去れり。

そして、道士は(龍に乗じて)去って行った。

仲宣、夢から覚めると、同舟の妻子を呼び起こし、

「いますぐに舟より降りよ」

と命じた。

妻子、まことに不審ながら風雨の岸辺に降りると、仲宣、

「見よ」

と指差すに、

ぎ・・・ぎ・・・ぎ・・・

不気味な音を立てて舟は傾き、半ば傾いたとき赤い龍のようなものがその帆柱をぐるりと巻いた。・・・と見る間に、舟はするすると水中に没して行き、宝鏡を入れた箱もそのまま浮かびあがることはなかった。(あるいはこれは水府の中で、王統をめぐる長い争いがあったというに関わることか?)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

と、

「そんな話を考えつくおまえさんは、アタマ、変ですぞ」

と言われざるを得ないようなお話しは、宋の呉淑さんが語ってくれたのであった。呉先生の「江淮異人録」に記載されているとのこと。本当にあったことだから考えたことではない、とのことでもある。

「ちなみに、任仲宣は、梁の任ムの家系につながるとかつながらないとか・・・」

「先生、その名を出しますと、来ますぞ」

と言う間もなく、

「軽々しくわしを呼ぶではない。梁代からここまで千六百年ぐらいあるんじゃぞ」

と任先生もやってきた。

・・・今日はここまででござる。

 

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