唐代。
長安の任仲宣の家に家宝あり。
何ぞや?
いずれの世に作られたとも知れぬ古い鏡である。その材質は金にもあらず銀にもあらず鉄にもあらず銅にもあらず。時を経て輝き妖しいばかり。闇夜にもこの鏡を箱より取り出せば、そのおもてに光あって暗路を歩くことができた。
背面に文字のごときもの八つあり。
今の文字ではない。秦・漢以前の文字の知識のある者が読んでみても、読めない。ただ、任家の先祖にはこの字を読むことのできたひとがあったらしく、鏡を入れた箱の中に書き付けがあって、背面の八字は
水銀陰精、百煉成鏡
と読むべし、とある。
水銀は陰の精なり。百たび熔解して純度を上げて、この鏡を作ったのだ。
ということである。
この読みが正しいのかどうか。それさえわからないのであるが、任家ではこの鏡はある日、空を飛んで任家に飛び込んできた、と伝えられており、よって「飛鏡」と名づけていた。
これぞ稀世の宝鏡・任氏飛鏡である。
何代か前、時の皇帝がこれを欲して宮中に納めたが、その日より鏡面から白い光ものが現われ、宮中に怪事が重なりついには皇帝も病を得て、不祥のものとして任家に返戻したといういわくさえある。
識者云、三代物。
識者は、三代の物ならん、と云えり。
物知りのひと、「夏・殷・周の三代、歴史の帳の向こう側の、はるか原始のものであろう」と評していた。
その年、仲宣、南のかた洞庭の太守となり、赴任した。
長江を渡り、舟行して洞庭湖に入る。
ある晩、風と波と激しく、舟を湖岸に泊して眠っていると、
夢一道士赤衣乗龍、持鏡。
夢に一道士の赤衣にして龍に乗ずるが、鏡を持す。
ひとりの赤い服の道士が、龍にまたがり、「任氏飛鏡」を手にしている夢を見た。
赤衣の道士、一礼して言う、
此鏡水府至宝。出世有期、今当帰我。
この鏡、水府の至宝なり。出世するも期あり、いままさに我に帰せんとす。
「この鏡は、洞庭湖の底にあって世界の河海を掌る水府の貴重な宝物にござる。故あって一定の期間人間界に置かねばならず、任家の代々の方をお頼み申してお預けてしてきたが、その期間も満ち申した。今、わたくしのもとにお戻しいただく」
と。
而去。
而して去れり。
そして、道士は(龍に乗じて)去って行った。
仲宣、夢から覚めると、同舟の妻子を呼び起こし、
「いますぐに舟より降りよ」
と命じた。
妻子、まことに不審ながら風雨の岸辺に降りると、仲宣、
「見よ」
と指差すに、
ぎ・・・ぎ・・・ぎ・・・
不気味な音を立てて舟は傾き、半ば傾いたとき赤い龍のようなものがその帆柱をぐるりと巻いた。・・・と見る間に、舟はするすると水中に没して行き、宝鏡を入れた箱もそのまま浮かびあがることはなかった。(あるいはこれは水府の中で、王統をめぐる長い争いがあったというに関わることか?)
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と、
「そんな話を考えつくおまえさんは、アタマ、変ですぞ」
と言われざるを得ないようなお話しは、宋の呉淑さんが語ってくれたのであった。呉先生の「江淮異人録」に記載されているとのこと。本当にあったことだから考えたことではない、とのことでもある。
「ちなみに、任仲宣は、梁の任ムの家系につながるとかつながらないとか・・・」
「先生、その名を出しますと、来ますぞ」
と言う間もなく、
「軽々しくわしを呼ぶではない。梁代からここまで千六百年ぐらいあるんじゃぞ」
と任先生もやってきた。
・・・今日はここまででござる。