↑天上の炎凉、如何。

 

平成20年9月21日(日)  表紙へ  一昨日に戻る

一晩部屋を空けておりましたので、任ムさんも呉淑さんもどこかに散じてしまったらしく、今日はひとりでおります。

台風のせいで少しムシムシの大気が入ってきておりましたが、総じて涼しくなりました。目にはさやかに見えないうちに、もう秋です。

天上炎凉相代謝、  天上の炎凉 相い代謝し、

人間得失互乗除。  人間の得失 互いに乗除す。

老夫惟喜秋風到。  老夫はただ喜ぶ、秋風の到り、

満院桂香宜読書。  満院の桂香 読書に宜(よ)ろしきを。

ニホンのひとは季節そのものも嫌いではないのでしょうが、季節の「移り変わり」が特に好きですから、やはりこの詩などニホン人好みの詩であり、かつ漢人や韓人の作るものとは違うなあ、と思うのです。安積艮斎が晩年の一絶で題は「新秋」という。

起句は

夏と秋の行きかふ空の通ひぢはかたへ涼しき風の吹くらむ(みつね)

の心を漢字に落としているわけですが、そこから結句の老境の読書の楽しみにまで一ひねり二ひねりしながらしかも平易を失わないので、現代のわれわれにもよくわかる詩になったのでしょう。承句の「人間」は「ジンカン」で「人の世界」。

見るがよい。

天上世界では暑熱の季節が涼風の季節に入れ替わった。@

人間世界では誰が勝ったか誰が負けたかとお互いに争って答えを出そうとしている。A

「乗除」は掛け算と割り算で、勝った方は掛け算されて益し、負けた方は割り算されて損していく、ということなのでしょう。「ゼロサム」とは少し概念が違うようですが、誰かが勝てば誰かが負けている、という点では効果としては同じようなところがある、と考えられます。

しかしながら、このじじいは、そんなこと(Aのことを言っている)にはもう関係がないので、ただ秋風が吹き(つまり@のことを言っている)、

部屋中に木桂の香りが満ちあふれ、書を読むに心地よき気候になったことを、ことほぐばかりじゃ。

それはよろしいですね。

そうは言っても艮斎先生は、嘉永三年(1850)に六十歳で昌平黌儒者となり、万延元年(1860)に在官のまま昌平黌内の官舎で亡くなったので、晩年もずっと在職していたのですから、ご苦労なことです。(この項、大分のS氏の教示により一部修正した(9.25))

 

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