今日は気が向いたのでちょっとおとなのお話でもしますかな。
・・・河南・唐州の方城県の吏に張三なる者あり。
その夫人はもと娼妓であったというが、張の室となって男児を成し、一家の内を差配する地位となった。
しかるに夫人の性質はまことに
凶暴残虐
であった。
下女たちに少しでも過ちがあればにんまりと笑い、「罰を与える」と称して、
例えば
以銭縋其髪、使相触有声、稍怠則杖之。
銭を以てその髪を縋し、相触れて声あらしめ、稍やも怠るあればすなわちこれを杖す。
穴開き銭をその下女の髪にいくつか結び付け、動けば銭同士が触れて鳴るようにしておいて、少しでも銭の音が聞こえなくなると、怠っているとして杖で打った。
それも、激しく、何度でも打った。下女が
「ひいい!」
「お、お願い、許して・・・」
「ああ・・・」
と泣き叫び身悶えし懇願する間は気がすまないらしく、痙攣し失神するまでは打った。
或以針簽爪、使爬土。
或いは針を以て爪を簽(せん)し、土を爬せしむ。
あるいは、針を爪の間に差し込んで、その上で土を掻くよう命じた。
ひひひ。
或置諸布嚢、以錐刺之。
或いはこれを布嚢に置き、錐を以てこれを刺す。
あるいは、下女を布の袋の中に包み込み、その外から錐で刺して罰した。
「ひいひい」と泣き喚く袋であったのでございましょうなあ。ひいっひっひっひっひ。
これらの行為により、
凡殺数妾。
およそ数妾を殺せり。
下女を殺すこと、一人、二人ではすまなかったのでございます・・・。
しかるに
夫畏之、不敢言。
夫これを畏れ、あえて言わず。
夫の張三は妻が恐ろしく、何も言わなかった。
やがてその子が良家より嫁をもらったが、この息子の嫁が特段の病を無く、死んだ。
里方は以前から、娘から姑の所行を聞かされていたゆえ、娘の死の知らせを受けると、殺されたに相違ないとして県に告訴した。
県から尉(警察官)が派遣され、土葬前の嫁の死体を検分した。
「む」
体のあちことに針や錐の刺し傷があり、またアザや切り傷も数知れず、爪はすべて剥かれていて、さすがの県尉も顔を背けざるを得ない死体の様子である。
さらにその検死の最中、突然、
小婢出呼曰、床下又有死者、可併験也。
小婢出でて呼ばいて曰く、「床下また死者あり、併せて験すべきなり」と。
まだ少女の年頃の下女が走り出てきて、
「床下にも死人が埋まっております! それもあわせて調べてくださりませ!」
と叫んだのであった。
尉官が床下を掘り返すと、腐乱した数人分に死体が出てきた。また、その少女もあちこちに針の跡があり、片目は潰されていたという。
官吏の正室は家内での処罰権を持つ。
というのが当時の決まりであり、夫人は処罰されない可能性もあったのだが、さすがにその行状、県官も許しがたいと考えた。
県官は夫人がもと娼妓であったことから正室となりえないと断じ、正室でないのに家内でひとを罰し殺したのは単なる殺人である、と判じて死刑とし、その尸をさらしものにしたので、一県の世論、快哉を叫んだのである。
その死体はさらしものにされている間に野犬に食い破られ、家族の者が取り込んで葬ることもできなかった。
張三、この事件以降は世間に顔出しできなくなり、間もなく発病して
左支皆廃、涕泪出不禁、以首就案始得食、三年而死。
左支みな廃し、涕泪出でて禁ぜず、首を以て案に就きて始めて食うを得しが、三年にして死す。
左半身はみな麻痺してしまい、また目と鼻からは涕と鼻水がつねに出ている状態となり、加えて首を支えていることもできず、顎を机に載せてようやく食事をする状態で、三年を経て死んだ。
そして、
既葬、為野犬噛墓掲棺、銜首、擲之県門外而去。
既に葬るに野犬の墓を噛み棺を掲げ、首を銜えてこれを県の門外に擲ちて去るところとなれり。
その死体を墓に葬ったところ、野犬が現われてその墓を口で掘り起こし、棺おけをこじ開け、その頭部を齧りとると、これを県城の城門の外に放り出しておいて、その犬はどこかに行ってしまったのであった。
したがって張三もその死体を先祖伝来の墓に葬られることはなかった、ということである。
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さて、この後の方の野犬は、張三の何が気に食わなくてこんなことをしたのでしょうか。張三は罰せられるような責任は無いので、この野犬は夫人の転生か何かではないか、何が気に食わんかわからんがハラが立ったので張三もアタマを齧りとられたのではないか、と思うのであるが読者諸氏においては如何と考えらるるか。
出典は宋・洪容斎先生「夷堅甲志」巻十五。