北宋に李清臣というひとがあった。字は邦直。七歳にして読書を知り、日に数千言を読んだ。
暫経目、輙誦。
しばらく目を経れば、すなわち誦す。
ちょっと目を通しただけで、すぐに暗誦できた。
という「写真的記憶」を持つ天才児である。
長じて進士となり、いわゆる新法党に属して、若きより有能の誉れ高かった。
このひとが壮年のころ、嘆いて言ったことがある。
周瑜二十四経略中原。
周瑜は二十四にして中原を経略す。
周瑜は「三国志」で有名なあの周瑜ですね。字・公瑾、江東・孫氏政権(呉)の建威中郎将として曹操を赤壁に破る。次いで南郡太守として四川攻略に従事したが途上に卒す。年三十六。
かの周瑜は二十四歳の時には、既に魏・蜀を破り呉国を以て中原に覇を成す経略を立てたというじゃあないか。
ところが、である。
吾四十、但多睡善飯。賢愚相遠。
吾四十、ただ多く睡り善く飯す。賢愚相遠し。
わしはもう四十になるというのに、ただよく眠りよく食うばかりじゃ。周瑜さまの賢とわしの愚と、なんと差のあることであろうか。
よい言葉です。
ああよい言葉を読むことができたなあ。
ということで、今日はこのコトバを紹介して寝よう、と思ったのですが、続きがありました。
彼にはよい友があって、そのひとの名を叔安上というのだが、そのひとが慰めて言うに、
吾子似快活、未知孰賢。
吾が子、快活に似たり、いまだ知らずいずれか賢なるかを。
おまえさんはよく眠りよく食うということは、どうやら体調がいいようではないか。周瑜は四十前には死んでしまっていたのだが、おまえさんはまだ元気なのだから、どちらが賢者であったか、はまだ決まらんのではないかな。
と。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
これもよい言葉だなあ。
これは同時代人の蘇東坡が書いていることです(「東坡志林」)。同時代のひとたちには人気のあるエピソードだったのでしょう。
さあ寝るぞ。
ちなみに、この李邦直というひと、宋史巻328に伝あり。徽宗皇帝のとき門下侍郎(官房副長官)にまでなる。
宰相まであと一歩、のところまで行ったのですが、その後失脚し、大名府知事となり年七十一にて卒した。
為人寛洪不忮害。・・・起身窮約、以倹自持、至富貴不改。居官奉法、毋敢撓以私。
ひととなり寛洪にして忮害せず。・・・身を窮約より起こせば、倹を以て自ら持し、富貴に至るも改めず。官に居りては法を奉じ、あえて私を以て撓むることなし。
その性格は寛大で、気にくわないからといって他人を損なったり害したりすることは無かった。・・・もともと貧しい生活から出世したひとであるので、倹約を宗として自らを律し、富貴の身分に至っても同様の生活をしていた。役人としては法を守り、自分の考えで規則を曲げる、ということは無かった。
といわれるとすごい立派なひとのような感じがしてまいりました。
が、
然志在利禄、不公於謀国、一意欲取宰相。
然るに、志は利禄にありて、国を謀るに公ならず、一意に宰相を取らんと欲す。
しかし、彼の目的は高位と給与にあったのである。国家のためのはかりごとをするのに公平ではなく、とにかく自分が宰相になりたい、というひとであったのだ。
故操持悖謬、竟不如願以死。
故に操持悖謬(はいびゅう)して、ついに願いの如くならずして以て死す。
ために、政治的立場が逆になったり変わったりして、最終的には思ったような地位までは至らず、死んだのである。
死後、朝廷ではその過去の行為を批判する声が強まり、雷州府の司戸参軍(民生課長)に貶せられた。
のですって。
吾四十、ただ多く睡り善く飯す。
がいい言葉だと思って飛びついたのですが、そういうひとだったのか・・・。