清朝最盛期の北京城。
占星術士の金某(「金星士」)は、大道に店を広げると、いつもこの歌を歌って客を集めたという。
有生有死自家知。 生あり死あるは自家知れり。
人不回頭也是痴。 ひとにして頭を回らさざるはまたこれ痴なり。
傀儡一場雖好看、 傀儡一場 好看すといえども、
可憐終有散場時。 憐れぶべし、終に散場の時有るを。
生きていればいずれ死ぬ、ということは、みながひとしく知っていることじゃ。
ニンゲンでありながら、振り向いてそのことに思いを致さないのは、こりゃまたなんと阿呆なやつか。
人形芝居の一場じゃ。夢中になって楽しく観てたが、
やがてはさびしくお終いになり、みな散り散りに帰っていくぞ。
清・趙瓯北「簷曝雑記」巻五より。
こんな歌で占ってもらおうというやつが集まってきたとも思えぬのですが、悩み弱っているやつらですから、「ああこの術士は世の真理を知っているひとに違いない」と思って寄ってきたのかも知れません。
何にせよ、人形芝居の一幕はいずれは終わるのだ。悲しいかな、悲しいかな。願わくば万能細胞などの研究が進んで、我より後に来るひとの、この悲しみの無きことを。
さて、「傀儡」の語は古く、先秦の「列子」(殷湯篇)に
周穆王時、巧人有偃師者為木人能歌舞、此傀儡之始也。
周穆王の時、巧人有偃師なる者、木人の歌舞をよくするを為る、これ傀儡の始めなり。
周の穆王の時代に、匠人の有偃師(ゆうえん・し)というひとが、歌ったり舞ったりすることのできる木製の人形を製作した。これが「傀儡」のはじめである。
とある。
周の穆王は周の初代の武王から数えて五代目の王ですから、紀元前1000年ごろのひと、ということになるので、ことごとく書を信ずれば、古い歴史があるのだなあ、と感嘆せざるを得ません。
肝冷斎疑いて曰く、本朝では何故に「傀儡」を「くぐつ」と訓じるか。
倭名抄巻四に「傀儡」を訓じて「久久豆」というており、その久しきを知る。もと仏語として伝わったらしく、華厳経の古い音義(読みと意味を記した注釈)に既に「傀儡」に「久久都」の訓があるという(大言海)が、その音の伝わる元を詳らかにせぬ。あるいは梵語や西域の音を受けるか。