先週1月12日の続き。
わしは、先週「暴燥関」を越えました。
さて、「暴燥関」で学んだことは、とにかくハラを立てて切れてはいけません、ということでした。わしはにこにこ・へらへらしながら次の関門に向かったのであった。
次なる関門は、門扉はもちろん、門柱や壁、屋根までが赤く染められており、前に行ったやつらが閉めて行かなかったのでしょう、門扉は半ば開いておりました。
「おお、ここはなんという関門にございましょうか、へへ、へらへらへら」
とへらへらしながら見上げますと、題額には「口舌関」とあり。
「口と舌、か。・・・なるほど、ここは弁舌巧みにお上手を言わねば通り抜けられない関門なのでございますね、げへらへら」
「暴燥関」で鍛えられてきたわしは、もう居丈高になるということは無い。門前で卑屈に頭を下げ、
「いや、この関門は、いつに無くすばらしい色の関門でございますな。まっこと感服つかまつりましてございます」
と門を称賛しました。
そして歩を進めようとしたとき、なんと、ぎぎぎぎ・・・とそれまで半ば開いていた門の扉が閉まってしまったのです。
「どういうことじゃ。お上手を言うたのに閉じてしまうとは・・・」
わしは愕然としました。誉めそやしたのに機嫌をそこねるとは、どういう了見であろうか。ひとが下手に出ているのに・・・
「いや、ここで短気を起こしてはならん」
と自らに言い聞かせ、
「いや、これはダイトウリョウ、大きな門扉でございますね、しかもぎしぎしと古めかしく、権威的にしてお美しうござる・・・」
とお世辞を並べていますと、
「ばかもの!」
と門の二階からお叱りの声が落ちてきたのでございます。
見上げれば、悟元道士・劉一明がそこにおられました。
「こ、これはお師匠さま、ご機嫌うるわしう・・・」
「おまえは、「口舌」の意味をはきちがえておる。お上手を言えば通れる関門ではないのだ」
「ええー?」
驚きかえるわしの頭の上から、道士曰く、
蓋口舌者、出納之門戸、是非之根苗、関乎人之節操、係乎人之徳行、君子小人于此分、正人邪僻于此別。招禍、致福、成事、敗事、無不于此而定。
けだし口舌なるものは出納の門戸、是非の根苗、ひとの節操に関わり、ひとの徳行に係り、君子と小人はここに分かれ、正人と邪僻はここに別る。禍いを招き、福を致し、事を成し、事を敗る、ここにおいて定まらざる無きなり。
つまるところ、「口舌」というのは、言葉を出し沈黙を納めるの門戸であり、そこから是と非が出て行く苗代であり、その人の節操に関連し、その人の徳行に関係する。立派なひととダメなやつの区別、正しいひとと邪悪なひとの区別はここにあるのじゃ。わざわいを招き幸福をもたらし、ときには事を成功させときには失敗させる、すべて口舌によって決まるのである。
ゆえに
君子議之而後言、可言方言、不可言不言。
君子はこれを議して後言い、言うべきはまさに言い、言うべからざるは言わざるなり。
立派なひとは、よく考えてから言葉にする。言葉にすべきことは言葉にし、言葉にしてはならないことは言葉にしない。
と言われるのである。
そのようなひとが言葉にするのは、
@世間のありかた・人間の心理に利益のあること。
A悪事を成しつつあるひとをして善に遷らせ、間違ったことをしているひとに過ちを改めさせるようなこと。
Bひとが邪悪な方向から正義の方向に戻るためのきっかけになること。
C行き詰っているひとが直面している難事を解決させるためにいう方便のことば。
Dひとの悪を隠し善を持ち上げること。
だけである。
そして、
絶不妄言、軽言、虚言。
絶して妄言・軽言・虚言せざるなり。
絶対に、妄りに話したり、軽々しく話したり、ウソごとを話したり、はしないのだ。
「わが尊敬する道士さま、しかし、暴力に比べれば言葉の間違いなんて小さいものではございせんか」
と茶々を入れてみますと、道士は怒ったように払子を振って、言うのであった。
「愚か者め! もし言葉を慎まないならば、それはひとを傷つけるのみならず、お前自身をも傷つけることになるのだ。
口舌為害、其利如刀、其毒如鴆、豈小焉哉。
口舌の害を為す、その利は刀の如く、その毒は鴆の如く、あに小ならんや。
口舌の害というもの、その鋭く傷つけるのは刀のようであり、毒の猛烈さは鴆(ちん)という鳥の羽から作る猛毒と同じぐらいだというべきほどなのだ。どうして小さなものだということができようか。
しかし、本当の利益と損害ということを知らぬ世間の賢しら者は、口舌の働きなど小さなことであると考えてこれを軽々しく使うのである。
便益を得るのが才能であると思い、うまく言いつくろって得意になっているのだ。彼らの言葉は、あるいはひとの短所を論じ、あるいはおのれの長所を誇り、あるいは虚言妄言を操り、あるいは是と論じ非と説き、あるいは先に言うたことを後で覆し、あるいは空言して行動に移さず、あるいは思いつきを言葉にして禍を起こし、あるいは高尚なことを言葉にして実無く、あるいは真昼間からひとを呪い、あるいは巧みにひとを讒言し、あるいは言葉で失敗し、あるいはひとを傷つける。
肝冷斎よ、おまえはこのうちのどれも、自分は仕出かしたことが無い、といえるのか。
凡此、皆有損無益之言、何貴于言、不如不言為妙。
およそこれはみな損ありて益無きの言、何ぞ言において貴きことあらん。言わずして妙を為すにしかず。
こんなのはすべてひとにも自分にも損害ばかりで、誰にも利益の無い言葉なのだ。こんなのがうまく言えたといって貴ばれることがあるだろうか。何も言わずにうまくことを運ぶ方がずっとよいではないか。
何も言わないのが一番よいのだ。もし口舌を使うとしたら、先ほどの@〜Dの言葉に限るべきなのだ。わかっておるのか!」
怒鳴られたので、
「へ、へへー!」
わしは大きく頭を下げて肯定したのであった。
道士はそれで納得したらしく、
「よし。では・・・」(道士、傍らの童子に目で合図した。)
じゃーん、じゃーん、じゃーん・・・
とドラの音が響き、次いで道士が説法する。
吾勧真心学道者、速将口舌関口打通。口莫妄開、舌莫妄動。
吾は勧む、真心の学道者よ、速やかに口舌関口を打通せよ。口は妄りに開く莫く、舌は妄りに動かす莫れ。
「わしは、真心よりタオを学ぼうとしている者に言う、速やかにこの「口舌関」を通り抜けて行くがよい。そのためには、口をみだりに開くな、舌をみだりに動かすな。
つらつら考えるに、
言語者、心之声、舌者、心之苗。口舌之動不正、即知心田不正。心田不正、根本已壊。性已昧、命已揺、精神暗傷、妄想明道修道難矣。
言語なるものは心の声、舌なるものは心の苗なり。口舌の動き正からざれば、即ち心田の正しからざるを知る。心田正しからざれば根本すでに壊たる。性すでに昧(くら)く、命すでに揺らぎ、精神暗にして傷めば、妄想して道を明かにし道を修むるは難いかな。
言葉というものは、心の声であり、舌というものは、心がそこから育つ苗である。その口舌の動きが正しくないのであれば、それは「心の田」が正しくない状態にある、と知れるではないか。「心の田」が正しくなっていないのなら、もうおまえの根本が壊れてしまっているのである。おまえの本当の性質が曖昧になり、本当の命がふらふらしているのであれば、精密なる心の働きは暗くかつ傷ついているのだ。それでは妄りに思うばかりであり、タオを明かにしタオを修めるなどということは、ゆめゆめできることではないぞ」
わしがおとなしく説教を聞き終えると、
ぎぎぎ・・・。
口舌関の門扉がゆっくりと開いた。
「へへ、こいつはありがたいことでござりまする、さすがはお師・・・」
とお上手を言いかけると、
ぎぎぎ・・・
とまた門扉が閉まりかけたので、わしはあわてて口をつぐんで、隙間から口舌関を潜り抜けたのであった。
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はい、なんとか通り抜けました。清・劉一明「通関文」より。
お。
次はちょっとでかくて黒そうな関門が、山道の向こうの方に既に見えてきておりますぞ。来週をお楽しみに!