↓どうしてこんなにニンゲンと仲良しになれるのでしょうか。

 

平成21年 1月20日(火)  表紙へ  昨日に戻る

先週1月13日の続きで、明の儒者の伝を続ける。

白沙先生の門人といえば、第一に指を屈さねばならないのが、甘泉先生・湛若水であり、第二に東所先生・張詡(ちょう・く)であろうか。

しかし、まずは(明日の朝早出なので、という事情もありまして)大崖先生・李承箕のことから始めようと思うのである。白沙の思想は甘泉や東所が最もよく継いだと思うのだが、おそらく白沙の最もお気に入りの弟子はこの大崖だったのではないか、と思われるからである。

李承箕は字を世卿、大崖と号し、楚(現在の湖南)の嘉魚のひとである。成化丙午年(1486)に挙人の地位を得たが中央での試験を受けることを望まず、白沙先生の名を聞いて、弘治戊申年(1488)、はるばる広州に赴いてその門に入った。白沙先生、一見してそのひととなりに感じ、その行動をともにすること多かったという。

白沙は休日になると

与之、登臨弔古、賦詩染翰、投壷飲酒。

これとともに登臨して古えを弔い、詩を賦し翰を染め、投壷飲酒せり。

大崖を引き連れて高台に登って古来の歴史を振り返り、詩をつくり文章を書き、矢を壷に投げ入れる風雅な遊びをしながら酒を飲むのであった。

そして、

凡天地間耳目所聞見、古今上下載籍所存、無所不語。

およそ天地間の耳目の聞見するところ、古今上下の載籍の存するところ、語らざるところ無し。

天地の間で自分の目で見、耳で聞いたこと、いにしえと今の上等・下等の書物に載っていて読んだこと、これらについておよそ語らないことはなかった。

しかし、

此心通塞往来之機、生生化化之妙、欲先生深思而自得之。

この心の通塞往来の機、生生化化の妙は、先生の深く思いてこれを自得せんことを欲す。

「心」が通じたり塞がったり、あちらへ行ったり戻ってきたりする動き、ものが生まれ育ち変化していく秘密のこと、これらのついては(自分で語らず)、大崖先生が深く考えて自ら会得するように指導したのである。

やがて大崖は白沙のもとを辞し、郷里の黄公山の麓に釣台(崖にはみ出して作った建物)を築き、これに籠もって読書し、静坐して心を澄ますの日々を送ることになったのであるが、それでもしばしば万里の遠くにある広州・新会の白沙先生のところを訪問し、しばらく滞在してその教えを受けること、生涯に四たびにわたった。(湖南から広州へは、現在では直接の鉄道もあるようですが、この時代はまず長江を下り、東シナ海に出て、そこから海路で広州に向かっていたようです。「万里」(3600キロ!)という距離感はそのルートで考えればすごい誤差は無いのかも知れぬ。)

白沙先生も彼の来訪をたいへん喜び、次のような詩を遺している。

去歳逢君笑一回、  去歳君と逢いて笑うこと一回、

経年笑口不曾開。  経年笑口かつて開かず。

山中莫謂無人笑、  山中謂うなかれひとの笑う無し、と、

不是真情懶放懐。  これ真情ならざれば放懐するに懶うし。

  去年おまえさんと会ったときに、大笑いしたが、

  それから一年、一度も大笑いしたことがなかったわい。

  「山の中に住んでいるので楽しいことが無いのだろう」とおっしゃるか。

  そんなことではないぞ、まことの心のふれあいがないと、心を開くのも面倒になってくるだけじゃ。

また、

衡岳千尋雲万尋、  衡岳千尋 雲万尋、

丹青難写夢中心。  丹青写し難し夢中の心。

人間鉄笛無吹処、  人間(じんかん)に鉄笛吹くのところ無く、

又向秋風寄此音。  また秋風に向かいてこの音を寄す。

  (おまえさんの暮らす楚の)衡岳の高さは千尋もあるであろうし、その上の雲の高さは万尋もあるであろう。

  赤や青の絵の具ではなかなか夢の中で見る(※)その山や雲の姿は描きがたい。(※夢の中でおまえさんのところへ行くのだが、と言いたいのであろう)

  ニンゲンの世界では(かつて不思議な老人が吹いて、嵐を呼び起こしたという)「鉄笛」は、(災害を起こしてしまうので)吹くべき場所が無い。

(そこで、遠いおまえさんのところにでも届けと、)今年も秋風の方に向けて笛の音(おまえさんを思う言葉)を送るのである。

師にここまで言わせた、というのは、並大抵のところではないであろう。これは、

蓋先生胸懐灑落、白沙之門更無過之。

けだし先生の胸懐灑落(しゃらく)、白沙の門にさらにこれに過ぐる無きなり。

つまるところ、先生の胸のうちがさばさばとしてさわやかで、白沙門人中にその点でまさるひとはいなかったからである。

とのことである。

弘治十八(乙丑)年(1505)二月卒す。年五十四。

白沙先生にかくのごとく評価された大崖先生ですが、約百年後の萬暦のひと、曙台先生・唐伯元(彼は湛甘泉の弟子筋にあたる)が、

其晩節大敗。

その晩節、大いに敗る。

その晩年の行動は、たいへん倫理にもとるものであった。

と書きのこしており、後世の史家(「明儒学案」の著者・黄宗羲のこと)に

不知何指、当俟細考。

何を指すかを知らず、まさに細考を俟つべし。

何のことかはわからんので、細かく調べる必要がある。

といわれているのが気になってしようがないところである。

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「明儒学案」巻五より。はやく寝なければ。

なお、「鉄笛」のことについてはこちらを参照。(←確か平成19年ごろに書いたはずですが、どこにあるか探し出せません。明日探してリンクします)←なかなか見つからないので、しばらく待たれよ(1月21日)

 

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