後に孔子とよばれ、天下の師となる魯の孔丘は、若いころ文化の中心である周の都に旅してその学問を磨いたという。
孔子之周、観于太廟、右陛之前有金人焉。
孔子、周に之(ゆ)き、太廟において観るに、右陛の前に金人あり。
孔子が周の都に遊学したとき、周王の霊廟を見学に行くと、廟の右側のきざはしの前に、黄金で作られた人物像が置かれていたのを見かけた。
その像をよくよく見るに、
三緘其口。
その口を三たび緘(と)じたり。
その上唇と下唇が、三本の糸で閉じられたように造ってあった。
「これは何の謂いであろうか」
疑問に思いつつ回りこむと、
銘其背。
その背に銘す。
その背中には銘文が彫りこまれていた。
もちろん、古い古い字体である。
孔丘、その文字を読み、嘆息して心に記した。
その銘に曰く、
古之慎言人也。戒之哉、戒之哉。無多言、多言多敗。
いにしえの慎言人なり。これを戒めんかな、これを戒めんかな。多言する無かれ、多言すれば多敗せん。
この像は、いにしえの言葉を慎める賢者の像である。
このことに注意するがよい、このことに注意するがよい。
多く語るなかれ。多く語れば多く失敗するのだから。
と。
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以上、「説苑・敬慎篇」より。
わしも、もう多く語ることは止めにしよう。