
↑どちらかのミカンが大きい。との幻想が問題を生ぜしめるものである。
1月19日の続きです。
黒々とした大きな関門が近づいてまいりました。
ずっと先に行ったと思っていた修道者のひとりがこの関門が通り抜けられないらしく、門扉の前で苦しんでいた。苦しみ、焦り、顔を真っ赤にして呻っている。この男、どこかで見たような気がするので、わたしは親近感さえ感じて、
「これ、おまえさん、しっかりせよ。わしと一緒に行きましょうぞ」
嫉妬関も暴燥関も口舌関も越えてきたわたしである。心が和やかになってきているのであろう、その修道者にやさしく声をかけたのであった。
すると――
「ふん、えらそうにおっしゃるもんだぜ、このおデブさんがね・・・」
と、その修道者――まだ若い――は、イヤミなことを言うのである。
わたしは「ぶぶう」と不平を鳴らそうかと思ったのだが、それより先にそいつは、
「おデブさんも、おれがここを越えられないので、バカにし蔑んでおられるのだろうな。くそ、くそ、くそ・・・」
とつぶやきながら、恨みに満ちた目で周囲を見回すのである。
この男は何かにとらわれているようだ。
そう思って関門の題額を見上げてみると、そこには「瞋恨関」(しんこんかん)とあった。「瞋恨」は怒り、恨むの謂いである。
「そのとおり、その男は、修道者にあるまじきことに、怒りと恨みに捉われてしまい、その場で身動きつかなくなっているのだ」
と言いながら、題額の向こう、関門の二階から悟元道士・劉一明が顔を出した。
「これはお師匠さま」
とわしは跪いたが、男は道士を見上げながら
「く、師匠。あんたもひとの師でありながら、おれのことを嗤い、見捨て、あるいはほかの者への見せしめに使っているのだ、くそ、くそ、くそ・・・」
「まだそんなことを言っているのでちゅか、あわれな男でちゅね・・・」
と道士の横に童子も顔を出した。
「く、童子。おまえはガキのくせに、おれのことを・・・くそ、くそ、くそ・・・」
「ああ、この男を見よ。怒りと恨みに大切なことを忘れてしまった者の姿を。
瞋恨之害事最大。
瞋恨のことを害する、最も大なり。
怒りと恨みは、大切なことを成し遂げるに当っての最大の障害なのである。
ある者は境遇が順調でないからと言って怒り、
ある者は考えどおりにいかないからと言って怒り、
ある者は他者のせいで失敗したと言って怒り、
ある者はひとがうまくやったのを嫉んで怒り、
ある者は自分の適性が時代にあわないと言って怒り、
ある者は衣食が足らないと言って怒り、
ある者は他人のためにしてはならないことに手を出してしまったと言って恨み、
ある者は他人の小さな過ちを忘れることなく恨み、
ある者はひとに頼んだのに応じてくれなかったといって恨み、
ある者は自分に従順でなかったと言って恨む。
凡此瞋恨等病、総是自己昏愚。
およそこの瞋恨等の病は、すべてこれ自己の昏愚なり。
これらの不健康な怒りや恨みは、すべて自己の暗愚から発生しているのである。
瞋恨二字、如蛇如蠍、最悪最毒。若結心胸、積久成蠱、傷生隕命、為禍甚烈。
瞋恨の二字は、蛇の如く蠍のごとく、最悪最毒なり。もし心胸に結ばれ積むこと久しければ蠱(コ)を成し、生を傷め命を隕(おと)し、禍を為すこと甚だ烈なり。
怒りと恨みの二つの文字は、ヘビやサソリのように最も恐ろしく最も害をなすものなのだ。もしひとの心の中にそれらが結ばれ、長く久しく積み上げられると、そこには「まがごと」が成長し、生命を傷つけ喪わせるなど災禍をなすこと大変激しいのである。」
ここで、道士は少し優しげになった。
「お前は心を広くして、
度量必如天之廓大無辺、醇厚必如地之無物不載、容納必如海之衆水朝宗。
度量は必ず天の廓大にして辺無きが如くし、醇厚は必ず地の物として載せざる無きが如くし、容納は必ず海の衆水の朝宗するが如くせよ。
心の度量は必ず大空のがらんどうに大きく境界さえ無いのと同じように、心の豊穣で厚いのは大地のあらゆる物を載せるのと同じように、心の容量は大海のすべての河川の水が朝廷に参勤交代するように向かってくるのを受け入れられるように、せよ。
そのことを心に浮かべ、目を閉じて思え。
やがて知るであろう。
○大空が大きく、あらゆる物を覆い、あらゆる物を生んでくれていることを。日も月もそこを行き来し、星も星雲もそこを回り、雲や霧はそれをさえぎる。人間は天を欺こうとし、あるいは天を崇め、善悪邪正、凶頑愚劣、あらゆる姿態をとっているのが、天の立場に立てば如実にわかるであろう。
○大地が豊穣で分厚く、あらゆる物を載せ、あらゆる物を成長させてくれていることを。泰山をはじめとする高岳を背負い、長江や黄河などの大河を受け、樹木草石の圧迫に耐え、飛ぶ鳥・走る獣の踏むところとなり、鋤で耕されスコップで掘られ、あらゆる穢れたものを埋められても、すべてを無心に受け入れる大地の思いを理解するであろう。
○大海がすべての河川の水を受け入れて日夜休むことなく、千年も万歳も注ぎいれられてもなお余りあることを。清らかな水が流れて来ても清らかだと喜ばず、濁った水が流れてきても濁っていると嫌がらず、甘い水を甘しとせず、苦い水を苦しとせず、魚・亀・エビ・カニは泳ぎ、大亀・ワニ・ミズチ・龍の類は飛び込み、一切の不潔不浄のものが流れ込むが、何ひとつ拒否しないその心を知るであろう。
よく、大空・大地・大海の心を理解するまでに瞑想して己れの心を開くがよい。
学道者、能如天之量、地之厚、海之寛、便是無事仙人。
道を学ぶ者、よく天の量、地の厚、海の寛の如くならば、すなわちこれ無事仙人なり。
タオを学ぶ者、ほんとうに大空の大きさ、大地の厚さ、大海の寛大さ、これらを身につければ、その時点でもう「なにごとにも動かされない仙人」の地位であるぞ。」
「ああ」
仙人、という言葉にわしはぶるぶる震えるほど感動し、道士の言葉を一語一語心に刻みつけようとしたものである。
しかし、このありがたい話の間も、先ほどの修道者は道士の言葉が気に入らないらしく、「くそ、くそ」と恨みを言うのを止めなかったが、もはや道士は彼のことなど眼中に無いのであろう、
「そろそろじゃな」
と童子に合図した。道士の合図に、
「あい、わかりまちたー」
と応じて、
じゃーん、じゃーん、じゃーん・・・
童子はドラを鳴らした。
吾勧真心学道者、速将瞋恨関口打通。学个無心道人、軽也過去、重也過去、低也過去、高也過去、因物付物、随事応事、応而不納、過而不留、何有瞋恨害事乎。否則生瞋生恨、陰毒暗悪凝滞方寸、真性草昧、妄想明道難矣。
吾は勧む真心の学道者よ、速やかに瞋恨関口を打通せよ。かの無心道人を学び、軽きもまた過ぎ去り、重きもまた過ぎ去り、低きもまた過ぎ去り、高きもまた過ぎ去り、物に因り物に付し、事に随い事に応じて、応じて納れず、過ぎて留めざれば、何ぞ瞋恨の事を害する有らんや。否なればすなわち瞋を生じ恨を生じ、陰毒暗悪の方寸に凝滞し、真性草昧し妄想して道を明かにすること、難いかな。
「真心からタオを学ぼうとする者よ、すみやかにこの瞋恨関を通り抜けて行け。心を無にしてタオに遊ぶひとの真似をすればいいのだ。軽いものも(障害にならず)過ぎ去り、重いものも過ぎ去り、低いものも高いものも過ぎ去る。物により物に引っ付き、事に随い事に適応し、相手はするけど一緒にはならず、過ぎ去って留めることもない。そうすれば怒りや恨みがお前を害することは無いであろう。
そうでないならば、怒りや恨みが生じ、陰鬱な毒や暗い憎しみが心に滞り凝固して、真実の性質は隠れてしまい、妄りに想像するばかりで、タオを明かにすることは困難であろう。」
「はい」
とわしは返事して関門を通り過ぎようとしたが、かの修道者は
「うまいことばかり言いおって、くそ、くそ!」
地面から石くれをつかみあげると、なんと二階の道士に投げつけようとした。
「あほう!」
道士、払子を「しゅ」と左より右に振れば、これが遠当ての仕組みになっていたのか、修道者は、
「ああ」
と顔を押えてその場に倒れる。
わしは何だかむしょうに哀れになって彼を助け起こそうか、と思い悩んだのだが、道士は階上より
「よい。わしが面倒を見る」
と制して、何か意味ありげに
「おまえにはそいつを助けるのはおそらく、まだ無理じゃろうからな、ははは」
と笑い、ついでまた払子を振って、
務須内外乾乾浄浄、如雪之白、如鏡之明、応事接物皆以無心処之、庶乎神気不傷、性情和平、大道可冀。
すべからく内外を乾々浄々するに務め、雪の白きが如く、鏡の明かなるが如く、事に応じ物に接してみな無心を以てこれに処せば、神気傷まず性情和平にして大道を冀(こいねが)うに庶(ちか)いかな。
「必ず、心の内外を陰鬱に湿らさず清潔にし、雪のように白く、鏡のように明るくしておくのじゃ。事が起こればそれに無心に対応し、物が来ればそれに無心に接する。かようにすれば、精神の気は害せられることなく、心の本体と作用は和やかになり、大いなるタオに向かうことができるようになろう。
はやく行け、行け、行け」
と促がすゆえ、わしは「瞋恨関」を通り抜けて、また山道に入ったのであった。
それにしても、さっきの男、どこかで見たような気が・・・
「あ」
とわしは小さく叫んだ。
「あれは、わし・・・もう少し若いころのわしの姿ではなかったか!」
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さて、ここも何とか通り抜けたわい。清・劉一明「通関文」より。
いつになったら先が見えてくるのでしょうかなあ。