
↓今日も正月らしいめでたい話。(わしらニンゲンを憎むムシにとっては、だがな・・・)
三が日なので松の内にするにふさわしいお話しが無いかのう、と嚢中を探ったところ、このお話しが出てきました。まだ紹介してなかったようなので、ご紹介します。
・・・ときは唐の後半である。
「さて、お国ではこのごろ何か変わったことはございましたかな」
わたし(段成式)は荊州出身の秀才・杜曄に向かって訊ねた。
杜曄はもともと饒舌な性質であるが、わたしに名指されて、いかにも早く話したいことがあったと言わんばかりの勢いで、荊州訛りでしゃべり始めたのであった。
「それがことでござる。我が荊州の侯一族に降りかかった大いなる災厄について、お話ししたく思っておりましたのでござる」
「ほう、それは・・・」
「侯家といえば他州にも聞こえた一族ぞ」
座にいた他の客も身を乗り出して聞き入る。
侯氏の本家は、五人兄弟の仲の良いので有名であったが、その次兄で杜秀才の友人でもある侯又玄という男、ある日、郊外に出たとき便意を催し、道端の小さな丘に登って、その上にて用を足した。
丘を降りて本道に戻ろうとしたところ、一瞬足をすべらせて、左手で体を支えたのであるが、その際、左腕を大きく切ってしまった。
さらに傷口は意外に深いらしく、お供の下僕が傷口の上を紐で縛るなどしても血が止まらぬ。
お供の者たちが
「これはいかぬ。誰か、医師を呼んでまいれ・・・」
と騒いでいると、ちょうどそこに、老人がひとり、通りかかった。
老人は、にこにこと微笑みながら近づいてきて(下僕たちの後々の話しでは、顔には微笑みを湛えていたが、目は冷たく光っていたやに見えた、という。)、
「どうなされたか?」
と穏やかに訊いた。
下僕が状況を言うと、老人は微笑んだまま、
「あの丘は古い墳墓でござる。そんなところで用を足すとはのう・・・。それはそれとして、切り傷と軽く思うておってはいけませぬぞ。如何なる毒が入るかも知れませぬ。おお、そうじゃ・・・」
老人言、偶有良薬、可封之。十日不開必癒。
老人言うに、「たまたま良薬有り、これを封ずべし。十日開かざれば必ず癒えん」と。
老人は、
「ちょうどここに良い薬を持っておるのじゃった。これを塗れば傷口を閉じることができよう。そのまま十日間置いておけば、何事も無かったように傷は癒えるであろう」
と言う。
そして、荷物から小さな壷を取り出し、壷の中の軟膏を傷口に塗ると、確かに血は止まってしまった。老人はさらに(後あと思えば手回しのよいことであったが)白い布切れを取り出し、軟膏を塗った上に布切れを当てて、ぐるぐると包帯を巻いてくれたのであった。
それから十日経過した。
それまで、包帯は何度か取り替えたが、又玄は老人の指示を信じて、布切れは取り替えないでいた。傷口のあたりは少しむず痒かったが、治りかけなのであろう、ぐらいに思っていたという。
十日目に
「そろそろよいのであろう」
と包帯を解き、当ててあった布切れを取り去ったところ・・・「おお」
治療に当っていた他の兄弟や下僕たちは、みなあまりのことに言葉を失った。
ああ、なんということか。傷口の回りは、真っ黒に腐っていたのだ。
しかも、又玄が慌てて腕を動かそうとしたところ、傷口のところから先、
一臂遂落。
一臂遂に落つ。
片腕がぽろりと落ちてしまった。
「う、腕が・・・、あ、あのじじい、いったい・・・」
腕は諦めるよりしようがなかったが、又玄はその日から高熱を発し、傷口から再び出血を始めた。
さらには、数日すると、又玄の五人の兄弟たちも、同じように高熱を発し、また体にちょっとした傷ができて、そこから血を流して止まらない、という症状を呈して病床についたのであった。
月余、又玄兄両臂忽病瘡六七処、小者如楡銭、大者如銭。
月余、又玄の兄の両臂、忽ち瘡を病むこと六七処、小さきものは楡銭の如く、大なるものは銭の如し。
一月余りすると、又玄の長兄の両腕にできていた傷口が、突然塞がり、かさぶたが六〜七箇所にできた。小さいのは小銭、大きいのは普通の銭ぐらいの大きさである。
「楡銭」(ゆせん)は、「楡莢銭」のこと。「楡莢」はニレの葉の出る前のふくらみ・つぼみのことですが、
漢書・巻二十四(食貨志)下に曰く、
漢興以為秦銭重難用。
漢興りて、秦銭を以て重くして用い難しと為す。
漢帝国が天下を統一した時、前代の秦の鋳した銭が重すぎて、交易に使いづらいのではないか、と考えた。
のだそうです。そこで政府が民間に小さい銭貨の鋳造を許したところ、争って作られたのが
莢銭(きょうせん)
であり、魏の如淳の注に「莢銭は楡莢銭のことである」という。人民どもは、できるだけ少ない材料で銭貨(大きさに関わらず、銭面に記された交換価値を必ず持つはず、と当時のひとたちは考えていた)を作ろうとした、のですな。それはそれでけしからんことですが、要するに、「楡銭」とは非常に小さい、楕円形の銭貨のことをいう。
閑話休題。
長兄の傷に瘡蓋ができ、傷口はようやく癒えるかに思えたのだが、その瘡蓋はなんと
皆人面。
みな人面なり。
大きいのも小さいのもひとの顔をしていた。
そして、
至死不差。
死に至るまで差(い)えず。
長兄はそのまま、瘡蓋が治らずに死んでしまった。
長兄が苦しみながら死んでしまったころ、他の兄弟たちの傷口にも同じような瘡ができはじめたのであった・・・。
「・・・のでござる」
杜曄はそう言い、さらに、
「わたしが荊州を出るときには、亡くなったのは長兄だけでござったが、わたしの友人である又玄の命も旦夕に迫っておるであろう、とみな噂しておりましてござった。今日のところはまだその訃報は至っておりませぬがのう・・・」
と話し終えて、友人を既に悼むかのごとく目を伏せたのであった。
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この話、(同座していた)唐・段成式が「酉陽雑俎」(巻十五)に記録した。段成式は早くから人面疽に興味を持っていたひとであり、同書には他にもこの不思議な症状についての記録があるが、既に紹介済みなので重ねては記さぬ。