昨日は、我が国に廿四人も仙人がいることが数学的に証明できましたので、おそらく多くの読者(←絶対数が2であることは承知)の方々が「ようし、わしも」とばかりに「仙人になろう」という志を固めたことと思います。
そこで、まずは不老長生の術をみなさんにお伝えしたいものじゃ、と腕組みしておりましたところ、年末に、宋代から時空を超えて来てくださって、そのままゲンダイをあちこち観て回っておられる彭乗さんが、肝冷斎に戻って来られた。
彭氏は博学な方であるから、早速不老長生の術について知るところはないか訊ねてみました。
すると、
「それはなかなかいい質問ですぞ」
と、彭氏は喜んで教えてくれたのである。
・・・杭州の町で蒲傅正というひとが知事を務めていたころ、一人の術士があり、道術を身につけていると評判であった。
そこで知事が召し出して面会したところ、
年踰九十而猶有嬰児之色。
年は九十を踰えてなお嬰児の色有り。
年齢は九十を越えているとのことであったが、顔色などはまるで赤ん坊のようにつやつやしているのだ。
傅知事このひとに会えたのをたいへん喜び、
訪以長年之術。
訪うに長年の術を以てす。
不老長生の技法を訊ねた。
術士答えて曰く、
其術甚簡而易行、他無所忌。惟常絶色欲耳。
その術、甚だ簡にして行い易く、他に忌むところ無し。ただ常に色欲を絶するのみ。
その技法はたいへん簡単で行いやすいものでござる。それ以外にしてはならんことがあるわけでもない。ただ、性的な欲望を断ち切ることですじゃ。
これを聞いて、知事、
俛思良久、曰、若然、則寿雖千歳何益。
俛(ふ)して思うこと良(やや)久しくして、曰く、「もし然らば、すなわち寿の千歳なるといえども何の益かあらん」と。
俯いて考え込むことしばし、顔を上げて言うよう、
「そういうことであれば、どうやら寿命が千年あったとしても、何も得はしないようじゃなあ」
と。
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はあ? なんで? わしにはこの知事さんの言うてること、理解できん。みなさんは、色欲を絶して何か困ることある?
ちなみにこのお話しは彭乗の撰(と考えられる)「墨客揮犀」巻六に記載されてあるのであるが、
「もともとは崇寧(1102〜06)・大観(1107〜10)年間に、福州で官についたことのある陳正敏という男が著わした「遯斎閑覧」という書物に書いてあったのじゃ。したがって内容に間違いがあってもわしには責任はないのじゃ」
とのことである。
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以下、無用のことながら。(←司馬遼太郎先生風味)
休前日の特別サービスとして、「色欲を絶」しなくても、不老長生できる特別な薬もあるらしい、という手がかりをご紹介しておきましょう。
紫府仙人号宝灯。 紫府の仙人 宝灯と号す。
雲漿未飲結成冰。 雲漿 いまだ飲まざるに結びて冰と成れり。
如何雪月交光夜、 如何ぞ 雪月 光を交うるの夜、
更在瑤台十二層。 更に瑤台の十二層に在るを。
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唐・獺祭・李商隠「無題」詩でござる。マジメに読んでみよう、とすると、後世には理解し難いほどの故事成語を使う、というこのひとの作品らしく、独力ではなかなか対応できぬ。そこで買ってきたばかりの川合康三選訳「李商隠詩選」(岩波文庫2008)の力も借りて語釈しますと、
○「紫府」・・・「海内十洲記」によれば南海・長洲の風山にある仙宮の名前。ここには多く仙女が遊ぶという。
○「宝灯」・・・もとは釈迦以前の仏の名前であるが、ここでは仙人(女性)の名前として使っている。
○「雲漿」・・・「雲が液化した飲み物」という訳で十分だ・・・と思ったのですが、川合先生の注によれば、漢の武帝を題材にしたファンタジー「漢武故事」に拠るらしい。
同書によれば、来訪した大仙女・西王母に武帝が不老不死の方法を訊ねたところ、現在に遺っている同書中では(ちなみにわたしの手元にある「類説」所収の該当部分を読んでも)、西王母は
帝滞情不尽、欲心尚多。不死之薬未可致也。
帝、情を滞させて尽きず、欲心なお多し。不死の薬いまだ致すべからざるなり。
おまえは、情愛の思いが滞っていて消滅しておらず、欲望がまだまだ多いのよ。だから、いまのところ不死のための薬物をあげるわけにはいかないねえ。
と言うて断ることになっているのですが、「太平御覧」に収められている既に滅んだテキストでは、この不死の薬物の名がいくつか挙げられており、その一つに
五雲漿(五色の雲の液化したもの)
があるのだそうで、「雲漿」はこれのことであるという。
○「瑤台」・・・「拾遺記」に
崑崙山上有瑤台十二。各広千歩、皆五色珠。第九層有芝田尓゙。
崑崙山上に瑤台十二あり。おのおの広さ千歩、皆五色珠なり。第九層に芝田・尓゙(しでん・けいほ)あり。
崑崙(こんろん)山の上には「瑤台」(ようだい。「玉の展望台」)があり、十二階建てである。各階は広さ千歩、すべて五色の玉で作られている。九階には、霊的なキノコの田と尅吹iけいそう。「かおりぐさ」)の畑がある。
という仙界の建物のこと。(なお、「第九層・・・」以下の一文が「崑崙山上」のすぐ後にあるテキストがあり、とすると、「崑崙山の九層目には芝田・尓゙と十二の玉の台がある」という記述になるから、十二階建てではなくなることになる。)
以上の語釈を前提に、「無題」詩を試みに訳すと、
紫の宮殿にはたおやかな仙女がおられる――その名は「宝のともしび」というぞ
(紅のくちびるにて、不死の霊薬)五色の雲の霊液を吸わんとするに、おお、くちづける前に凍りつきおった。
(地上でさえ)月と雪の光が交わるこの夜に、
しかも(天の果て、さむざむとした)崑崙・瑤台の最上階・第十二層のきざはしに立つあなたには
どうすればこの思いを届けることができようか。
といったところであろうか。川合先生は第三句の「如何ぞ」を「どうして?」の意に解して、「どうしてあなたは地上でも寒いこの夜に、そんな寒いところにおられるのか」と訳しておられるが、わしは「如何ぞ」を「どうやったら・・・か」の意に解してみた。