長女のページ

江ノ島にて『女王』になる!

 

長女は東京が好きだ。倉敷青陵高校から関東地区への進学第1号と

親を喜ばせたがそれ以来戻って来なかった。

各地の「ミス」のコンテストに出てミス荒らしだった。

夢だった「女優」になり現在は関東地区のコマーシャルに

出ており、テレビにもでている。

長女 七・五・三

明日はお前の「誕生日」おめでとう。s33年「本署」に居た私に「日本原ちゅざいしょ」にゆく辞令が出た。まだ結婚もしてないのに「高校をそつぎょうしたんだからいっしょに行け」との命令である。

ママもえらいところで信用されて、とりあえずの荷物を纏めて、署の自動車で、パパ、ママ、おばあちゃん、3にんを送ってくれた。近所の人も大勢来てくれた。おばあちゃんの「親戚」もあり助かった。
「ママ」への評価は「今度の「駐在所の奥さんは美人じゃぞ」だった。1年後にお前が生まれることになる。おばあちゃんとも相談して、津山一の病院を選んだ。         
(当時は車も少なく家族まで送ってくれたのは、ママの伯父北村 好、元警察署長の威光だったと思う。日本原で独立する「若き2人」への署長のプレゼントだったのだろう) 
此れからお前を大きくしながら進んでゆく。昇任試験合格の6年前である。

病院は津山一でも子供が出て来ない。私もおばあさんも困った。

3日位で生まれた。次は名前だ。s33・34頃『夕起子』(由かもしれん)という「ラジオドラマ」の「ヒロイン」が居た。それにあやかろうと考えたが、其の儘ではいけないので「由紀子」とすれば、「品」があるし、利口そうだ、それに「紀」の字は「尊い」のだ。
予想どうり何でも賢く、みんなに可愛がってもらった。

大阪万博について。
土曜になると「ちよっといってくるか」と良くいった。
すぐ近くではなく晩出て朝着いた。其の頃白のセドリックに乗っていた。

事業も良い時だった。

すずは覚えていないというがお前は11歳、良く覚えているだろう。

家族全員、時には親戚まで連れて行ったものだ。


長女の想い出 

倉敷青陵高校の2年か3年の頃、何処かから推薦があったのだろう「ミス・ユニバース」へ連れて行けという。車で広島ホームテレビ迄行き、尋ね尋ねて会場まで行った。美人ばかりで圧倒された。然し並み居る美人を跳ね除けて最終予選までいった。通ったら「東京」迄行かねば成らん「良かった良かった」と私は思ったがお前は残念であったらしい。その後東京に出てから、ミスインターナショナルの東京代表になった。
 大阪万博の想いでは尽きないがアノころまだ「山陽道」が無かった。姫路を過ぎると渋滞に入る、大きなドライブインに入りみんなで遊んだものだ。
時は移り「名古屋万博」となった。家族全部楽しくしよう。私が障害者になっただけで、皆元気だ。